取材を通してさまざまな「自然体」のかたちに触れるなかで、私たちソラミドmado編集部自身もまた、自然体に近づくための実践を重ねていきたい——。 そんな想いから始まった連載『自然体探究室』。
第5回となる今回は、『美術館でアート鑑賞会』に参加してきました。主宰するのは、『大人のやさしいアートゼミ』の村上静香さん。
以前のインタビューでも印象的だった「アートを通じて自分と出会う」という体験を、実際に味わってみたい。そんな期待を胸に、編集部の飯塚と貝津で足を運びました。
今回は、当日の流れや参加者のみなさんとの交流を通じて感じたことを、当日の空気とともにお届けします。
村上さんのインタビュー記事はこちら
実践した人

ノンフィクション作家・生き方を伝えるライター
1996年生まれ。“人の生き方の選択肢を広げたい”という想いでライターになる。関心テーマは、女性の生き方・フェミニズム・LGBTQ+・クィア。著書『「自分のかたち」のまま、これからも私は」(WAVE出版)

1996年、神奈川県生まれ。フォトグラファーとして、東京と岩手の二拠点で活動。ソラミドmado編集部所属。ライフワークとして海や港で生きる人たちの写真を撮っている。
モネを“観る”ための、小さなヒントを携えて
さて、私たちが向かったのは、アーティゾン美術館で開催されている企画展『モネ没後100年 クロード・モネ ー風景への問いかけ』。クロード・モネの没後100年を記念し、日本初公開作品を含む数々の名作がオルセー美術館から来日。国内所蔵作品もあわせて、約140点が並ぶ大規模な展覧会です。
今日は、私たちを含めて9名が「美術館でアート鑑賞会」に参加することに。
鑑賞の前に、村上さんがやさしく言葉を添えてくれました。
「まずは、キャプションを見る前に、自由に観てみてくださいね」
その一言で、「ちゃんと理解しなきゃ」という小さな緊張がほどけていきます。うまく観ようとしなくていい。ただ、自分の感覚で受け取ってみる。そんなやさしい前提が、グループ内に共有されていきました。

展示室に入る前に、モネをより楽しむための視点についても教えてもらいました。
19世紀に活躍した印象派の画家たちは、同時代を生きる人々の姿や風景を描きたいという衝動を抱えていました。
そこへ「カメラの登場」が加わります。
それまで画家は「現実を正確に記録する」役割を担っていましたが、写真という技術が現れたことで、その意味が揺らぎ始めた。
私たちは何を描くべきか?
アートでしかできない表現とは何か。
印象派の表現は、そうした探究の末に生まれたものだったといいます。今でいうと、AIの登場にもどこか似ているのかもしれません。便利な技術が生まれたとき、人は改めて「自分にしかできないこと」を問い直すのでしょう。
さらに、当時はチューブ入りの絵の具が登場し、屋外で制作することが可能になりました。
光や風、空気、時間の移ろいといった、目に見えないものをどう描くか。そんな探究心も、モネの魅力のひとつです。
こうした背景を知るだけで、絵の前に立ったときの眼差しが、ほんの少し変わるような気がしました。
なぜ、この絵に惹かれるんだろう?対話が導く自分の気持ち
さっそくフロアへと足を踏み入れると、目の前にはモネの作品がずらりと広がります。その光景に自然と引き込まれるように、参加者のみなさんは思い思いのペースで鑑賞を始めていきました。
その場で感じたことを素直に言葉にしながら、隣にいる人とゆるやかに会話を交わす場面も。やわらかな空気が流れるなか、村上さんがときおりモネにまつわる豆知識をそっと添えてくれます。
その知識が自分の感じ方と重なり、「なるほど」と新しい視点がひらけていく。さらに「それなら、こんなふうにも見えるかもしれませんね」と、想像はやわらかく広がっていきました。

私(編集部・貝津)が足を止めたのは、暗い色合いが印象的な柳と睡蓮の一枚でした。
思えば、私が絵画鑑賞を好きになったきっかけも、旅先で訪れた美術館で出会った、一枚の睡蓮の絵でした。自分の背丈よりも大きなその作品に、ただ圧倒されるように見入った、あのときの感覚。偶然の出会いでしたが、それ以来ずっと、モネの作品に惹かれ続けています。
美術館に行くたびにポストカードを買い集め、アルバムのように大切にしまったり、部屋に飾ったり。やがてその生き方にも興味が湧き、モネの生涯を描いた本を手に取るほどになりました。
なかでも、光を含んだやわらかな色合いや、曖昧で繊細なパステルカラーの表現には、いつも心を奪われ、気づけば時間を忘れて見入ってしまいます。
けれど今回、心に残ったのは、そうしたイメージとは対照的な一枚でした。暗く、どこか荒々しさを感じる筆致の作品。なぜだろう、とその場に立ち尽くしていると、村上さんがそっと隣に立ち、やさしく問いかけてくれました。

「なんでこの絵に惹かれるんですかね?」
言葉を探しながら、ゆっくりと答えます。

モネの絵って、穏やかで、どこか希望や爽やかさを感じることが多い気がしていて。光がぱっと目に入ってきて、美しさに引き込まれるような。でも、この絵は少し違っていて……。こんなにダークで荒々しい表現もするんだなって、ちょっと意外で。ずっとポジティブでいなくてもいい、怒りや悲しさみたいな感情も、そのまま出していいんだよって、言ってくれているような気がしたんです。
すると村上さんは、やわらかく頷きながら教えてくれました。

すごく面白いですね。そういう見方もあるんだなぁ。この絵は、モネが70〜80歳くらいのときに描いたものなんです。晩年になって、風景の捉え方や表現する感情が変化していったのかもしれませんね。
その言葉を聞いたとき、自分の感じたことと作品の背景が、静かに重なった気がしました。
少しずつ会話を重ねるなかで、最初は曖昧だった感覚に輪郭が生まれていきます。
思っていたことを言葉にしてもいい、感じたままをそのまま差し出してもいい——そんな安心感が、じんわりと広がっていきました。
絵を観る体験を、自分の中だけに留めず、外にひらいてみる。そのことで、初めて気づける感情や、より確かな手触りとして残る想いがあるのかもしれません。
語り合いながら鑑賞することの面白さは、まさにその瞬間にあるように感じました。

誰かの視点が、自分の世界をひらく ―― 鑑賞後の振り返り
そうして鑑賞を終えたあと、私たちは近くの飲食店へと場所を移しました。ほっと肩の力が抜けたような空気のなかで振り返りの時間がスタートします。
まずは参加者9名の自己紹介から始まり、それぞれが「今日の一枚」を紹介していきます。
数あるモネの作品のなかから、いちばん心に残った一枚を選び、「なぜその絵だったのか」「どんなことを感じたのか」を、自分の言葉でそっと手渡すように場に共有します。
絵そのものの魅力について語る人もいれば、「最近こんな出来事があって」「どこか懐かしさを感じて、昔を思い出しました」と、自身の体験や心の動きと重ねて話す人も。そのどれもが、その人の眼差しで、その人のリズムで紡がれていきました。
周りの人たちは、「いいですね」「面白い!」「そんなふうにも見えるんですね」と、深く頷きながら耳を傾けます。共感したり、自分にはなかった視点に驚いたりしながら、自然と会話が重なっていく。正解のないものを扱っているからこそ、どんな言葉も否定されることなく、興味として受け止めてもらえる安心感がありました。
やがて会話の中から、「どうしてそう思ったんだろう?」という問いが生まれ、みんなでその“わからなさ”を楽しむような時間へと変わっていきます。答えを急ぐのではなく、揺らぎながら考えてみる。その余白が、場をより豊かなものにしているようでした。
特に印象的だったのは、ある参加者のこんな言葉です。

「一人で観て終わるのではなく、誰かの感想を聞くことで、“こうでなければならない”という考えが和らいでいく。AもBもCもあっていい、と思えるんです。今日の参加者も、年齢も仕事もさまざまで、初対面同士でしたが、同じ絵を観てもまったく違う見方をする。その違いに触れられるのも面白いですよね。
話しているうちに、作品の背景や作者の人生まで気になってきて。自分の人生と重ねてみたり、自分にはないものに惹かれたり。大人のやさしいアートゼミに参加すると、絵の楽しみ方の裾野が、自然と広がっていく気がします。」
その言葉の通り、それぞれの感じ方がそのまま尊重され、重なり合いながら、静かに広がっていく。そのやわらかな余白こそが、ともに観ることの魅力なのかもしれません。

「気づけば、ありのままの自分になれた」鑑賞を終えて
最後に、編集部ふたりで言葉を交わしてみました。

今日はありがとうございました!自然体に近づくための実践として、アート鑑賞会に参加してみて、いかがでしたか?

アートを観ながら、自分が感じたことをそのまま言葉にしていくうちに、気持ちがすっと軽くなっていく感覚がありました。頭の中にあった小さなモヤモヤが、いつの間にかほどけていくような。それはきっと、他の参加者の方の、自分にはなかった視点や新しいものの見方に触れられたからかもしれません。

たしかに。「自然体になろう」と意識しなくても、プログラムが終わる頃には、自然とありのままの自分に戻っている感覚がありましたよね。どこか、ジャーナリングや瞑想、コーチングを受けたあとのような余韻もあって。

そうですね。でも、そういう内省的な取り組みって、始めるまでに少しハードルを感じたり、やり方がわからなくて難しく思えたりすることもあると思うんです。
その点、『大人のやさしいアートゼミ』は、ただ美術館に来るだけでいい、という気軽さがいいですよね。決まった正解やルールもなくて、自分なりの関わり方でいい。頭で理解しようとしなくても、体感として自然体な自分に触れられる感じがありました。

本当にそう思います。年齢も職業も性別も、さまざまなバックグラウンドを持つ人たちと一緒に美術館を巡るのも新鮮でしたよね。対話のなかでも、初対面だからこそ先入観なく相手の言葉を受け取れたり、こちらも構えずに率直に話せたり。普段関係性のある人からの言葉とは、また違ったかたちで心に届くものがありました。

それに、何かひとつの正解に向かって議論するわけではなくて、「感じ方は人それぞれでいい」という前提があるのも、話しやすさにつながっていた気がします。自分を表現することに少し抵抗があっても、アートが間にあることで、自然と言葉が出てくる。ちょうどいいクッションのような存在でしたね。

新しい視点を得たり、自分の中にある固定観念に気づいたりすることって、どこか難しく感じることもあると思うんです。でもアート鑑賞であれば、もっとやわらかく、自然にそれが起こる気がしました。

もし少しでも気になった方がいたら、ぜひ一度体験してみてほしいですね!
ただ、絵を観て、ありのまま感じて、少し誰かと話してみる───。その過程の中で、自分の内側にあった感覚がゆっくりとほどけていく時間を体感した私たち。「自然体」は、どこか遠くにあるものではなく、こうした小さな体験のなかで、ふと戻ってくるものなのかもしれません。
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ソラミドmadoについて
執筆

ノンフィクション作家・生き方を伝えるライター
1996年生まれ。“人の生き方の選択肢を広げたい”という想いでライターになる。関心テーマは、女性の生き方・フェミニズム・LGBTQ+・クィア。著書『「自分のかたち」のまま、これからも私は」(WAVE出版)
撮影

フォトグラファー / ディレクター。東京と岩手を拠点にフリーランスで活動。1996年生まれ、神奈川県出身。旅・暮らし・人物撮影を得意分野とする。2022年よりスカイベイビーズに参加。
https://asamiiizuka.com/















