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料理でも、外食でもいい。意志ある食事こそが、豊かな食だと思うから|料理家/管理栄養士・長谷川あかり

今日は、妻がいない。一泊二日の出張で、帰ってくるのは明日の午後。今日の晩ご飯は、一人で用意しないといけない。さて、なにを食べようかな。

……こんな状況、ありませんか? 僕も一人暮らしをしていたときは、毎日がこの状況でした。

なにを食べるのも自由。そんなとき、みなさんはどうしているでしょう?

僕の場合は、次の通りです。

せっかくだし、なにか作るかな。作った方が安いし。あれ、でもなに作ろうかな。いまの冷蔵庫の中身で作れるものは……。微妙だな、だったら買い物行かなきゃ。うーん、でも食べたいものも決まっていないし。あぁ、作るのも面倒くさくなってきたなぁ。近くのコンビニでパパっと済ませちゃおうか……。

なにか作ろうという最初の考えも虚しく、結局コンビニに足を運んでしまう。毎日がこんな感じでした。

こんな食生活、なんだか豊かな感じがしない。長らく、そう思っていました。でも、なんでも揃うこの時代。料理をする意味も見出しにくい。

食と向き合うって、どういうことなんだろう。「豊かな食」って、なんなのだろう。

そんな疑問が大きくなってきたころ、ひとりの料理家さんを目にしました。それが、今回取材させていただいた、料理家/管理栄養士の長谷川あかりさんです。

なんでもない日を幸せにする、シンプルで豊かなごはん

長谷川さんを知ったのは、Twitterでした。タイムラインで、知人が長谷川さんのレシピを絶賛していたことがきっかけ。こんなレシピもあるんだなぁと、妻とふたりで真似することに。

え、美味しい……! 簡単なのに、めちゃくちゃ美味しいんです。しかも、身体に優しい味がする。

一目惚れならぬ、一口惚れをしてからは、長谷川さんのレシピを作る日々。他のレシピを試してみても、全部美味しい。そして簡単。身体にも優しい。

こうしてレシピを確認していると、ふと長谷川さんのTwitterのプロフィールが目に止まりました。

なんでもない日を幸せにする、シンプルで豊かなごはん

まさに、長谷川さんのレシピを作っているときは、豊かさを感じていた気がする。「豊かなごはん」を掲げる長谷川さんに、料理をする意味について、そして「豊かな食」について聞いてみたい……!

お話をお伺いするなかで出てきたキーワードは、意志ある食事。「豊かな食」って、難しく考えなくてもいいんだ。

毎日の食事が、少しでも大切なものになりますように。そんな願いを込めて、長谷川さんの言葉と美味しそうな写真をお届けします。

長谷川あかり

料理家・管理栄養士
『なんでもない日を幸せにする、シンプルで豊かなごはん』をテーマに、食べ疲れないのにちょっぴりおしゃれで自己肯定感の上がる“新しい家庭料理”のレシピをSNSや雑誌等各種メディアで発信中。

簡単だけど、自己肯定感が上がるレシピを

安久都

長谷川さんのレシピ、簡単なのにとっても美味しいですよね。美味しいだけじゃなくて、優しい味で。作っているときも、「今回はどんな味なんだろう」ってワクワクします。

長谷川さん

本当ですか、ありがとうございます! そう言っていただけるレシピを目指しているので、嬉しいです。

安久都

さまざまなレシピを発信するなかで、大切にしていることってなんなのでしょう?

長谷川さん

私が発信しているレシピは、「趣味の料理」じゃなくて「暮らしの料理」として考えています。だから、日常に寄り添ったレシピになっているかどうかは、大切にしているかも。

安久都

趣味の料理と暮らしの料理?

長谷川さん

趣味の料理は、例えば玉ねぎを飴色まで炒めて、スパイスを調合して…のような手間ひまをたっぷりかける料理のこと。暮らしの料理は、簡単で当たり前の、普通に美味しい料理ですね。

もちろん、どちらが正解とかはないんですけど、共働きのご家庭が増えたなかで、暮らしの料理が求められるようになったなぁと。

安久都

たしかに、趣味の料理レベルで、毎日時間をかける余裕はない方が多そう。

長谷川さん

でも、簡単な暮らしの料理だからといって、簡単すぎるとつまらないんですよね。ただレンジで加熱するだけの調理とか。それだったら、買ってきたらいいじゃんって思うんです。

時と場合によるんですけどね。レンジ調理が良いとか悪いとかいうことではなく、私にとっては調理工程として少し物足りなく感じてしまう。材料をそろえてわざわざ料理を作るんだったら、楽に作るということだけではなく楽しさも求めてしまうんです。

料理することを選ぶのなら、作っていて楽しくないと作る意味がないよなぁって。少なくとも、私はそう感じているから。わざわざ料理をする意味を探したくなっちゃう。

安久都

料理をする意味ですか。たしかに、なんでも揃ういま、自分の手を動かす理由は欲しくなるかも。

長谷川さん

そうですよね。得られるものがなにもないなら、外で食べればいいですし。だから、私のレシピには「簡単だけど、自己肯定感が上がるものを」って想いを込めているんです。

安久都

料理で自己肯定感が上がる?

長谷川さん

美味しい料理を簡単に作れたら、「あれ、私って料理上手なのかも」とか「私ってすごいかも」って勘違いできるじゃないですか。そして、その勘違いがさらに料理を好きにさせる。

「あんまり手間をかけていないのに、こんなに美味しいものが作れたぞ、私!」っていう高揚感ですよね。そんな気持ちこそが、料理をする意味だと思うんです。

Twitterに「なんでもない日を幸せにする、シンプルで豊かなごはんのレシピ」と書いてあるのも、そういった想いからですね。

想いがあれば、作業から料理になる

安久都

自己肯定感が上がる料理、か。長谷川さんのレシピを作ってみて感じた心地好さが、少しわかった気がします。

長谷川さん

逆に言うと、自己肯定感が上がらない料理、言い換えると、こなすだけの料理もあると思うんですよね。

安久都

こなすだけの料理。なんだか、料理というより“作業”って感じがしますね。

長谷川さん

まさにそう! もちろん簡単に作れるっていうことは大切なんですけど、それだけだと作業になってしまうんです。料理が作業になると、途端にこなすだけのものになってしまって、高揚感が生まれないんですよね。

安久都

両者の違いは、どういったところにあるんでしょう?

長谷川さん

想いがあるかどうか、かなぁ。

安久都

「誰かのために」という想い?

長谷川さん

いや、それが自分のためでもいいんです。「家族のために美味しいものを作ろう」でも、「疲れた自分の身体をいたわりたい」でも。なんでもいいから、想いを持って料理をすることが大切な気がします。

安久都

逆に、どんな料理が作業になりやすいんでしょう?

長谷川さん

「時短」だけが目的になっているときは、作業にならざるを得ないかもしれません。「いかに早く作れるか」だけを考えたら、どんな工程も邪魔なものになってしまいますし。

時短料理が悪いわけではないんですけどね。時短だけを目的にしてしまうと、しんどいかもしれないです。

安久都

なんだか、追われる感覚になってしまいそう……。

長谷川さん

その感覚が「こなす」って感覚につながるのかも。

でも、「身体に優しいものを作ろう」って想いがあるだけで、一つひとつの工程が苦にならないと思うんです。お湯を沸かしている時間さえも、イライラせずにワクワクできる。

暮らしの料理って、そういうものだと思うんですよね。

安久都

料理をしなくても済む時代に、料理をする意味。なんだか、掴めてきたかもしれません。

長谷川さん

作ることが単なる作業になるんだったら、買ってきた方がいいと思うんです。食べ物へのアクセスがここまで容易になった時代に、わざわざ料理をする意味って、「お腹を満たす」以外のところにあるはずだから。

別に、凝ったものを作らなくてもいいんですよ。例えば、お子さんにおにぎり作るときも、「部活頑張っているから塩分濃い目にしておこう」っていう想いがあるだけで、なんだか嬉しいじゃないですか。

安久都

想いが伝わる料理、ですね。

長谷川さん

そこに、なんでも揃う時代で、わざわざ料理をする意味があるんじゃないかな。

クリエイティビティが、料理をする意味

安久都

想いの他に、料理をする意味について考えていることってありますか?

長谷川さん

ずっと感じていることがあるんですけど、いいですか?

私、料理って、クリエイティブな活動だよなぁって思うんです。それはシェフとか料理家さんが作るものだけじゃなくて、暮らしの料理もそう。

自分の手でなにかを生み出す、ってなかなかない経験じゃないですか?

安久都

そう言われるとそうですね。なにを作るかを考えて、材料を集めて、加工して、ひとつのものを生み出す。クリエイティブな営み。

長谷川さん

自己肯定感が上がる料理には、クリエイティビティが大切な気がするんですよね。逆に言うと、クリエイティビティがないと作業になってしまう。

安久都

先ほどの「こなす」に近づいてしまう。

長谷川さん

最近、ミールキットが売れている理由はそこにあると思うんです。「ミールキットを買うくらいなら、お惣菜買えばいいのに」とずっと思っていたんですけど、少しでも自分の手を動かして作ること自体が、きっと大切で。

安久都

たしかに、面倒くさい下処理などが全部済ましてあるから、楽しい部分だけを感じられるのかも。

長谷川さん

「楽をする」が第一だったら、ミールキットは買わなくていいんです。でも、料理に楽しさを求めるからこそ、ミールキットが売れている。そこに、料理の可能性があると思うんですよね。

ただの時短レシピじゃない。「レンジで温めて、はい終わり」じゃなくて、自分の手を動かしたいというか。

安久都

それが、クリエイティビティ。

長谷川さん

料理以外のもので、クリエイティブな活動をするって、結構難しいと思うんです。でも料理だったらチャレンジしやすい。

自分の手でなにかを生み出すって過程が、料理をする意味なのかもしれませんね。

無理して料理しなくてもいい

安久都

お話を聞けば聞くほど、料理をした方がいいよなぁと思います。でも、ひとりだとどうしても作る気にならないんですよね……。そしてコンビニのご飯やファストフードに頼っては、なんだか罪悪感を持ってしまう……。

長谷川さん

罪悪感を持つことは、悪いことじゃないんですけどね。きっと、食に対して真面目なんだと思いますよ。

安久都

え、真面目じゃないから罪悪感を持つんじゃ?

長谷川さん

だって、食に対して真面目に考えていなかったら、毎日ファストフードを食べていても、なにも感じなくないですか? 「美味い、美味い」と言って、終わってしまうと思うんです。

そうじゃなくて、「もっとこうした方がいいよな」って理想があるから、罪悪感を持つんじゃないかなぁ。

安久都

食に対して真面目だから、罪悪感を持つ……。そう考えたことはなかったです。

長谷川さん

バランスの良い食事は、たしかに大切です。外食やコンビニのご飯、ファストフードに毎日頼ってしまうと、野菜が少なくなりがちになって、身体を壊してしまうかもしれません。食事が身体を作っている、というのは事実ですから。

でも、だからといって真面目に考えすぎなくてもいいと思うんですよね。

安久都

真面目じゃなくてもいい。

長谷川さん

コンビニのご飯とかも、それ自体が悪いわけではないんです。食品に罪はない。罪悪感を持つとしたら、それを選んでいる自分のスタンスが問題なんだと思います。

例えば、平日の夜、めちゃくちゃ疲れて帰ってきたときに、出汁からとるような丁寧な料理をするって、逆に豊かじゃない感じがしません?

安久都

たしかに……。なんだか無理をしている気がします。

長谷川さん

食品そのものが悪いんじゃなくて、選び方の問題なんですよね。私だって、冷凍食品やファストフードを食べる日もありますけど、罪悪感を持つことは一切ないんです。だって、料理したくない日もありますもん。

そんな日に、「いや、食事とはこうあるべきだから!」って無理やり料理をする方が、なんだか不健全な気がするんですよね。

安久都

なるほど。僕は、「食生活はこうあるべき」って理想に縛られていたのかもしれないなぁ。

長谷川さん

食との向き合い方、って聞くとひとつの正解がある気がしますけど、そうじゃないですからね。一人ひとりに、食事において大切にしたいことがあるし、それも日によって変わります。

身体に優しい食事を好む人もいるし、ガツンとした旨味を欲しがる人もいる。それぞれに適するものを、どう選ぶかが大切なんだと思いますよ。

惰性じゃなく、意志ある食事を。

安久都

食をどう選ぶか。そこに、「豊かな食」のヒントがある気がしますね。

長谷川さん

まさにそうです。食品に罪はない、って話をしたように、例えばファストフードでも「豊かな食」になり得ますからね。

「今日は料理をしたくないし、味の濃いものを食べたい!」と思って、ファストフード店に駆け込んだのなら、それはちゃんと食と向き合っているってこと。

でも、「作ってもいいし、作らなくてもいいけど、とりあえずコンビニで済ますか」って選択は、食に向き合っていませんよね。

安久都

たしかに、なんとなくでコンビニのご飯で済ますことは、食をないがしろにしている感じがします。

長谷川さん

「今日は疲れちゃったから、身体に優しい味のものを食べたいな」と思って、スープを作るとか。なんとなくではなくて、「今日はこういう気分だから、こういうものが食べたい」って選ぶことが、食と向き合うことだと思うんです。

安久都

なんだか、意志のある食事、って感じですね。

長谷川さん

意志がなく、なんでもいいやって惰性で食べてしまうと、食事そのものが作業になってしまいますし。そこに豊かさはないですよね。

この食事を選んだ背景を、ちゃんと理解できているかどうか。こういう気分だから、これを食べるんだって、自分で選択している感覚があるかないか。

食と向き合うって、そういうことなんじゃないかなぁ。

安久都

先ほど真面目というお話がありましたけど、同じように「食と向き合う」を大変なことだと捉えていたんだな、と気づかされました。

長谷川さん

食を大切にできていない……って感じている人は、ハードルを高く設定しすぎていると思うんです。「健康的な食事はこうあるべき」とか「毎日料理をすることが偉い」とか。

でも、そうじゃなくて。一汁三菜をそろえなくてもいいし、外食してもいいし。食と向き合うって、もっと楽なところからでいい。

まずは「いま食べたい気分のもの、なあに?」って自分に聞いてみる。それだけでいいんです。

安久都

自分の気持ちに従う。

長谷川さん

その気持ちとズレた食事を続けると、心がカピカピしてくるんですよ。気持ちに合った食事を、自分の意志で選ぶ。それが、私の思う「豊かな食」です。

でも、気持ちに合った料理を考えるのって難しいですよね。だから、私がレシピを発信しているんです。「こういう気分に合うよ」って場面も添えてレシピを出しているのは、そういう想いから。

レシピを見て、「ちょうどこういう気分だから、このレシピ作ってみよう!」って思ってもらえたら、それは「豊かな食」のお手伝いをひとつできたこと。そうやって、いろんな人が心豊かな食事をしてくれたら嬉しいですね。

いま食べたい気分のもの、なあに?

長谷川さんに取材をした夏のある日、自分に問いかけてみました。パッと浮かんだのは、カレー。

なんでだろうと考えると、取材や連日の暑さで、身体がちょっと疲れていたことに気づきます。

そうか。疲労を感じていたから、元気になるものを食べたいんだな。でも、どんなカレーが食べたいんだろう。そう思って、長谷川さんのレシピを見ていると、出汁カレーなるものがありました。

さっぱり美味しい夏カレー。まさに、いま求めているものなのでは……?早速、材料を買ってきて調理開始。ネギをみじん切りしたり、生姜を千切りしたり。そんな時間も、なんだか心地が好い。

そうして完成した、出汁カレー。

作:筆者

あぁ、美味しい……。それだけじゃない。なんだか自分を大切にできたような気がしてきます。あれ、これが「豊かな食」ってこと……?

そうか。いままでは、なんとなくで食べていたんだな。意志のある食事は、こんなにも心が満たされるのか。

食事で大切なのは、美味しさだけじゃないんだ。

いま食べたい気分のもの、なあに?

この問いかけをお守りにしよう。毎日の食事を豊かなものにするために。


ソラミドについて

ソラミド

ソラミドは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

執筆

安久都智史
ソラミド編集長

考えたり、悩んだり、語り合ったり。ソラミド編集長をしています。妻がだいすきです。
Twitter: https://twitter.com/as_milanista