「ちょっと変わっているよね」
そう言われて、何を思うだろうか。親しい関係性の人から言われると、少し褒められた気がして嬉しくなるかもしれない。一方で、会社の上司や距離のある関係の人から言われると、私の言動には問題があるのだろうか、と萎縮してしまうこともある。
社会には、たくさんの「こうあるべき」がある。多くの人が、そんな固定観念や常識に縛られ、いつの間にか自分の「変」な部分をしまい込んでしまっているのではないだろうか。
そんななか、「『変』であっていい」と世に伝えている人がいる。東京学芸大学の准教授で、変人類学研究所所長の小西さんだ。
小西さんいわく、「変」とは誰もが生まれながらに持つ潜在能力・創造力のこと。自分の中にある「変」を維持し、伸ばしていくことで新しいものや斬新なアイデアが生まれ得るという。変人類学研究所の目的は、人々がそうした「変」をしまい込まず、活かしていけるような環境や教育プログラムを構築していくことだ。
なぜ「変」は生まれるのか。そしてなぜ人は変であることを避けようとするのか。過去の事例や、「変人」と呼ばれてきた人たちの分析を通してそれらの要因を解明したり、ワークショップや講座を開いて「変」を活かしていくための実践的な体験の場を提供したりしている。
そもそも、小西さんの考える「変」とはどういうことなんだろうか。「変」を活かすって具体的にどうすればいいのだろう。小西さんにお話を伺った。

小西公大さん
1975年生まれ。東京学芸大学多文化共生教育コース准教授。文化人類学者であり、変人類学研究所の所長。インドや日本の離島をフィールドに、アートや芸能、音楽の力を通じた社会空間の創造に関する研究を進めている。著書に『萌える人類学者』『ヘタレ人類学者、沙漠をゆくー僕はゆらいで、少しだけ自由になったー』などがある。
変人類学研究所:https://henjinruigaku-labo.org/
生き抜くために作り上げた「変」
──変人類学研究所の存在を知ったとき、所長である小西さんがどういう人生を歩んできたのか知りたくなりました。小西さん自身、変と言われることが多かったのでしょうか。
そうですね。昔は学校という枠組みにうまくはまることができない子だったと思います。先生の話をずっと椅子に座って聞くことができなかったし、友だちの話についていくのも難しかった。みんなが好きなテレビや遊びも試してみたんですけど、なぜか好きになれなくて。どうしてみんなと同じようにできないんだろう、と不思議に思っていました。
そんなふうにクラスで浮いている存在だったので、一時はいじめの対象になったこともありました。それからは、いかにいじめられないためのポジションを取るか、を必死に考えるようになったんです。
そこで僕が編み出したのが、クラスのお調子者のポジションを取ること。授業中にわざとおどけてみたり、失敗したりしてみんなを笑わせていました。そうすると、「あいつはちょっとズレてるけど、面白いことをやってくれるヤツ」みたいに思ってもらえるようになって、いじめられなくなったんです。そのポジショニングこそが、みんなとうまくやっていくための唯一の戦略だったんですよね。

──「変だけど面白いヤツ」というキャラを自分で演じていたのですね。
でも、大学生のときにインドの旅に出てはじめて、それじゃダメだったんだと気づいたんです。
それまでの自分は、「私は変なヤツです」と表明することで周りとうまくやっていました。そう振舞うとうまくいく、という方程式ができあがっていたんですよね。
でも、インドではまったく通用しなかった。むしろ、自分のことをわかってもらおうとするほど、立ち回れなくなって。喧嘩になったり、嫌なことを言われたりするのは日常茶飯事でした。
──それはなぜだったのでしょうか?
インドと日本の文化が根本的に異なるからだと思っています。日本では、同調性や均質性といった、「みんなと同じであること」が社会の基盤になっています。だから、「自分はこういう人間です」と最初の自己紹介でパッケージのように提示するだけで、どんなキャラかある程度理解される。関係を築くのがある意味、楽なんですよね。
一方でインドは、「みんな違って当たり前」という前提があります。どうせお互いズレていてわかり合えないんだから、最初からわかり合おうとする必要なんてない。むしろ、どれだけ違うのか、そのズレ自体を楽しもうという人たちなんです。喜怒哀楽をぶつけ合い、言葉を尽くすことで、じっくりと時間をかけて関係を構築していくんですよね。
僕が彼らとうまくいかなかったのは、一方的に「僕はこういう人間だ」と伝えていたから。自然体でぶつかってくる人たちに対して、表面的な自分を見せても何も理解されなかったんです。

──例えば、どういう場面で「うまくいかない」と感じたのでしょう。
インドでは、街のいたるところで政治についての議論が日常的に繰り広げられているんです。それも、見ず知らずの人同士が、レストランやバス停のベンチなどで暇をつぶしているかのように。みんな議論を通して自分と相手の考えの違いを知り、楽しんでいたんですよね。
時々、そういう議論に僕も巻き込まれたことがあったんですが、まったく太刀打ちできませんでした。それまで、周りと合わせるためのポジショニングや、共感し合うための話題作りに必死で、自分自身が世界をどう見て、どう感じるかを表現する経験なんてほとんどなかった。まして、それを自分の未来の決断に繋げていく、いわば生きる力が育っていなかったんです。
結局、僕が作り上げてきた「変なヤツ」というキャラは、自分を守るための鎧にすぎず、自分を豊かにしてくれるものではなかった。インドでの旅は、今まで構築してきた戦略が、いかに表層的で無意味だったかを痛感させられる経験でしたね。
自分を開くことで、揺らぎが生まれる
──インドでの経験を経て、その後小西さん自身に変化はありましたか?
「僕はこういう人間です」という、ガチガチに固めた自分像を表明するのを辞めました。かわりに、自分を開くことで、他者が入ってくる隙を作るように意識したんです。
例えば誰かと話をするときは、自分を主張しすぎるのではなく、相手のうなずき方、話すリズム、声のトーン、内容など、その人の出すバイブレーションに合わせていく。無理に作り上げた自分を演じるのではなく、相手の出す波長にゆだねて自然と変わっていく自分を楽しむようになったんです。
そうすると、相手と自分が混ざり合う瞬間ができて、そこに“揺らぎ”が生まれると気づいたんです。

──揺らぎ?
僕が滞在していたインドの村でのエピソードを例としてお話ししますね。
その村では「ありがとう」という感謝の言葉を口にする習慣がありませんでした。日本から買ってきた懐中電灯を貸しても、彼らの問題解決を手伝っても、一切感謝の言葉がなかったんです。僕は最初、それがとても嫌で、つらかった。
でも、そこで立ち止まってみたんです。なぜこのようなことが起こるのか、彼らはどんな気持ちでそういう行動をとるのか、共同生活の中で相手の感覚に合わせながら観察してみようと。自分の価値観で判断せず、相手の波長に合わせてみたんです。
すると、彼らが「ありがとう」を言わない理由が少しずつ見えてきたんです。
──どのような理由だったんですか?
観察を続けると、僕がしたことへのお返しが、時間をかけて確実に返ってくることに気づいたんです。懐中電灯を貸したお礼に、こっそり僕の寝床にコーラを置いてくれたり、僕が困っているときに親身になって助けてくれたり。
彼らは感謝をしない人たちではなく、じっくり時間をかけて、最適なタイミングで恩を返すことを大事にしている人たちなんだと。「ありがとう」と簡単に言わないのは、もっとあなたと時間をかけて良い関係を築きたい、僕たちはそんな浅い関係じゃないよね、という意思の表れだったんです。
逆を言うと、何かしてもらったことに対して「ありがとう」とサラッと言葉でギブ&テイクの関係を成立させることは、彼らにとってはとても表層的で悲しいことでもあった。後でちゃんとお礼をするつもりでも、その場で感謝を部分的に言葉に変えようとする考え方自体が浅はかだったんです。

──面白い!そんな世界があるんだと驚かされますね。
まさに、他者をきっかけに揺らぎが生まれ、自分の世界が広がった体験でした。自分を開いていなければ、決して得られなかった学びだと思います。
反対に、自分の殻に閉じこもり、許容できるもの、共感できるものの中だけで生きていこうとすると、視野はどんどん狭くなってしまう。この経験を通じ、相手の波長に合わせ、自分を揺らぎの領域に持っていくことの大切さを改めて感じましたね。
設計書通りの生き方への違和感
──インドの旅で揺らぎの大切さを知ったのですね。その後、日本に帰国して改めて感じたことはありましたか?
みんな苦しそうだなと思うようになりましたね。日本では、就職活動の面接や自己紹介など、あらゆる場面で「お前の個性はなんだ」「どういう人間なんだ」という言葉を、シャワーのように浴びせられるじゃないですか。
でも、確固たる自分なんて、そう簡単には見つからないし、表明し続けられるものでもないんです。以前の僕のように無理にキャラを作っても、関わる人や環境によって変わってしまうかもしれませんから。なのに「自分はこういう人間です」と言い続けなければならないのは、本当に苦しいことです。

──言われてみれば、自己紹介で個性を求められるのはプレッシャーかもしれませんね。
さらに、日本の社会構造にも違和感を覚えるようになりました。文化人類学者のレヴィ=ストロースは、世界の捉え方を「エンジニアリング思考」と「ブリコラージュ思考」の2つに分けているんですが、日本はあまりにもエンジニアリング思考に偏っていると感じたんです。
エンジニアリング思考というのは、エンジニア(技術者)が何かを作るときのように最初に設計図を書き、そこから逆算して計画を立て、計画通りに進む思考法。固定化されたゴールに向かって、すべてを捧げるようなイメージです。
一方、ブリコラージュ思考はフランス語のブリコラージュ=「日曜大工」という単語に由来したもの。明確な計画なしに、ありあわせの素材で試行錯誤しながら進む考え方です。素材と対話しながら、その場の状況に合わせて変化させ、揺らぐことで、予想外の素敵なものを生み出すこともできるんです。
──たしかに、私たちが学校や企業で学んできたのは、エンジニアリング思考に基づいた考え方な気がします。
そうなんです。例えば、ある学生が教師を目指しているとすると、そのゴールを達成するために大学生活のすべてを捧げちゃうんですよね。アルバイトも塾の先生をしたり、サークルも教育関連のものにしたり。もちろん目標に突き進むことは素晴らしいことですが、「教師になるにはこうすべき」と最初から生き方を固定してしまうと、揺らぐ隙がなくなってしまう。すると、視野が狭まり、型にはまった考え方から抜け出しにくくなるかもしれません。
インドから帰国した僕にとって、企業で働く大人もそのように見えていました。就職すると、会社が設定した目標を達成するために、自分の時間、能力、肉体すべてを捧げることになる。もちろん、後になってすべての企業がそうではないとわかりましたが、まだ社会を知らない大学生の僕には、その世界がとても窮屈に感じられ、距離を置きたいと思うようになったんです。
そんなときに僕が惹かれたのが、学問の世界でした。そこなら、自分の経験や学びが、直接自分の成長や豊かさにつながると感じたんです。そんな経緯で大学院では社会人類学を学び、博士課程、研究員というステップを経て、今に至っています。

「変」とは、放っておくと出てくるもの
──エンジニアリング思考に偏ることで、どんな影響が考えられるのでしょうか。
すでに日本ではその影響が出てしまっているんですが、言われたことを忠実にこなすイエスマン的人材が育ちやすくなってしまうんですよね。もちろん、そういう力も大切なんですが、そればかりだと問題も出てきます。
例えば、日本の経済が右肩上がりだった時代は、トップダウン型の組織と、それに従う働き方がうまく噛み合っていました。だから、エンジニアリング思考がある意味で最適だったんです。でも90年代頃からグローバル化が進むと、この画一的なやり方だけでは立ち行かなくなってきたわけです。

世界の国々は、個々のスキルや経験をぶつけ合い、そこから化学反応を起こして新しい価値をどんどん生み出している。でも、「こうするべき」を一心に受けてきた我々の中では、新しい発想や革新が生まれづらいんですよね。最近はそんな社会を変えようという動きも増えてきていますが、それでもまだ、若い人が新しいことをやろうとすると、上の立場の人たちがそれを抑えてしまう、なんてことが続いているんです。
だからこそ、これからは周りと少し違う視点を持ったり、新しい試みを始めたりするような、ズレを生み出す人が必要なんです。そうしないと、日本社会はますます内にこもってしまい、ズレを認めずに排除してしまうような、息苦しい方向へ進んでしまうと危惧しています。
──ズレを生み出す人を増やす。
その思いが、僕が変人類学研究所の所長を引き受けた大きな理由なんです。実はこの研究所、もとを辿ると吉本興業さんが関わっていたもので。芸人さんたちって、我々が日常でスルーしてしまうことからズレを見つけて笑いに変える、いわば感性がズレている人たちじゃないですか。
吉本興業さんは、そういうズレた人を増やそうとしていたんですよね。それで発足したのが、変人類学研究所だったわけです。
同僚の先生からこの話を持ちかけられたとき、すごく面白いなと思って。僕がインド旅を経て考えていたことと研究所の理念が一致して、喜んで所長に就任させてもらったんです。

──吉本興業さんと関連があったのは意外でした!小西さんのいう「変」とは、一体どういうものなのでしょうか。
「変」というと、周りと違ってすごく目立っていること、みたいに思われがちですが、僕の考える「変」はもっと地味なものなんです。自分にしか感じられないワクワクした気持ちとか、みんなで話しているときにふと抱く小さな違和感とか。そういう、日常のささいな場面で、ふわっと出てくるぐらいのズレが、一番リアルな「変」なんですよね。
だから、僕が以前作り上げていたお調子者キャラは、無理やり作っていた「変」なんです。本当の「変」は、放っておくと自然に出てくるもの。そして、その「変さ」を育てていくこと、つまり「変さ値」を上げていくことこそが、人がより豊かに生きることに繋がるんじゃないかな。
──放っておくと「変」は出てくるものなんですね。
でも、今の日本社会では「変であってはいけない」という考えに憑りつかれている。そして、せっかくの「変」をしまい込んでしまい、苦しくなっている人があまりにも多いと感じます。
だから、僕たち変人類学研究所の役目は、「変」であることを辞めようとしている人たちに、「そんな必要ないよ」とそっと伝えること。そして、もっと気軽にズレを生み出せるように、日々の生活の中に余白を取り入れよう、と呼びかけることなんです。

世界に身体を預け、螺旋を描くように生きる
──ズレや「変」を生み出すためには、余白を取り入れることが大事だと。
ただ、今の学生たちを見ていると、余白を全部埋めなきゃと思っている人が増えているんですよね。授業の間に1時間でも空きが出たらアルバイトを入れたり、土日に予定がないと不安になったり。もし時間があったとしても、話題のカフェやスポットへ出かけて、SNSで「素敵な休日を送っている私」を表現する人が非常に多い。そうやって、貴重な余白さえも「こうあるべき自分」の演出に使ってしまうと、自分の中の「変」をキャッチするアンテナが、どんどん鈍ってしまうんです。
そうじゃなくて、まずは自分にとってどう過ごすのが一番気持ち良いことなのか、ワクワクすることなのか、と自分の心の声にちゃんと耳を澄ませてほしい。みんなが良いと言うものに合わせるのではなく、自分の感性だけを頼りに過ごす時間を意識的に作ってほしいんです。そういう時間が増えるほど、自分が持つ「変」への感度が高まっていくと思います。

──例えばどのようにしたら、「変」に気づくことができるのでしょうか。
「変」に気づく手法の一つとして、変人類学研究所では「街歩きフォトワークショップ」というのをよくやるんですよ。参加者に2時間ほど街を自由に歩き回ってもらい、その間に心が動かされたものを写真に撮ってもらうというものです。
すると、みんな同じ街を歩いたにもかかわらず、まったく違うものを撮ってくるんです。ある人は電柱ばかり、ある人は変な看板ばかり、とかね。それを持ち寄って見せ合いながら、「〇〇さんは、こういうところに目がいくんですね」なんて話しているうちに、自分が何に興味関心を持ち、違和感を抱くのか、つまり「変」の種が少しずつ見えてくるんですよね。
そこで見つけた自分だけの「変」の種を大切に温めて育てていくと、「変さ値」が上がっていくんです。
──ただ、「こうあるべき」という固定観念や常識がたくさんある社会で、「変さ値」を上げていくことは少し難しいように感じます。
実はそのバランスが重要なんですよね。型から完全に外れてしまうと、誰からも理解されず、社会から排除されかねない。かといって、人生の100%を型にはめてしまうと、今度は自分が苦しくなるし、そこから少しでもズレる自分を許せなくなってしまう。だから、「型にはまる自分」と「感性に身を任せる自分」をうまくバランス良く循環させることが大切なんです。
もし自分が型にはまっているなと感じたら、余白を作ってみる。あるいは、あえて自分らしくないことをやってみて、自分を揺らぎの世界に連れ出してみる。そんなふうに固定化された世界と、余白を楽しむ世界を行ったり来たりするのがいいんじゃないかと思うんです。
そうすると、自分がどの世界にいるかによって、自分の反応が変わってくるんですよね。その中で、一番ワクワクするものを、その都度大切にしていけばいいと思います。

──揺らぎながら、一番大切にしたいものを見つけるんですね。
そうなんです。大切なのは、揺るぎない自分を追い求めるのではなく、むしろ自分は常に揺らぐものだと捉えること。周りの環境や関わる人が変わることで、そこに新たな揺らぎが生まれ、自分が何にワクワクを感じるかも変わっていく。その揺らぎ自体を味わい、楽しんでいくんです。今、夢中になっていることでも、2、3年後には全く違うことに心が動いているかもしれない。それでいいんです。
固定化された「あるべき自分」を実現するために一直線に進むというよりは、もっと世界に自分の身体を預けて、まるで螺旋を描くように揺らぎながら生きていく。そして、その時々生じる自分の中の小さな「変」や心の声に丁寧に耳を傾け、世界を広げていくことこそが人生を豊かにしてくれるのだと、僕は信じています。

ご著書紹介
『ヘタレ人類学者、沙漠をゆく 僕はゆらいで、少しだけ自由になった。』
お話の中にも出てきた、インドのタール沙漠での出来事がたっぷりと詰まった一冊。「ヘタレ」な研究者として、また一人の旅人としてインドに通い続けた小西さんに生じた“ゆらぎ”について書かれています。

小西さんのお話を伺い、自分がいかに型に縛られていたか、改めて気づかされました。目標を達成することばかりに目を向けて、余白を持つことや、“今”どう思うかを、ないがしろにしていたように思います。
もちろん、目標に向かって努力することも大事だけど、これからはもっと余白をとることに重きを置いてもいいのかもしれない。揺らいで、ときには遠回りになることもあるかもしれないけれど、きっとそのほうが、自分が納得できるような面白い未来になる。そんなふうに、心が軽くなるような取材でした。
ソラミドmadoについて

ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media
企画・取材・執筆

岡山出身。大学卒業後、SE、ホテルマンを経て、2021年からフリーランスのライターに。ジャンルは、パートナーシップ、生き方、働き方、子育てなど。趣味は、カフェ巡りと散歩。一児の母でもあり、現在働き方を模索中。
撮影

東京都在住。ある一枚の写真に魅せられてフォトグラファーの道へ。
スタジオ、アシスタントを経て東京を拠点にフリーランスで活動している。