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「食を豊かにすれば、自分も、人も大切にできる」訪問調理師ごはんさんがたどりついた、家庭に料理を届ける道

訪問調理師として活躍する、ごはんさん。

訪問調理師とは、その名のとおり家庭を訪問し、料理をつくる人のこと。

「忙しいから料理を任せたい」「たくさんつくり置きしてほしい」「いつもと違う料理を楽しみたい」などといったさまざまな需要にこたえ、各家庭の家族構成や好み、アレルギーなどに合わせた料理をつくります。食材や調味料もそのとき家庭にあるものを使うため、臨機応変な対応力と、レパートリーの豊富さが見せどころになるお仕事です。

ごはんさんは「予約のとれない訪問調理師」として話題で、テレビやメディアでのレシピ監修や書籍の出版など、いまや引っ張りだこの存在。

そんなごはんさんの人気の秘訣は、料理の腕前もさることながら、そのお人柄なのだと、長く一緒にお仕事をさせてもらってきた筆者は感じています。

周囲の人に心からよりそい、関わる人々を、家族のように分け隔てなく大切にしてくれる。

いつも朗らかでポジティブで、一緒にいるとこちらまで元気になってしまうような、素敵な人。私も気付けば、おねえちゃんのように慕っていました。

きっと、そんなごはんさんだから、訪問先でも家族の一員のように愛され、何年にもわたってリピートするお客さんが続出しているのでしょう。

今回のインタビューでは、ごはんさんが訪問調理師になるまでの道のりや、料理へと込める思いについてお話を聞きました。

関わる人を惹きつけてやまない彼女の魅力と、料理を通してごはんさんが届ける“心と身体の豊かさ”について、覗き見たいと思います。

世界を巡って知った暮らしの多様さと、料理の楽しさ

ごはんさんが、料理の道へ進むことになった経緯をぜひ知りたいです。昔から、料理に興味があったんですか?

ごはんさん

両親が共働きで、子どものころからご飯を炊くとか、おみそ汁をつくるとか……簡単な料理や家事は当たり前にやってきていたの。嫌いではなかったっていうか、たぶん結構好きだったんだと思う。でも、それを仕事にしようなんて、いっさい思っていなかったなぁ。

生活するうえで当たり前にやってきたからこそ、仕事にしようなんて意識は生まれなかったんですね。

ごはんさん

そうそう!

そのままなんとなく学生時代を過ごしていたら、高校生のときに、アフリカの少年兵だった人が学校にきて、講演をしてくれたことがあって。「僕は人を殺したことがある」って、過酷な経験を聞かせてもらったの。それまでわたしはへにゃへにゃとお気楽に生きてきたのに、こういう世界があるんだ……って、ぞっとした。それで海外に興味を持って、大学は国際協力系の学部に進みました。

まだ、そこからどう料理の道につながるのか想像がつかない……。

ごはんさん

ふふ。

当時は「何をしたらいいかわからないけど、誰かを助けたい! とにかくいろいろな国のリアルな状況を見てみたい!」って、もうそれしか考えられなくなっちゃって。大学時代は、お休みのたびに海外にいってました。いま思えば、若さで突っ走っていたなぁ……。ちょっと汚らしい格好をして、大きいリュックを背負って(笑)。

行動力とエネルギーがすごいです。

ごはんさん

自分で体感しないと納得できない性格だから、大学時代に思いっきり自分の足で好奇心を満たせたのは本当によかった。

で、そのときに、料理が楽しいって思ったの!

旅と料理が、どうつながったんですか?

ごはんさん

観光したくて行っているわけじゃなく、とにかく現地の生活を見たい、触れたいっていう欲しかなかったから、いざ海外に行くと、食事に関する行動をすることが自然と多くなっていったんだよね。

ホームステイ先のお母さんの横にくっついて、台所で料理しているのをずっと見させてもらったなぁ。見たことのない調味料がずらーっと並んでいて、ワクワクした!

それと、タイの屋台では、路上でものすごく大きな鍋を5個くらい置いて、焼きそばをつくっていて。毎日見に行っていると、「またきたの〜?」って、つくり方を教えてくれたりするの。

現地の生活を見るための旅だったからこそ、その国のリアルな食文化に触れる機会が多かったんですね。

ごはんさん

そうだね。

それに、いろいろな国や家庭の生活に触れるうちに、家のつくりも、神様の信仰も、お風呂の入り方も、ぜんぜん違うことに気づいて。人の生活には、いくつもの方法があって、多様な価値観があって、面白いなって思ったんだよね。

そのなかでもわたしは、料理に興味を持ったっていう感じかな。

大学卒業後の進路はどうされたんですか?

ごはんさん

食にまつわる仕事をしたいと思いつつ、国際協力の道も捨てきれなくて。就活を始めたころは、世界の食に関する問題解決のための活動ができたらいいなって、教育系のNPOを目指したりもしたんだけど……わたしは東日本大震災の年の就活生で、ちょっと厳しくて。そのほかでいろいろな企業を受けた結果、スーパーに入社しました。

スーパーでは、どんなお仕事をされたんですか?

ごはんさん

お惣菜部門に配属になって、とにかく料理の毎日!

すごく大きな鍋で天ぷらを揚げたり、巻き寿司をひたすら巻いたり、ご飯にあふれている感じで毎日楽しかったなぁ。大きな会社だったから、お魚やお野菜の部門とコラボ商品を出したり、メーカーさんとタイアップもしたり。創作意欲をかきたてられるような仕事も多くて、やりがいもあったんだ。

ただ、効率重視の面が大きいから、時間に追われるようになって。だんだん、何も考えられなくなっちゃったの。

仕事に追われて、目の前のことでいっぱいいっぱいになってしまったんですね。

ごはんさん

そう。

ある日、小さなお子さんを連れたお母さんが、アレルギー表示の前で立ち止まっているのを見かけて、声をかけてみたの。

お母さんが買おうとしていたコロッケにアレルギー食材は使われていなかったんだけど、「ほかのお惣菜と同じ油を使って揚げているから、絶対に大丈夫とは言えないんです、申し訳ございません」ってお伝えしたら、すごく悲しそうな顔をされていて。

そのときにふと、「わたしがやりたいことは別の場所にあるかも」って思った。

次のステップが見えた瞬間ですね。

ごはんさん

うんうん。

スーパーは、あらゆる人の生活によりそっている本当に素敵なお店だけれど、そのときのわたしは、お惣菜を量産することでいっぱいいっぱいになってしまっていたから。

もっと、「人」を見て食を届けられるようになりたいと思って、スーパーを辞めることにしました。まずは、環境を変えてみようって。

食事は、人と人生をつくるもの

その後、ごはんさんが訪問調理師になるまでの道のりが気になります。

ごはんさん

まだまだ、そこに至るまでにはいろいろあったんだよ〜!(笑)

でも、“料理の道で生きていこう”って覚悟が決まる運命の出会いは、スーパーを辞めた少し後にやってきたの。

運命の出会い、ですか?

ごはんさん

ある会社の調理インターンとして働くことになったんだけど、その会社は社員の食事を大切にしていて。わたしの仕事は、社員のみなさんのご飯をつくること。

当時のわたしは、“いかに速く、効率よくつくるか”っていう考えが染み付いてしまっていたけれど、そんなとき、そこのボスに言われたのが「食事は、身体の中に入るもの。その人自身も、その人の人生もつくるものだから、内臓に触れるように大切に食材を扱いなさい」「速くつくらなくていいから、ゆっくり、丁寧につくりなさい」って言葉。

もう、雷にうたれたような気持ち。心に響きまくっちゃって、「やりたかったのは、これ!!」って、視界が開けた!

ビビっときたんですね。

ごはんさん

ご飯に対して、あたたかさを感じたというか……思えばわたしも大学生のとき、いろいろな国でおうちに泊めてもらって、お母さんたちがご飯をつくってくれて。帰るときは泣きながらわたしの健康と幸せを祈ってくれて……。

感謝感謝、の気持ちで生きてきたはずなのに、わたしはなんて大切なことを忘れてしまっていたんだ! って気持ちになりました。

あ、ちなみに、「ごはん」って名付けてくれたのも、ボスなの。

ごはんさん、誕生の瞬間!

ごはんさん

そこからはもう、わたしがつくったご飯でみんなが喜んでくれる日々が本当に楽しくて。自分の頑張りに100%の感謝をもらえる環境で、ぬくぬくと幸せに育ててもらいました。

誰かと競うとかもいっさい考えなくていい環境で、自分だけの芽を、とにかくのびのびと伸ばさせてもらったなぁ。

料理の楽しさとやりがいを思う存分味わいながら、自然なかたちで経験を積むことができたんですね。

ごはんさんは、小学校の給食調理員もされていたとチラッと聞いたことがあります。それはいつごろだったんですか?

ごはんさん

それはね、調理インターンと並行してやっていたの。ボスのもとで働きながら、もっといろいろな料理を知ってみたいと思って。

子どもの食事はまだ見たことがなかったのと、幸いにもスーパーで働いていたときに調理師免許を取っていたのもあって、小学校の給食調理員を始めたんだよね。

並行して……? ものすごく忙しそうです。

ごはんさん

給食は朝が早いけど、そのぶん夕方早めの時間に終わるから、そのあと会社にいって、社員のご飯をつくって、という生活。

休みの日は、千葉のオーガニックカフェで働いて、ヴィーガンの勉強をしたり。ほかにもレストランの厨房で働いたり、浅草の仕出し屋さんにも通ったり。ご縁があって、ケータリングの活動も少しずつやらせてもらうようにもなったりして。

学生時代のお話でも感じましたが、本当に「これだ!」と思ったときの行動力がすごいです。

ごはんさん

ボスの言葉のおかげで確固たるものを見つけられたから、あとはとにかく「なんでも知りたい、伸ばしたい!」っていう思いで過ごしてたなぁ。あのときの1〜2年間はほんっとうに忙しかったけれど、「あぁ、生きてる!」って感じの日々だった!

それで、ケータリング仲間のおねえさんが、訪問調理をされている方だったの。その人が忙しくなって、「引き継いでくれない?」って言われたのが、わたしと訪問調理の出会いです。

ついに、訪問調理師に!

ごはんさん

当時は訪問調理師っていう仕事もぜんぜん広まっていなくて、わたし自身も訪問調理師をやっている、なんて自覚はなかったんだ。

少し後に、ボスが異動になってしまったり、会社の体制が変わったりしたのもあって、調理インターンの仕事からは離れることになって。その後も、滋賀への移住を考えたり、引っ越しのために一度ほとんどの仕事を辞めたり、でも移住が白紙になって、仕事がなくて焦ったりした期間もあったんだけど……

その空白期間のお話もすごく気になる(笑)。ぜひまたの機会に聞かせてください……

ごはんさん

ふふふ。

そんなときに、友だちから「あなたみたいな仕事している人、最近テレビでよく見るよ」って言われたの。それが、志麻さん(“伝説の家政婦”として知られるタサン志麻さん)のことだったんだ。

たしかに、志麻さんの話題とともに、訪問調理という仕事が広まっていったように思います。

ごはんさん

そうそう。訪問調理師として、おうちを訪ねてご飯をつくっている人が最近人気らしいって、わたしもそのとき知ったなぁ。

それで、「これ、わたしがやってきたことだ! 仕事にできるんだ!」と思い立って、訪問調理師としてやっていくことになりました。

食が豊かになると、心も暮らしも豊かになる

訪問調理師として活動するようになって、大切にしていることはなんですか?

ごはんさん

訪問調理師は、わたしがボスから学んだ、「ご飯はただ食べるものじゃなく、人生とその人自身をつくるもの」っていうことを、自分なりに伝えられる仕事だと思ってます。

お客さまは、たぶんそこまで求めているわけじゃなくて、きっと、忙しいからご飯をつくってほしい、という気持ちがいちばん。でも、お客さまにわたしの思いをチラッと伝えると、すごくよろこんでくださるし、家族の一員のように迎えてもらえる感じがあるの。

だから、ご飯をつくる人っていうよりは、家族の健康と未来を守るような仕事だと思って、料理をさせてもらってます。

あとは、食材をつくってくれている農家さんたちに心をよせる機会も、少しずつでも届けたい、と思ってるかな。

農家さんと各家庭を結ぶっていうことですか?

ごはんさん

うん。お客さまに、知り合いの農家さんを紹介して、わたしが行く日にあわせて野菜ボックスを届けてもらうの。それで、おうちに伺ったときに「この農家さんは、こういう野菜をつくるのが上手なんです、こんなにおいしいんです」なんて話をしながら料理をして。

それでお客さまは、野菜を食べているお子さんの写真を農家さんに送ってくれて、農家さんもすごくよろこんでくれる!

楽しそうですね!

ごはんさん

普段、何気なく食事の時間は過ぎていってしまうかもしれないけれど、「この食材をつくってくれている人はどんな人なんだろう、どんな暮らしを送っているんだろう?」って想像してみると、ちょっとやさしい気持ちになれたりする。そういう、ちょっとした発想の飛ばし方次第で、心も暮らしも、豊かになると思うんだよね。

農家さんと直接つながるのって、普通に生活しているとなかなか難しいから、わたしがきっかけをつくれたらいいなって。

なるほど。

食を届ける仕事が世の中にはたくさんあるなかで、いま、ごはんさんが訪問調理師をされているのは、どうしてだと思いますか?

ごはんさん

やっぱり、各家庭に入り込んでご飯をつくらせてもらえるっていう距離感かなぁ。

好みやアレルギーの有無、家族構成にあわせてつくるのはもちろんだし、それぞれの家族の気持ちにまで手を伸ばせるっていうのが、すごくやりがいです。

そうそう、それとね、そろそろ訪問調理師育成を始めたいと思っております!

おお!!

ごはんさん

わたし自身、「ご飯はただ食べるものじゃなく、人生とその人自身をつくるもの」っていう言葉をもらって、確固たる信念を持てるようになったというか、しっかりと根を張れるようになったと思っていて。そのうえで自由に、興味のおもむくままに料理をさせてもらってきた。

本当に、当時の職場や関わった人たちには、のびのびと育ててもらって感謝しています。

だから今度はわたしが、だれかがのびのびと育つことができるような機会や環境を届けられたらいいなって。

素敵。楽しみですね。

ごはんさん

最近、料理って、“速い”ことがよしとされているというか。もちろん、時短料理は忙しい毎日の味方だし、すばらしいジャンルだと思うけれど、時間をかけてつくる余裕がないのは、もったいないことだなって。

だからわたし自身もボスに教わったように、ゆっくり丁寧につくることの大切さを伝えて、少しずつ広げていきたいな。

やっぱり、食べることは生きることに直結するから。丁寧に食事をつくることは、自分や家族を大切にすることにつながると思う。

まさに、「食は人と人生をつくる」ですね。

ごはんさん

食べることを大切にすることは、自分の身体も、人生も大切にするということ。それで心や身体が健康になると、周りの人も大切にしようと思えるから。

それって、人間としてすごく健やかで、自然なことなんじゃないかなって。

わたしは、みなさんの“食べること”を豊かにして、自分にも、周りにもやさしくできる人を少しずつでも増やしていきたい。そういう気持ちのつながりは、きっと、世界平和にも結びついていくと思うから!

ごはん さん

訪問調理師/子ども料理研究家。
累計1,500件以上のお宅を訪問し、各家庭の味に寄り添った簡単で身体に優しい料理を提案している。著書『数カ月先まで予約でいっぱい! 訪問調理師ごはんさんのどんどんおかわりする子ども大好きレシピ78』『訪問調理師ごはんさんの野菜大好きレシピ』等。

Instagram: https://www.instagram.com/gohan.no.gohan/


ソラミドについて

ソラミドmado

ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

取材・執筆

笹沼杏佳
ライター

大学在学中より雑誌制作やメディア運営、ブランドPRなどを手がける企業で勤務したのち、2017年からフリーランスとして活動。ウェブや雑誌、書籍、企業オウンドメディアなどでジャンルを問わず執筆。2020年からは株式会社スカイベイビーズにも所属。
https://www.sasanuma-kyoka.com/

撮影

中村英史
フォトグラファー

1992年生まれ、神奈川県出身。東京大学大学院修了。ITベンチャーでマーケターとして勤務する傍ら、学生時代の写真店での勤務経験を活かして撮影を始める。修士研究で森林をテーマにしており、季節の事柄に興味あり。

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