死をカジュアルに語る「デス活」。先日、主催者である吉田英史さんに、死について他者と語り合うことの意義を伺いました。
今回は、鎌倉と新宿歌舞伎町で二ヶ月に一回開催されているデス活ワークショップの様子をお伝えします。
死を語り合うことで、新しい価値観や生き方のヒント得られる
鎌倉駅の駅前にある、小さな会員制図書室「かまくら駅前蔵書室」。特技を持った会員がさまざまなワークショップを開いており、吉田さんも2025年からこの場でデス活を始めた。
参加者の年齢層は、20代から80代までと幅広い。最近、家族や親族、知人が亡くなったという人もいれば、興味本位からという理由で参加する人もいる。
デス活のワークショップでは、参加者に事前にテーマを伝えている。死について語り合うための糸口となるものだ。

ワークショップの冒頭、「なぜデス活を始めたのか」について、吉田さんから10分程度の説明がある。その後参加者から自己紹介と参加動機を述べてもらい、テーマについて語り合う。
「命は誰のもの?」というテーマで始まった回では、「命は完全に自分のものだ」と20代の男子学生が口火をきった。
生きる苦しさを引き受けているのは自分自身であり、他人は代わりに人生を生きてくれない。自己決定こそが尊厳だと感じる。
それに対して、クリスチャンでもある30代の女性が別の考えを提示する。
命は神様から預かっているものではないか。人は自分で命を生み出したわけではなく、生と死には人知を超えた意味があり、預かりものと考えることで謙虚になれる。
介護現場で働く40代の男性は、次のように述べた。
命は本人のものだが、最後は支える人との共同のものになる。
さまざまなバックグランドを抱える参加者が、それぞれの立場で死生観を語り合っていた。約2時間の対話はあっという間に終わる。最後に参加者の一人ひとりから感想が述べられた。
「命は自分のものだ」と言っていた20代の男子学生は、次のように語る。
命は自分だけのものではないかもしれないという考えに変わった。死についての捉え方が一変した。
死について、自分の考えを言葉にし、他者と共有しあうことで、新たな価値観や生き方のヒントを得られる。それが「デス活」の妙味なのかもしれない。

生きることに悩む人こそ、デス活を
吉田さんがもう一つ定期的に「デス活」を開催している場所は、新宿歌舞伎町にある「公益社団法人日本駆け込み寺」だ。
家庭内暴力や金銭問題、ドメスティックバイオレンス、家出、ストーカーなど、人生のさまざまな問題を抱えた人々の相談を受けている場で、通称「歌舞伎町駆けこみ寺」とも呼ばれている。
近年は、悪質ホスト問題やトー横キッズなどの居場所のない若者らの支援でも知られている。
2019年に吉田さんは、ここでボランティアで悩める人たちに対して電話の相談対応を行っていて、その縁でこの場でも「デス活」を始めたのだという。吉田さんは言う。
本気で生きることに悩んでいる人たちが集う場所にこそ、デス活が必要だ。

ほかには、不定期にお寺で「デス活」のワークショップを実施している。お寺では住職の死についての説法から始まる。
本来は生死に特別な意味や価値はない。でも、世俗のさまざまな繋がりの中で、生死に特別な意味や価値が生まれる。
その後、参加者同士で車座になって住職の話された内容について対話する時間を持つ。時折うなずきながら言葉を受け止める。否定も、遮りもない。じっくりと死に向き合うことで、心が静まる。
最近では、企業の社員教育や福利厚生の一環で「デス活」を開いてほしいと声をかけられて実施することもあるそうだ
ITエンジニアの技術支援サービス(SES)を提供する株式会社ボールドでは、エンジニアに向けて定期的に実施。参加者の一人であるエンジニアは次のように述べた。
デス活が、死から逆算して今をどう生きるか、働くかを考えるきっかけになり、社員一人ひとりの主体性を高めることにつながるように感じた。
死を遠ざけるのではなく、そっとテーブルの上に置いてみる。生がよりくっきりと立ちあらわれてくる。デス活は、死について語り合う場であると共に、「いま、どう生きるか」を静かに問いかける場なのかもしれない。
気になる方は、ぜひ参加してみては。
※デス活の詳細や、ワークショップの日程などは、公式HPをご覧ください。
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