「女として、男としてこうすべき」「家族とはこうあるべき」「母としてこうすべき」
そんな固定観念にしばられずに、自分らしい選択がしたい、大切な人と共に生きたい。
そう願う全ての人たちにお届けする、連載『ジェンダーのmado——わからないけど、話してみたい。ジェンダーのこと、私たちのこと』。 この連載では、日々の“モヤモヤ”を出発点に、ジェンダーの専門家や実践者の“生き方”に耳を傾けながら自然体な生き方を探究していきます。
私(編集部・貝津)もまさに、「わからないけど話してみたい」と思っているひとり。それならばまず、いろんな方と対話することから始めてみようと連載を立ち上げました。読み終えたあと、少し気持ちが軽くなったり、「私もこんなふうに生きていいんだ」と思えたり。 あなたと社会をつなぐ“mado(窓)”のような記事をお届けします。
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女の子は小顔で二重が「かわいい」、男の子は短髪で背が高いのが「かっこいい」───
そんな“誰かが決めた美しさの基準”と自分を比べて、疲れてしまうことはないだろうか。
お風呂上がりに鏡を見ながらため息をつく。
アルバイト代くらいの価格で二重手術ができると知り、気持ちが揺らぐ。
テレビに映るモデル体型を見て、無意識に「痩せなきゃ」と思ってしまう。
Instagramを眺めながら「あの子は可愛いけど、自分は……」と比べて落ち込む。
でもそれって、誰のため……?どうしてありのままの「私」と「あなた」じゃダメなの?
子どもの頃から、大人になっても、ずっと見た目(容姿や体型)のジャッジに翻弄され続ける私たちは、いつまで出口の見えないトンネルを彷徨いつづけなければならないのだろう。
そんなことを考えていた折、子育てをしながらルッキズムと向き合うライターのウィルソン麻菜さんにお話を伺う機会を得られた。ウィルソンさん自身、学生時代からのコンプレックスと向き合い、周りの人の力を借りながら「見た目への呪い」を解いていったという。
そして今日、すっきりとした笑顔でこう語る。

「“二重じゃなきゃ、痩せていなきゃ”と思うのは個人の問題じゃなく、社会の仕組みがそうさせていると知れたことが大きなきっかけになりました。
今なら過去の自分に、言ってあげられる。『そう思ってしまうのは、あなたが悪いわけじゃない。だからそんなに否定しないで。生まれたままの、すべてが完璧なんだよって」
そこには、彼女がたどり着いた“信じられる言葉”があった。もがきながら、学びながら、少しずつ生きやすくなってきた。そんな確かな歩みが彼女を支えているようだった。
自分の容姿も体型も、なかなか受け入れられない、と悩むあなたへ。
今日だけは、「可愛くならなきゃ」「女の子っぽく、男の子っぽくいなきゃ」と思う気持ちをお休みして。そもそも“なぜ生まれ持った身体を、嫌いにならなきゃいけないんだろう?”という問いを、一緒に考えてみませんか。
子育てをしながら気づく、自分にかけられたルッキズムの呪い

───最近では、キッズ脱毛や美容整形など、見た目(容姿や体型)に関する話題が子ども世代にも広がっています。人を見た目だけで判断したり差別したりする“ルッキズム”の考え方も問題視されるようになり始めましたが、子育てをしながら難しさを感じることはありますか?
ありますね。SNS、テレビ、雑誌、広告、どこを見ても“理想の見た目”があふれていて、「気にするな」と言うほうが難しい社会ですよね。「脱毛はまだ早いんじゃない?」「整形はやめておこうよ」と子どもに言うのは簡単だけど、じゃあ自分はどうなのだろう?と答えに詰まることもあります。
私も学生の頃は、当たり前のようにコンプレックスがあり、どうにかぱっちり二重にしたくて鏡の前で毎日アイプチと格闘していました。母に「そのままで可愛いよ」と言われても、どうしてもやめられなかった。耳の形とか丸顔とか、気に入らない部分も多かったですね。
“なぜ生まれ持った身体を、嫌いにならなきゃいけないんだろう”
そんな問いが浮かぶこともなく、メディアから流れてくる「ぱっちり二重が可愛い」「毛がないツルツルの肌が女の子らしい」というメッセージをそのまま信じ込み、そこから外れる自分を受け入れられなかった過去があります。

親になり、子どもには「ありのままのあなたでいいんだよ」と願う一方で、自分自身の“ありのまま”をなかなか受け入れられずにいる。その状況になって改めて、自分がどれほど「容姿」や「体型」にまつわる“こうあるべき”を刷り込まれてきたのか思い知らされました。
「ハーフの子ども、いいなぁ」と言われる違和感の正体は?
───子育てをする中で、改めて見えてくることもあったのですね。
夫がアメリカ人なので、「ハーフの子ども、絶対かわいいじゃん!」「いいなぁ」と言われることも多いです。褒め言葉のようでいて、そこには“見た目への期待”や“基準”が透けて見えるようで、モヤッとする瞬間があります。中には「ハーフってだけでチートじゃん(それだけで生きやすそう)」なんて言う人もいて、驚きました。

たぶん、多くの人が思い描いているのは明るい髪色や大きな目といったテレビで見かけるハーフタレントの姿。けれど、アメリカ人といっても人種もルーツもさまざまですし、「ハーフだから」というひと言で、子どもの個性や顔立ちを一括りにされるのは、やっぱりどこかモヤモヤしてしまいます。
……と言っている私も、テレビに映るハーフタレントを見て「自分もああなりたい」と必死に二重まぶたをつくっていた経験があるわけですから。逆の立場だったら、きっと同じように「褒め言葉」として言っていたと思います。自分の中にも、先入観や偏見がしっかり根付いてしまっていることは、言われる側になって初めて気がつきました。
子どもが生まれてから自分の容姿へのコンプレックスを再認識させられる瞬間もいくつもありましたね。

───具体的に、どんな場面でそう感じたのでしょう。
まず妊娠しているときから、「夫に似てくれたらいいな」と思う自分がいました。アメリカ人の父を持ち、カタカナの名字をもつ子どもが、もし私に似てしまったら……。「ハーフなのに可愛くないね」と、誰かに言われて傷つくかもしれない。そんなことを、無意識のうちに心配していたんです。まさにアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)ですよね。
だから、私にそっくりな子が生まれたときは、思わず「ごめんね、私に似ちゃって」と胸が締めつけられました。そして次の瞬間、「そんなふうに思ってしまう母親でごめんね」と、自分を責める気持ちでいっぱいになって。
子どものすべてがたまらなく可愛いのに。子どもたちにも、そんな自分のことを好きでいてほしい、と心から願っているのに……。どうして私は、「私に似てごめんね」なんて思ってしまったんだろう。
そういう経験が重なるなかで、自分自身に染みついた「可愛くならなきゃ」「美しくならなきゃ」という呪いを解きほぐしていこう、と心に決めました。子どもには“ありのまま”でいてほしい。その願いが、いつしか自分自身を解放するきっかけにもなっていきました。
「あなたが悪いんじゃない」社会の構造に目を向ける

───そこからどのように、容姿や体型のコンプレックスと向き合ったのでしょう。
まず大前提として、“二重じゃなきゃ、痩せていなきゃ”と思うのは個人の問題じゃなく、社会の仕組みがそうさせていると知れたことは大きな発見でした。
日々ライターとして、ルッキズムに関する取材に関わることが増えるなかで、専門家の方々は口を揃えて「あなたが悪いわけじゃない」と教えてくれるんです。

SNSにはぱっちり二重のインフルエンサーがあふれ、テレビや雑誌では体型の細いモデルやタレントばかりが当たり前のように取り上げられる。そこにコンプレックスを刺激する広告が重なれば、子どもたちが自然と「ああなりたい」と思ってしまうのは当然です。これが現実のビジネスなんです。実際、借金をしてまで美容整形や脱毛をやめられない子もいれば、過度なダイエットで摂食障害に陥る子もいる。
そんな話を聞くと、私たちが「こうでなければならない」と思わされている原因は何か?という構造に目を向けられるようになりました。
───“思い込まされてきたものの正体”を掴むことができたんですね。
あとは、夫との出会いも大きかったです。
付き合いたての頃は、ちょうどアイプチで二重をつくっている時期だったんですが、彼の反応は「え……?まぶたの線で、何が違うの?」というもので(笑)。認識すらしていなかった。彼がアメリカ人ということも関係していると思いますが、当時は本当に衝撃でした。
こんなに見た目を気にして努力してきたのに、「可愛いの基準」そのものがこんなにも違う世界の人もいる。そう気づいた瞬間、“とらわれていたこと”自体が、ばかばかしく思えてきて(笑)。「そういう考え方もあるんだな」と、少しずつ自分を受け入れられるようになっていきました。
夫から「そのままのあなたが素敵だよ」と言ってもらえたことには、今でも心から感謝しています。
───身近な人からの些細なひと言に救われることって、ありますよね。
あと、子どもたちを眺めていると自分のことも少しずつ好きになってくるから不思議です。「私とおんなじ耳、かわいいな」とか、「ふっくらした頬も、こんなに愛おしいんだ」と温かい気持ちが込み上げてきて。なんだか子どもたちから「そんなの気にしなくていいよ、生まれたままのあなたで完璧だよ」って言われているようです。
もちろん今でもコンプレックスはありますが、やっと少しずつ自分の顔を好きだと言えるようになった気がします。
───素敵なエピソードですね……!周りの力を借りて、少しずつ考え方が和らいでいく様子が伝わってきます。
自分がこんなだから、子どもたちにも「自分の全てを愛しなさい」と押し付けることはできません。でも、嫌いな部分も含めて自分を受け入れてほしいなぁと、心から願っています。
親子で学び合う、“見た目の呪い”から自由になるヒント

───「こうあるべき」という価値観って、周りの何気ない言葉からも影響を受けると思うのですが、お子さんと接するときに意識していることはありますか?
これもなかなか難しいのですが、強いて言うなら“子どもが自分で選ぶ”ことを大切にしています。
たとえば息子は、姉の真似をして「ドレスを着たい!」「ピンクが好き」「髪を切りたくない」と言うこともあれば、戦隊ヒーローやポケモンに夢中になることもあるんです。そんなとき、「それはちょっと……」とか「こっちにしたら?」と、自分の価値観で誘導しないように、ぐっとこらえるようにしています。
ルッキズムやジェンダーを学ぶようになってから、昔の自分が見たら驚くくらい、ものの見方が変わりました。ドレスを着て喜ぶ息子を見て「いいね!」と思えるようになった一方で、「男の子っぽい」ものを選ぶと「世の中の影響を受けすぎていないかな?」と少し心配になることもあります。
でも本当に大切なのは、「どっちのあなたも素敵だね!」と受け止めてあげることなんですよね。どちらも、“その子らしさ”の一部なのだから。大人が勝手につくった“かわいい”や“かっこいい”に左右されず、「こっちがいい!」と選べるままでいてほしい。
だからこそ、私の中にある無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)にも気づきながら、子どもと一緒に学び、アップデートしている最中です。

───たしかに、大人の言葉って、子どもが思っている以上に影響を与えますよね。
でも、どれだけ気をつけていても、子どもから突然「女の子がそれやるの変!」とか「男の子はダメ!」なんて言われることもあります。そんなときは、「ダディだって男の子だけどピンク着てるよ?」「マミーも女の子だけど髪短いでしょ?」みたいに、身近な例を出して話すようにしています。
頭ごなしに「そういうこと言わないの!」と注意しても、子どもには「怒られた」という印象だけが残っちゃうんですよね。
───たしかに、言葉の選び方も難しいですね。
我が家では、海外のアニメや絵本もよく活用しています。髪の長い男の子、大工のお母さん、専業主夫のお父さん……そんな“固定観念にとらわれない登場人物”が出てくる物語を一緒に観ておくと、「あのキャラクターもそうだったね!」と話がしやすいんです。子どもも「あ、たしかに」と自然に気づいてくれる。

もちろん、忙しい日々の中で全てを丁寧にできるわけではありません。でも子どもって本当に、大人の言葉や態度をすごい勢いで吸収していくんですよね。親や先生の言葉、テレビの中の一言、ちょっとした口ぐせまで。
「あなたはあなたのままでいいんだよ」って言いながら、親が「あの人、最近太っちゃってさ」「シワやばい!」なんて言っていたら、子どもは“あれ?”って思うはず。……正直、めちゃくちゃ難しいんですけど(笑)。まずは大人である私たち自身が、「見た目で他人や自分を判断したり差別しない」という姿勢を見せていかないと、子どもには見抜かれる気がしています。
いまだに社会に翻弄される私は、きっと“完璧な親”にはなれないから。悩みながら模索する姿を見せていきたいなって思います。ルッキズムに正解なんてないからこそ、子どもと一緒に悩み、考え、時には立ち止まりながら進んでいく。そういう姿勢そのものが、子どもに伝わっていくんじゃないかなと思うんです。
「生まれたままのあなたの、すべてが完璧なんだよ」

───最後に、見た目(容姿・体型)にまつわる“こうあるべき”の呪いを、子どもたちに引き継がせないために、どんな社会になっていったらいいな、と思いますか?
モヤっとしたときに「それ言われて嫌だった」と素直に言えて、「そっか。気づかなかったけど、そう感じる人もいるんだね」と受け止められる社会になったらいいなと思います。
私自身、子どものことを「ハーフってだけでチートだよね」と言われたとき、何も言い返せませんでした。でも、もし誰かがこの記事を読んで、「そういう言い方をされると嫌な人がいるんだな」と気づいてくれたら、それだけで言葉にした意味があると思うんです。
最近は日本でも、ドラマや映画、漫画などで、いろんな視点を描く物語が増えてきましたよね。そうした作品を通して“自分とはちがう誰かの感じ方”に触れ、「こういう人もいるんだな」と受け止められる人が増えていくといいなと思います。
だからこそ私も、親として、ライターとして、自分や誰かから見える世界を言葉にして伝え続けたいです。それがお互いの“ありのまま”を認めあう優しい世界につながると思うから。

“かわいい顔”ってなんだろう?ウィルソンさんの取材を終え、鏡の前に立ってみる。
そこに映っているのは、祖母とそっくりなぷっくりした頬。父とおんなじ形の鼻。母からそのままもらったような目。スポーツで鍛えた太もも。食いしん坊だとバレる脂肪のついたお腹。ホルモンバランスと格闘した跡が残るニキビ。
何の基準にも当てはまらない、唯一無二の自分が、そこにはいた。
残念ながら、これからも「なんか太ったなぁ」「もっと目が大きかったらなぁ」と思う日は来るだろう。
でも同時に、忘れないでいたい。
「そんな私も、いいよね!」と、“思ってもいい”ことを。そして同じように容姿や体型のコンプレックスを口にする人がいたら、「そんなあなたも、素敵だけどね!」と笑って言えたらいい。
だって私たちは、世界でたった一つの愛おしい身体を持って、生まれてきたのだから。これからも、この身体一つで生きてくのだから。私だけは、私の味方でいてあげよう。
容姿や体型への厳しい視線に疲れてしまったら、そっと呟いて。
“いつもありがとう、これからもよろしくね”
“かわいい”“かっこいい”に当てはまらない、愛おしい自分とともに、これからも生きていくために。
ソラミドmadoについて

ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media
執筆

生き方を伝えるライター・編集者
1996年生まれ。“人の生き方の選択肢を広げたい”という想いでライターになる。女性の生き方・働き方・ジェンダー・フェミニズムを中心に、企業のコンテンツ制作やメディア寄稿、本の執筆を手掛けています。埼玉県と新潟県糸魚川市の二拠点生活をしながら、海外にもよく行きます。柴犬好き。
プロフィール:https://lit.link/misatonoikikata
編集

大学在学中より雑誌制作やメディア運営、ブランドPRなどを手がける企業で勤務したのち、2017年からフリーランスとして活動。ウェブや雑誌、書籍、企業オウンドメディアなどでジャンルを問わず執筆。2020年から株式会社スカイベイビーズ(ソラミドmadoの運営元)に所属。2023年には出産し一児の母に。お酒が好き。
撮影

フォトグラファー / ディレクター。東京と岩手を拠点にフリーランスで活動。1996年生まれ、神奈川県出身。旅・暮らし・人物撮影を得意分野とする。2022年よりスカイベイビーズに参加。
https://asamiiizuka.com/














