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その時々の気持ちに委ねる。出版社さりげなく代表・稲垣佳乃子さんが歩む「わかりにくさ」

心の声を聞いて素直に行動しているはずだった。でも振り返ると、なぜかモヤモヤしてしまう。そんな瞬間が、ときどきやってくる。

自分の心からの気持ちはこれだと思っても、無意識で周囲の意見に流されたり、数日経つと気持ち自体が変わっていたり。自分の気持ちを相手に伝えようとしたときには、言葉にした途端に何かが違うと思ったこともある。その変化や違和感に、気がつかない日すらあった。

自分の心の声が、わかりやすかったらいいのに。とはいえ、わかりにくいからこそ本心と言えるのかもしれない。わかりやすさとわかりにくさの狭間で、葛藤をくり返しているのは何なのだろうか。

そう考えていたとき、ある出版社のことを思い出した。京都に事務所を構える、株式会社さりげなく。出版している本を偶然手に取り、購入していた私は、出版元が気になって調べたことがあった。そこで出会った、Webサイトに書かれている紹介文。ひと目で、心惹かれていた。

AでもBでもなく、じつはそのふたつの間に豊かなものがある、と。
AかBかを見つけるのではなく、その間にある無数のいろいろに気づくということ。

(中略)ふたつの間にある、無数のいろいろのために さりげなく、はじめたいと思います。

さりげなくWebサイト「about」より引用

AかBかを見つけられたらわかりやすいけれど、その間にある「無数のいろいろ」って、たぶんわかりにくい。わかりやすさとわかりにくさの狭間で揺れる私の心を、『さりげなく』は受け入れてくれたように思った。

わかりにくさと向き合おうとする考え方は、どのように生まれたのだろう。その考えを持っている人の、人生の話を聞いてみたい。そう思い、『さりげなく』の代表であり、立ち上げた人物でもある稲垣佳乃子さんに、私は声をかけた。

好奇心にブレーキをかけない

稲垣さんは、兵庫県神戸市生まれ。小さい頃は、好奇心旺盛な子どもだったそう。

小学生のときは、色々なことをやりまくっていました。スポーツクラブに行くなかで、陸上やバスケットボール、バレーボール、卓球、駅伝もやって。ドッジボールの大会にも出たことがあります。

スポーツ以外にも興味がありましたね。合唱部に入ったり、ピアノを習ったりと音楽も好きで。あとは……英語も習いたいって、自分から言い出しましたね。どの分野もおもしろそうで。色々気になったから、色々やりたいと思っていました。

興味を持ったら、やらずにはいられない。そんな小学生だった。いま振り返っても「全部おもしろかった」と稲垣さんは話す。

好奇心の矛先が四方八方に向いていたけれど、小学生から高校生まで「やりたい」と思い続けていたこともあった。

バスケットボールは、ずっとやりたいと思っていたんです。小学生のときバスケに出会って、直感で「おもしろい!」と思った気持ちが、高校生まで続いていた感覚。でも、進学した中学校にはバスケ部がなくて。

高校こそはバスケ部に入ろうと、中学ではバスケに活きそうな陸上部に入りました。

高校生になった稲垣さんは、ずっとやりたかったバスケ部に入部し3年間没頭。「バスケしかやっていなかった」と話すほど、色々なことに同時に興味を持っていた小学生時代とは対照的な生活をしていた。

興味のあることが複数であれ、ひとつであれ、好奇心にブレーキをかけない。稲垣さんは、自分の心に素直だった。

家族から「これをやるのはダメ」と止められたことはないですね。やりたいようにやらせてもらっていたと思います。先日、お母さんは「言っても聞かへん子やった」と言っていましたけど。興味を持ったら止まらなくて、周りの声が聞こえなくなっていたのかも(笑)。

本当か嘘か分からない本に、心が動く

好奇心のままに進む、子どもの頃の稲垣さん。そして、稲垣さんを見守るご家族。稲垣さんの話を聞きながら、その様子を想像してあたたかい気持ちになる。ただ、私にはひとつ気になることがあった。

「本」というキーワードが、意外にも出てこない。本と出会うのは、この先か。もしくは、すでに出会っていたのだろうか。

本は……そうですね、好きでしたね。小さい頃から読んでいました。なんというか、自分の生活のなかに本があるのは普通で。

“好き”という感情も、色々だ。あるタイミングで出会い、好奇心が溢れ出てきた「好き」もあれば、日常生活のなかでいつの間にか出会っているような、自覚がないまま感じる「好き」もある。稲垣さんにとって本は、後者なのかもしれない。

取材中、稲垣さんが大学生時代に読んだ本の話になった。

今でも好きなのが、ミヒャエル・エンデ著の『モモ』です。小さい頃から『モモ』のことは知っていたけど、表紙の絵が怖くて読めなくて。大学生になって初めて読みました。

もう本当に、衝撃でしたね。物語はもちろんいいんですけど、最後に書いてあるエンデのあとがきがとくによくて。

ニュアンスでお伝えすると「この話は電車のなかでとある人から聞いた話だから、本当なのか嘘なのか僕自身もわからない。わからないまま、電車で出会った人には会えなくなってしまった」と書いてあるんです。

エンデが書いた本なのに、エンデ自身が本当か嘘か自分でもわからないと言いながら終わるという……。おもしろいなと思いましたね。判断を読者に委ねているところが。

正解がない物語に、稲垣さんの心は踊った。

日常的に本を読み続け、大学生活ではフリーペーパーなどを作るインターカレッジサークルでの活動に夢中になった。今の仕事につながる「編集」への興味も、大学生時代に広がったそう。「いつか本を作りたい。」稲垣さんは、自然とそう思うようになった。

環境を、おもしろがる

出版社に就職したいと考えていたが、「本以外の媒体でも、ものづくりをしてみたい」と、企画・編集・プロデュースを広く手がけるアソブロック株式会社に入社。「できることを増やしたくて」と、稲垣さんは話す。

アソブロックって、個人主義なんですよね。「自分の名前で仕事をしよう!」というキャッチフレーズがあるくらい、個人のスキルを重視していて。スキルを持った個人がチームを組んだとき、どういう化学反応が起きるか? という視点でチームを編成する会社なんです。

新卒で、何もできなくて、学ばせてもらうスタンスで入社したんですけど。あまりにも色々なことができひんから、悔しい気持ちはずっとありました。

できひん。悔しい。その思いを抱えながら、ひたむきに先輩社員から学ぶ日々。

一方、アソブロックのルールによって、稲垣さんの働くスタイルはすぐに変化した。アソブロックの仕事1本ではなく、兼業を始めたのだ。しかも多いときには4つの仕事と。

アソブロックのルールとは「兼業必須」だった。

当時社長だった団さんが作ったルールです。団さんは「兼業したらスキルアップできるし、何かあったときに食いっぱぐれへん」と話をしていて。

私が入社した2016年はコロナ禍になる前だったので、周りは兼業なんてほとんどしていない。ロールモデルがいないしんどさはあったけど、おもしろかったですよ、どの仕事も。

おもろいなと思いながら話に加わっていたら、いつの間にかチームに入っていて。それでアソブロック以外の仕事が4つになっちゃったんです。結果論でしかなくて、4つやりたかったわけではない(笑)。

どの仕事もとにかくおもしろすぎて、と話す稲垣さんは、小学生時代の話をしていた表情に戻った気がした。複数のことに同時に向き合うスタンスも、なんだか似ている。

兼業が増えることに、不安はなかった。むしろ、一つひとつの仕事や関わる人がおもしろすぎて、一緒に仕事したい気持ちの方が強い。「おもしろい」ではなく、時折「おもしろすぎる」と表現する稲垣さんが印象的だった。おもしろすぎると思ったら、やらない選択肢はなかったのだろう。

体調と向き合うことになった、本づくり

こうして、出会うものに次々と夢中になりながら迎えた社会人3年目。稲垣さんは以前から親交があった作家・仲西森奈さんから、書いている途中の短歌があると聞いた。「送ってほしい」と依頼して詠んだその短歌は、稲垣さんを次の道へと進めることとなる。

「出版社さりげなく」の始まりだった。

仲西さんの短歌がおもしろい。なんとしても本にしたい。それが、『さりげなく』を立ち上げた理由。作りたい本があるから、出版社を立ち上げる。ただ、それだけだった。

ちなみに当時はまだアソブロックに所属し、本業とは別に3つの仕事をしていたとき。その生活に、本づくりが加わった。稲垣さんの人生の色は、一つひとつがくっきりと分かれているわけではなく、常にグラデーションのように変化する。好奇心が溢れ出て止まらない稲垣さんの、飾らない姿だった。

けれど、体から小さなSOSが聞こえていたことに、稲垣さんは気づいていた。体調が優れず、原因不明の蕁麻疹が出はじめたのだ。

社会人3年目になって、仕事の流れや職場の雰囲気がある程度見えてきていて。いい意味で必死になりすぎず働けるようになったら、自分の体調に意識が向きはじめました。

私そもそも、1年を通して体調が悪くなりやすくて。片頭痛はひどいし、花粉症もあるし、寝不足になるとすぐに体がしんどくなるし。蕁麻疹が出たときには、これはいかんな、このままでは体がもたんと思いました。

自分の体調をおざなりにしていることは、わかっていた。でも社会人経験が少ないことを武器にできるのは、今しかない。体の小さな異変より、今、この時間の経験を優先していた。

けれど、このままではいけないとも強く感じていた。それは、ものづくりへの思いから生まれた感覚。

心や体がギスギスしていると、ものづくりも雑になる。無理した状態で作ったものが、いいものであるわけがないんです。そう気づいたときに思いましたね。「作家さんの思いや文章を大事にするために、もう無理はしないようにしよう」って。

いいものづくりをする第一歩は、健康でいること。兼業を続けた約3年間は、体力的にも精神的にも、自覚していた以上に限界を超えていた。その時期があったからこそ、もう限界は超えない。

キャパシティって大きくないんですよ、案外。

稲垣さんは、自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。

わかりにくさは、考えが生まれる余地がある

複数のことを同時に取り組んだり、ひとつのことに集中したり。限界を超えることにやりがいを感じたり、超えないことに価値を感じたり。稲垣さんの生き方は、一貫していない。それは彼女が立ち上げた『さりげなく』にも通じているように思う。

改めて『さりげなく』のコンセプトを聞くと、「A=Bというわかりやすいものではなくて、AとBの間に浮遊している思いや考えを掬いあげるような、わかりにくい本を作るのがテーマ」だという。

多くの人の共感を呼ぶようなわかりやすい本ではなく、あえて「わかりにくい本」を作る。その理由を聞くと、本でしかできないことをしようとする、稲垣さんの想いが垣間見えた。

How to本のように筆者が正解をわかっている本ではなく、筆者も正解がわからない本を作りたい。『モモ』はまさに、わかりにくい本認定ですね。わかりにくい本って、いろいろな考えが入る隙間があるんじゃないかと思います。

100%の理解や共感は、ほかのツールに委ねればいい。とくに今は、インターネット上のメディアでたくさんの文章が読める時代。そこにある文章は、各メディアならではの内容、文字数、言葉遣いなどが決められていて、共感してもらうことを前提に作られているものが多い。

もちろん100%の理解や共感を呼ぶ文章には、その文章の良さがある。ただ、本は本でしかできないことがある。そう稲垣さんは考えていた。

稲垣さんいわく「本にしかできないことは、わかりにくさを形にすること」。

内容も、文字数も、言葉遣いも、本の形も、すべてをゼロから決められる。本は本だけが持つ、自由さがある。実際、『さりげなく』が出版している本は規格外の大きさばかりだ。

わかりにくい本があると、「これなんなんだろう」って考えることができるし、何かを生み出すきっかけにもなります。「わかった!」で考えが終わってしまうと、何も生みだせない。受け取るだけで終わるわかりやすい本は、私は作らないですね。

わかりにくいからこそ、本で形にする。そこには、本ならではの可能性を心から信じ、純粋に本が好きだという気持ちに突き動かされている稲垣さんの姿があった。

現在も過去も自然体。一貫性はない

稲垣さんに、これまでの生き方を改めて振り返ってもらった。

限界を超えていた日々は楽しかったけど、今思えばやっぱり大変でしたね。今のようにリモートでの働き方は普及していなかったから、神戸に行ったり東京に行ったり岩手に行ったり……。ほとんど現地で仕事をしていたので、単純に移動が多かったし。

でも、当時は当時で自然体だったと思います。体力的にしんどかったけど、興味のあることは全てやっていましたから。今は絶対、キャパシティを超えないですけど。

人って一貫性がないですよね、と稲垣さんは笑った。

私だけではなくて、多くの人が一貫性がないんじゃないんですかね。どうなんだろう……。一貫した「これやりたい」とか「やりたくない」とかはないのに、気がつかないうちに一貫して、何かをやろうとしすぎているのかも。夜の打ち合わせが当たり前になったら、嫌やなって思っても、許容せなあかんと思ってしまうのかもしれないですね。

私も22時に打ち合わせするのが乗り気なときもあれば、絶対嫌やなって思うときもあって。嫌やなって思ったらやらないし、時にはお断りもします。

「あっ嫌やな」の「あっ」で、嫌やと思っている自分の気持ちに気がつくんです。気づくのが早いんやと思います。そのときの気持ちで動いてる。それが自然体ですね、言葉にするならば。

その時々の気持ちに委ねる。それは「A=B」と決まり切った何かがないということ。イコールでつながる何かがあれば、わかりやすいのかもしれない。

しかし、人生はそんなに単純明解とは限らない。他者からは掴みどころがないと思われるのかもしれないが、わかりにくいものや感情にこそ、自然体でいられる何かが潜んでいる気がした。

稲垣さんの人生の1ページは、今も追加されている。「もう無理はしない」と言い切る今は、見たことがない色の1ページになるのかもしれない。その時々の感情は違うけれど、それでいい。本と同じで、生き方だってわかりにくくていい。わかりにくいから考えることができ、考えるからこそ生まれる何かがある。

稲垣さんや『さりげなく』のわかりにくさを選ぶ姿は、私自身の今をとらえ直すきっかけになった。「そのときの気持ちに嘘をつかず、大切にしようとしている」から、わかりやすさとわかりにくさの狭間で葛藤しているのではないか、と。

稲垣佳乃子

兵庫県神戸市出身。新卒でアソブロックに入社し、同時に最多で4社と兼業する。2019年に出版社さりげなくを立ち上げ、翌年には法人化。2022年6月時点では9冊の本を直取引で出版している。


ソラミドについて

ソラミド

ソラミドは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

執筆

小溝朱里
ライター

岡山へ移住したフリーライター。観光メディアや採用広報など、ジャンルを問わずインタビュー記事を手がける。アートと言葉と雑貨が好き。

編集

安久都智史
ソラミド編集長

考えたり、悩んだり、語り合ったり。ソラミド編集長をしています。妻がだいすきです。
Twitter: https://twitter.com/as_milanista