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心惹かれたものに対し、まっすぐに、貪欲に。興味の“偏り”を繰り返し手に入れた、馬場未織さんの生き方

建築ライターであり、2007年からは東京と南房総での二地域居住を実践する馬場未織さん。

平日は東京で働き、週末は南房総の大自然のなかで、ある種、衣食住の原点ともいえるような暮らしに没頭する。今でこそ地方移住や二拠点生活が話題になる機会も増えましたが、馬場さんは、そんな新しくも原始的な生活を15年ほど続けてきたパイオニア的存在です。

子育ての環境を考えた結果、馬場さんが二地域居住という生き方を選ぶことになった経緯、その後の大自然での暮らしぶりや、南房総という地域に対する思いについては、著書やWebコラムを通して拝見していました。

この焼けた畳に寝転んでカルピスを飲み、空の色を見ながら過ごせればいい。他にいろいろいらないや。シンプルで飾らない生活を思わせるこの家に、わたしは今までにないほど強く強く惹かれました

『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)より引用

馬場さんは二地域居住を決断されたとき、その後住むことになるお家と土地に対して、著書で“恋に落ちた”と表現されています。それまでは、土地を探しながらも「本当に実現できるのかな?」といった疑念を拭いきれていなかったそう。しかし、その場所に出会った瞬間、自分たちのリアルな暮らしぶりがありありと想像できたといいます。

その後、実際に土地を取得するためのさまざまなハードルもありましたが、心を狂わされるほど惹かれた場所での暮らしを手に入れるために、馬場さんは「できる手段を考えよう」とポジティブに前進し続け、恋に落ちた場所での二地域居住を実現されました。

筆者は上記のエピソードなどから、馬場さんご自身が「これだ!」と思ったことに対して、軽やかに、しなやかに、それでいて力強く進み続ける生き様に興味を抱き、そのパワーの源を知りたくなりました。 今回のインタビューでは馬場さんの半生を振り返り、心惹かれたものに対して妥協しない、彼女の生き方の原点を覗き見ます。そして現在の馬場さんにとっての自然体がどのように形づくられてきたのか、探りたいと思います。

これだ! と思ったら、のめり込む。偏った子でした

馬場さんは、東京都文京区のご出身。

今では南房総との二地域居住を始めてから15年経ち、大自然の中に身を置くことが当たり前になった馬場さんですが、もともとは都会のマンション育ち。幼少期はインドアっ子だったといいます。

子どものころは、とにかく本を読むのが大好きでした。親が読書家だったのもあり、本が身近だったんですよね。なかでも思い出に残っているのが『ママお話きかせて』という読み聞かせの本。幼いころ、忙しい父が家にいるときに読んでくれるのが本当にうれしくて、今でも大切な記憶として残っています

あとはピアノを習ったり、弦楽合奏クラブでコントラバスをやったり。子どものころは本当にインドア派でしたね。バスを乗り継いで学校に通っていたから、近所にお友だちもあまりいなくて。そういった環境も、内向きに本を読んだりして過ごすひとつの理由だったのかもしれません

一方で、自然とともに暮らす、現在の馬場さんの片鱗をうかがえるエピソードも。都会育ちで周りに自然も少ないなか、気づけば生きものに対する興味を持つようになっていました。

小学校1年生のときには、夏休みに『ファーブル昆虫記』を買ってもらったんです。第一巻に出てくるフンコロガシの話がすごく面白いなと思って。後ろ足で蹴りながら、少しずつフンを大きくしていく虫に、7歳の女の子だった私は心惹かれたんですよね。生まれ育った文京区には、ほとんど自然らしい自然がなかったけれど、虫って面白いな、と。当時は意識したことなんてありませんでしたが、今思えば、幼いころから自然に対する興味や憧れは膨らんでいたのかも

今では、南房総でカエルや虫など、たくさんの生きものと戯れることがあるという馬場さん。幼いころは、手元のちいさな自然をめいっぱい楽しんでいたようです。

雨が降ると、マンションの塀にニョロニョロと出てくるナメクジやカタツムリを手に這わせて連れ帰ったり、まじまじと眺めてみたり。学校の理科の実験で、繭から糸をとるために蚕を飼ったときには、勝手に蛾に育てて卵を産ませたり。これもまた、理科の実験でショウジョウバエを飼ったときにも、家で繁殖させてしまって。両親もすごくおおらかで、ハムスターを放し飼いにするような人だったのですが、ショウジョウバエを大発生させたときにはさすがに怒られました(笑)

そんな、一風変わっていて、思い切りのよさを感じさせる、幼少期のユニークなエピソードを語ってくれた馬場さん。

インタビューを通して、「これだ!」ということにのめり込んできたご自身のことを「偏っているんです」と表現し、ちょっぴりはにかんだような、チャーミングな笑顔を浮かべる姿が印象的でした。

気になったことには、とことんのめりこむ。

 そんな馬場さんの素敵な“偏り”は、その後の人生でもいくつかの方向へと伸びてゆき、

現在の生き方へとつながっていきます。

自分の心に厳密に。納得いく道を選び取るために

ご両親が建築関係のお仕事をされていた影響で、幼いころから建築の仕事に憧れを持っていた馬場さんは、大学進学時に迷わず設計を学ぶことを決めたそう。

大学進学後は、それまで漠然と抱いていた興味や憧れが、明確な知識欲として淀みなく溢れ出るようになりました。

建築って、法規も、構造計算も、デザインのメソッドもオールラウンドにめいっぱい学ぶ必要があるから、当時は毎日建築のことを考えていました。私は漠然とした憧れから建築の道を目指すようになったけれど、周りには既にデザインの勉強をしていてめちゃくちゃスケッチが上手な人がいるんです。私の手はなんでほかの子みたいに動かないんだろう……って悔しくて、スケッチの練習もいっぱいしました。あとは建築雑誌を隅々まで読んだり、展覧会にも行ったり。本当に、あのころはマニアだったなぁ(笑)

学べば学ぶほど、見えてくる世界が変わっていく面白さがあるんですよね。扉を開けると、またもっと深い世界がある。ドキドキしながら扉を開け続けていく感じ。知識を身につけることで、建物の構造やディテールがどんどん見えるようになってくるんです。それまで目に入らなかったものが見えるようになって、自分のボキャブラリーになっていくっていうプロセスが、本当に面白い。もう、寝る時間が惜しいと思ったほどです

馬場さんが何かに没頭するときの原動力。それは、新たな知識を得ることによって“見える世界が変わる”ことに心が動くからなのかもしれません。

そして建築の世界へと、どんどんのめりこんでいった馬場さんは、自然な流れで設計のお仕事を目指すように。ここでも、馬場さんを形づくる“偏り”が発揮されます。

大学院を出るとき、どうしても、本当に働きたいと思える場所に出会えなくて。ようやく『ここで働いてみたい』と思えた小さな設計事務所を訪ねてみると、『今は仕事がないから、半年後に来てね』と。あとから思えば断り文句だったのかもしれないけれど、真に受けた私は半年間、大学院の先生の助手みたいなことをしながら待ちました。半年経って、再び訪ねてみると、『本当に来たの?』って(笑)。そのまま、幸いにも働かせてもらえることになりました

もちろん、当時は焦る気持ちもありましたよ。周りはみんな、就職してバリバリと働いていましたし。でもやっぱり、自分に対して妙に厳密なところがあって。本当にやりたいことじゃないと、頑張れないような気がしたんです。今思えば、当時はちょっと厳密すぎでしたね(笑)

どこか不安を抱えつつも、自分の道を決めるときは妥協したくない。

「あのころは若さもあったからなぁ」と、馬場さんは笑います。でも、そんなまっすぐなこだわりは、きっと彼女がその後の人生に納得し続けるためにも、必要なことだったはずです。

我を忘れて夢中になれることを楽しんでほしい

3年ほど設計事務所で勤めて、一人目のお子さんとなる息子さんの出産を間近に控えたタイミングで退職。

しばらくの間は子育てに専念しながら、時折研究室のお手伝いなどをして過ごしていた馬場さん。二人目のお子さんとなる娘さんが2歳になったころ、大きな転機が訪れます。

二地域居住の開始です。

息子さんは、自然や生きものに触れることが大好きだったそう。その興味の芽をのびのびと伸ばしてほしいという思いがあった馬場さんは、週末ごとに東京近郊で自然を楽しめる場所へと家族で足を運んでいました。

ですが、そんな生活を続けるうちに「本当の意味で、自然に触れさせてあげられているのだろうか?」と、疑問を抱くようになったのだとか。

そうやってお子さんが育つ環境について模索し、たどり着いたのが、南房総との二地域居住だったのです。

私、人が我を忘れてやりたいことに夢中になっている姿を見るのが何より好きなんです。息子が必死に川を覗き込んで生きものを見たり、そのまま泳ぎ始めたり……そんな子どもの姿を見られる楽しさは、本当にかけがえなくて。生きていることを楽しんでいるなって感じられるんです。お仕着せで『やりなさい』って言われたことって、つまらなくないですか? 私の場合はそうだったから、子どもにも、自分のやりたいことを、思う存分やってみてほしいと思ったんです

きっと、ご自身が「これだ!」と感じたことに、とことんこだわりを持ち、偏り、納得する道を選んでこられたからこそ、お子さんたちにもそうやってのびのびと成長してほしい、という思いを持たれているのでしょう。

 家族の生き方を模索し、葛藤を抱えていたなかで二地域居住の可能性へとたどりついた馬場さん。冒頭でもご紹介したように、南房総の土地へと“恋に落ち”、2007年から“週末は南房総の里山で暮らす”生活が始まりました。そんな暮らしも、もう15年ほど続いています。

最初は子育てのために始めたのに、今では子育てが理由にならなくなっちゃって。気づけば私自身にとっても、南房総での暮らしが心の拠り所になっていました。物理的に、身体を東京から自然のなかに移すと、心身がものすごく楽なんです。『ここでしか生きられない』じゃなくて、『こっちでも生きられる』っていう、安心できる場所が複数あることが心地よいんですよね。ひとところに留まっていると、どうしても何か行き詰まったときに、自分を俯瞰できなくなることがあります。でも、ぜんぜん違う環境に身をおいて紐解くと、物理的距離をもって解決の糸口を探ることができたりする。このような“移動の価値”は、二地域居住だからこそ得られるものなんだと感じます

もともとは、お子さんのことを想って始めた二地域居住。

現在では、馬場さんにとっての心の拠り所として、なくてはならないものになったようです。

“偏り”を突き詰めた結果、大きなひとつの花に

現在馬場さんは、ご自身の経験を活かして建築ライターとして活動しながら、NPO法人『南房総リパブリック』の代表理事も務め、南房総での暮らしや豊かな自然を未来へとつなげるための取り組みにも携わっています。

南房総で暮らすようになって、地域の方たちには本当におんぶに抱っこの状態で、何から何まで教えてもらってきました。でも、そうやって私たちにいろいろなことを見せて、伝えてくれる人は高齢の方ばかり。これから先、この地域での営みを絶やさないためにも、私たちにやるべきことがあるんじゃないかと思うようになったんです。そんなときに、周囲から『一緒にやろう』と声をかけてもらったことがきっかけとなって、NPOを立ち上げました

私自身は都心で生まれ育ったので、地域のコミュニティに所属した経験がありませんでした。だからてっきり、そういうのが苦手なんじゃないかと思い込んでいたんです。でも、子どもを生んでからはその意識が変わりました。子育てをしていると、人に助けてもらうことがめちゃくちゃ多いんです。それまでは、自分の力で生きていける、なんて思っていたけれど、間違っていた。人とつながり、助け合うことの大切さに気付かされました

幼少期からの素敵な“偏り”によって、ご自身の興味・関心を貪欲に突き詰め、納得いく道を選び取ってきた馬場さん。そうやって手繰り寄せてきた生き方が、年齢を重ねるごとに得てきたさりげない学び、そして家族を持つことによって生じた心境の変化などと溶け合って、花が開くように周囲へと意識が広がっていったのでしょう。

そして、南房総の未来を考え、周囲と力を合わせて地域のために活動することも、現在の馬場さんにとっての“偏り”の対象であり、没頭していることのひとつなのだと感じます。

最後に、これからどんな生き方をして、どんな自然体の自分を目指していきたいか、聞いてみました。

とにかく、つまらないのが嫌いなんです。特別なことはなくてもいいんだけど、毎日の小さなことにもうれしいなとか、心がぷよっと動くことを感じられる毎日を過ごしたい。何もない、と思って生活を送っていると、本当に何もないんですよ。だから、日々なんでも吸収して、小さなことでも学んで、考え続けていきたい。私、歳をとるのが怖くないんです。年齢を重ねれば重ねるほど、若いときに見えなかったものが見えてくる実感があって、すごく順方向に生きられている感じがする。これからもそうやってワクワクの自家発電を続けながら、“機嫌のいいおばさん”になれたらいいな

<プロフィール>

馬場未織さん

1973年東京都生まれ。1996年日本女子大学卒業、1998年同大学大学院修了後、建築設計事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年株式会社ウィードシード設立。プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を往復する暮らしの中で、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、食の2地域交流、南房総市の空き家調査などを手掛ける。著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。


ソラミドについて

ソラミド

ソラミドは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

取材・執筆

笹沼杏佳
ライター

大学在学中より雑誌制作やメディア運営、ブランドPRなどを手がける企業で勤務したのち、2017年からフリーランスとして活動。ウェブや雑誌、書籍、企業オウンドメディアなどでジャンルを問わず執筆。2020年からは株式会社スカイベイビーズにも所属。
https://www.sasanuma-kyoka.com/

撮影

飯塚麻美
フォトグラファー

東京と岩手を拠点にフリーランスで活動。1996年生まれ、神奈川県出身・明治大学国際日本学部卒業。旅・暮らし・ローカル系のテーマ、人物・モデル撮影を得意分野とする。大学時代より岩手県陸前高田市に通い、おばあちゃんや漁師を撮っている。2022年よりスカイベイビーズに参加。
https://asamiiizuka.com/