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怖い……けど。目が見えなくなる未来があったとしても、いまを生きなくちゃいけないから

僕は弱いなぁと思う。

なにか新しいことに挑戦するとき、上手くいかないことばかり想像しては、足取りが重くなってしまう。

どうなるかわからない未来を考えては、漠然とした不安に襲われて、なにも手につかなくなってしまう。

そうじゃなくて、乱されず、怖れず、いまを生きれたらいいのに。心からそう思っている。

……でも。そんな強さ、僕にはない。

だからこそ、気になった。いまを生きる力って、なんなのだろうと。

そんなテーマに頭を悩ませているとき、一緒に働く仲間を思い出した。それが、今回取材した今井裕子さんだった。

ソラミドの運営会社、スカイベイビーズでアシスタントデザイナーをしている彼女。

そんな彼女は、目に障がいを持っている。

先天性の視神経萎縮。それが、彼女の持つ病名だ。生まれつき、視神経の網膜の一部だけが薄くて、視力がうまく出ない。水晶体ではなく、目から脳に信号を送るルートの問題なので、レーシック手術などでも改善できない。

視力的には、矯正のコンタクトを入れることで0.1になるくらい。矯正で、ようやく視力検査の輪っかの一番上がギリギリ見える。

そして、視力は老いと共に低下する。いつか見えなくなる可能性も、ゼロではないという。

……恐怖だと思う。可能性は低いと話してはいたけれど、いま見えているものが見えなくなるかもしれない。僕は、そんな事実を突きつけられたら、一体どうなるのだろう。

彼女は、障がいを、そして、いつか見えなくなるかもしれないという事実を抱えながら、デザイナーとして、いまを生きている。

普段、一緒に仕事をしているからこそ、その姿勢は僕からしたら“強さ”に見えていた。

けれど、それはあくまでも勝手なイメージ。偏見と呼べるものかもしれない。じゃあ、実際に彼女はどう考えて生きてきたのだろう。なにを思って生きているのだろう。

彼女の話を聞いたら、いまを生きる力について、なにかが分かるかもしれない。

そして、彼女の住む福井県に訪れ、話を聞いて知った。彼女は強いわけではないということ。でもそれは、弱いというわけでもないということを。

いまを生きる力って、一体なんなのだろうか。

わからなかった、自分のことが。

ずっと絵を描くのが好きなんです。幼稚園の頃から、自由帳を持ち歩いていました。絵を描くこと自体というよりも、描いた絵を人に喜んでもらうのが嬉しくて。

さまざまなインテリアで彩られた部屋で、彼女は語り始めた。

視力は低いものの、絵を描くことはできる。紙に描くのなら、ものすごく近づいて。パソコンで描くのなら、ものすごく拡大して。

母の日に絵をプレゼントしたり、友達の記念日のお祝いに絵を贈ったり。それを額縁に入れて飾ってくれた。それだけに留まらず、友人から「絵を描いてほしい」とお金を払って依頼されることもあった。

絵を描くことで生まれる、大切な人たちの反応。それがとても嬉しかった。

「絵を描く」という好きなものが小さい頃から身近にあった一方で、友達との距離感には苦しんでいたという。

小学生、中学生の頃、周りのみんなは好きな芸能人やドラマ、アーティストの話をしていたんです。でも、私はどれにもハマれなくて。周りは盛り上がっているのに、その輪に入れず……。なんだか居心地が悪い日々を過ごしていました。

自分が思っていることや感じていることを、口に出すことができない。そんな日々が続くことで、好きなものがわからなくなっていく。自分という存在が、どういう人間なのかがわからなくなっていく。

だからなのか、自身の目のことも周りに伝えることはできなかった。

みんなと違うことが、すごく嫌だったんです。なんとかして、みんなと一緒でいたいと思っていました。でも、話が合わない。話を合わせられない。

でも浮きたくない、いじめられたくない。そんな考えばかりでした。「障がい者なんだから、アッチいけよ」なんて言われたら、もう絶対に立ち直れないって。

ふさぎ込んだ。中学生のときには、学校に行けなくなった期間もあった。なんで、みんなと違うんだろう。そんな想いで、頭はいっぱいだった。

つながりが、自己を形づくる。

暗い道に光が射し始めたのは、女子校の高校に進学してから。

女子校だったからなのか、その高校の校風なのかはわからないんですけど、とにかく動物園みたいな学校で(笑)。みんな自分をさらけ出しているんですよ。しかも、それが受け入れられている。どんな子に対しても、みんな普通に接している。

そんな環境で過ごすうちに、「私、こういうのが好きだったかも」とか「こういう冗談も言えたんだ」って、自分を取り戻していきました。

心のなか、頭のなかを出してもいい環境って、本当に大事ですよね。

少し上を見つめながら、思い出したように笑う。きっと高校時代には、大切な思い出が詰まっているのだろう。

あと、私にとって大きかったのはインターネットの繋がりでした。

当時は、ニコニコ動画の全盛期。多くの若者が歌を歌い、音楽を作り、絵を描き。さまざまなコンテンツがあふれていた。

絵を描くのが好きな彼女が、ニコニコ動画に絵をあげ始めるのは自然なことだった。そこで、新たな繋がりが生まれていく。仲良くなって、いまも一緒に旅行にいくほどの関係が続いている人も。

ネットのなかだと、障がいの有無って関係ないじゃないですか。それが楽だったんだと思います。

しかも、“私とあなた”っていう、ふたりきりの関係でしかない。リアルの友達だと、「この人って、あの友達とも仲良いし、上手くやらなきゃ……」とかがあると思うんですけど、そんなしがらみもない。

本名も知らないし、ボタンひとつの関係だし。でも、だからこそ築ける関係性もあって。人と関わるのが怖かった当時の自分には、すごく合っていたんだと思います。何度も何度も救われましたね。

ひとりだと、自分がわからなかった。けれど、自分をさらけ出せる人とのつながりによって、今井裕子の輪郭が形づくられていく。

不安ごと、支えてくれる人がいる。

私が私でいてもいいんだ。そう思うようになってからは、徐々に自分を出し始めることができた。震えながら、目のことも友達に伝えた。みんな、なにも変わらず接してくれた。

いまも仲良い友達は、みんな知ってくれていますね。私が困る前に、「あそこには◯◯って書いてあるよ」って教えてくれたり、「メニュー先に見て!」ってごはん屋さんで渡してくれたり。

いまも昔も周りに支えてもらっています、と話す彼女。大学を卒業して地元のカーテンメーカーに就職してからも、共に働く仲間と手をとり合った。

目のことを伝えるのは怖かったですけど、言わないとなにも始まらないんだなって。特に私の場合は、日常で困る場面はあれど、身体障害者手帳の取得が認められるほど重い障がいではなくて。一見、困っていることが周りに伝わりにくい目の悪さなんです。それもあって、自分から言わないと気づいてもらえない。

これはできて、これはできないって伝えないと、周りの人もどうしたらいいかわからないから。受け身になったらいけないんだなと思います。

ありのままの自分を出しながら働く日々。営業、企画、発送、メール対応、動画作成……。やれることはなんでもやっていた。

徐々に、「もっとこうしたい」が芽生えてくる。絵を描くのが好きなのも相まって、もっと自分の手を動かしたかった。

そんな想いが強くなり、転職を決意。Web制作会社のスカイベイビーズに、アシスタントデザイナーとして入社する。

本格的なデザインはやったことがなかったので、大丈夫かな……と不安だったんですけど、デザイナーのみなさんが本当に気にかけてくれて。

いまもですけど、病気について調べてくれましたし、「こういう場合はどう見える?」とか「この色はどう?」とか、違いを把握しようとしてくれるんです。

私の目と、みなさんの目って、どうしても見え方が違うから。その差がありながら、どうグラフィックを作っていけるのか、そのサポートをしてくれていて。だから、不安は尽きないですけど楽しく働けています。

障がいを「よかった」とは言えない。でも私は、きっと大丈夫。

周りに馴染めず、障がいを隠していた。ふさぎ込んで、学校に行けない日々もあった。そこから、いろんな人との繋がりに支えられて、自身を見つけていく……。

ここまで話を聞いた印象は、誤解を恐れずに言うと、“きれいなストーリー”だった。

けれど、それだけではない。ストーリーに入り切らない葛藤が、彼女の人生にはたくさん存在していた。

自分の障がいを受け入れるって、やっぱり難しいんです。いまもですけど、学生時代は特にそうで。高校・大学時代は明るく振る舞っていましたけど、みんなとの違いを突きつけられるのは、グサっときましたね。

例えば大学生になると、みんな車の免許をとり始める。他愛もない日々の会話から、違いが浮き彫りになる。

私だって、車を運転して好きなところに好きなように行けたら、どれだけ良かったか……。

障がいがあって「よかった」とは思えないんですよ。なかったらな、と思うことばかりです。

少しトーンが下がる。けれど、彼女は「けど……」と続ける。

けど……自分を受け入れてくれる人たちがいたから、いまの自分でもいいんだって思えるんです。

受け入れてくれる人たちがいなかったら、「こんな自分なんて」って考えが浮かんでしまう。何の役にも立たないし、消えてなくなりたいって思っていたはずです。

私、嫌いな言葉があったんですよ、と語ってくれた。

親から「神は乗り越えられる試練しか与えない」って、よく言われていたんです。昔は、それがだいっきらいで。そんなこと言って、私が乗り越えられなかったらどうするの、そんなの屁理屈だよ、って。

でも、親としてそう言うしかなかったんだろうなって、今では思うんです。障がいじゃなくて、乗り越えられる試練って言い方をしてくれていたのも、親の想いがあったからですし。あなたは悪くないんだよ、って伝えてくれていた。

そんな想いを感じるようになって、実際に乗り越えて生きてこられて。そして“いま”があるからこそ、この言葉が支えになっているんです。

昔はだいっきらいだったのに。不思議ですよね。

取材中、彼女が何度も口にした言葉があった。

「でも、なんとかなると思うんです」

最初は、前向きに考えているんだな、と捉えていた。けれど、きっと少し違っていて。

楽観的に考えているのではなく、現実を、いまを、真っ直ぐ見つめる姿勢。そのうえで、“意志”というものを手に入れたんだと思う。

苦しんでいる人に対して、「大丈夫、なんとかなるよ」とは簡単に言えません。でも、私は多分大丈夫だな、って思えるようになったんです。

それは、確固たるものではなく、揺らぐ意志かもしれない。でも、彼女のなかに確かにあるものだった。

揺らいでもいい。でも、閉じているだけだと広がらないから。

先日、彼女は盲学校の学生に向けて講演をしたという。そこで、学生に言われて心に残っていることがあった。

「過去に障がいのことを伝えたら、ひどい言葉を言われたことがあって。周りに言えなくなってしまったんです」と伝えてくれた学生さんがいて。

そうだよね、失敗体験で終わってしまうと、外が怖くなっちゃうよねって。

多くの人に支えられてきたし、支えられている、けれど、心無い言葉を浴びせてくる人も、この世界には存在する。

自分を閉じて、回復する期間も大事ですよね。私も、学校に行かない日々がありましたし。傷つきながらも前に進むことだけが、大切なわけじゃないと思います。

でも、回復した後は、自分から動かないと変わらないとも思うんですよ。嘆いていても仕方がないんです。相手の人もそうだけど、自分も変わらないといけない。

……怖いですけどね。うん、怖いです。

ただでさえ、居場所をつくるのはとても難しい。人に傷つき、手をとることも、手を差し出すことも怖くなってしまうと、なおさらだ。

ゆっくりでいいから、関わる人を増やすしかないのかな。少しの繋がりから、波長が合う人が見つかるって、奇跡的で。選択肢がないと、辛い関係を続けるしか道がなくなっちゃうから。

母数を増やして、いろんな人と関わることで、はじめて「この人は合うな」とか「この人とは居心地が悪いな」が、わかってくると思うんです。

そうしたら、本当に一緒にいたい人たちだけが残って、少数精鋭になる。私自身も、疎遠になった知り合いはたくさんいます。

でも、そうやって安心できる場所が見つかっていくんじゃないかなぁ

彼女だって、怖れながら、高校やネットのなかに出ていった。どれだけ踏み出しても、きっと怖れはなくならない。

だからこそ、揺らいでもいいから、“意志”が必要になるんだと思う。

怖い……けど。

最後に、彼女に聞きたいことがあった。

目が見えなくなるかもしれない。恐怖に飲み込まれてもおかしくない事実と、どう向き合っているのか。

その心のなかを、ずっと聞きたかった。

怖いです。視力が下がっていく、見えているものが見えなくなるのは怖い。

矯正して0.3見えていたものが、次の年に0.1になっていたこともあったので、いつどうなるかはわからないんです。

主治医からは、「いますぐ失明にはならないと思う」とは言われているんですけど、確証はない。怖いです。

恐怖。そんな嵐のなかでも、いまを生きている。

いままでも大丈夫だったから、というのはやっぱり大きいですね。親や家族、友達、仕事仲間の支えがあって、生きてこられた。だから、なんとかなると思う。

旦那にも話したら、「そうなったらなんとかするし、なんとかなるよ」って言ってくれて。そういう支えがあって、いまを生きられているのかな。

誰だってわからないですしね、未来のことは。彼女は、そう続ける。

だから、見えるうちに、見たいものは見ておこうと思うんです。行ってみたいところもたくさんあるし、やりたいこともある。だから、いまのうちにやっておこうって。

Youtubeチャンネルを作りたいんですよ、と準備中の動画も見せてくれた。やりたいことがたくさん出てくる。正直、眩しかった。

いろんな動画を見せてもらうなか、ふと彼女が言葉をもらした。

……でも、絵が描けなくなるのは嫌だなぁ。

ハッとした。

“恐怖を乗り越えて、前向きに生きている”

そんな綺麗な型に、僕はいつの間にか彼女を当てはめようとしてしまっていた。

きっと、自分でも考えないようにしているんだと思います。考えれば考えるほど、飲み込まれてしまう。

先のことを考えると不安だし、目が見えなくなるのは怖いです。

だからこそ、いまできることをしようって。目が見えなくなる未来があったとしても、いまを生きなくちゃいけないから。

「いまを生きる」と聞くと、“強さ”を想像してしまう。なにが起ころうとも乱されず、立っていられる。そんな強さを。

でも、彼女の話を聞いて、それだけじゃないんだと気づいた。どうなるかわからない不安に襲われて、自分を見失ってもいい。不安が大きすぎるのなら、そっと横において見ないふりをする時間があってもいい。

その先で。

怖い……けど。不安……だけど。

そんな、意志を含んだ逆接をひとつひとつ、ゆっくり積み重ねていったらいい。

それはきっと、“強さ”という綺麗な言葉では簡単にくくれない。でも、それを“弱さ”と言うのは絶対に違うはずだ。強さでも弱さでもない。彼女の話を聞いて、自分のなかにもたしかにある、いまを生きる力に触れられた気がした。

今井裕子

老舗ファブリックメーカーに新卒入社後、自社販売体制の構築に注力。サイト改修、印刷物デザイン、動画作成、SNS運用、イベント出展等広く携わったのち、2022年よりデザイナーとしてスカイベイビーズに参加。趣味はすてきな日用品探しと、お絵描き。管理栄養士の資格を持つ。


ソラミドについて

ソラミド

ソラミドは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

取材・執筆

安久都智史
ソラミド編集長

考えたり、悩んだり、語り合ったり。ソラミド編集長をしています。妻がだいすきです。
Twitter: https://twitter.com/as_milanista

編集

貝津美里
ソラミド編集部

生き方を伝えるライター
世代・年齢・性別・国内外問わず人の「生き方」を聴き「名刺代わり」となる文章を紡ぎます。主な執筆テーマは、生き方/働き方/地域。人と人、人と想い、想いと想いを「結ぶ」書き手でありたい。
プロフィール:https://lit.link/misatonoikikata

撮影

北川朋伸
フォトグラファー
福井県在住。コマーシャルフォトをメインに活動。
カメラをはじめて今年でちょうど20年。正方形の写真を撮るのがいまだにすこし苦手です。