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「ワクワクの種」に水を注ぐように。福岡 梓さんが育てた、違和感に正直な生き方

「自分の人生は、自分で切り拓こう」

とても大切なことだと分かっているのに、つい周りの声に振り回されてしまう。私の「心の声」はどこにあるのだろうか。本当の意味で、「自分の人生を生きる」って、どういうことなのだろうか。

そんなことを考えていたときに知ったのは、福岡 梓さんの存在。

福岡さんは、学生時代に女子サッカーの強豪「日テレ・ベレーザ(現:日テレ・東京ヴェルディベレーザ)」に所属し、選手として活躍されていました。しかし、大学2年生の時に引退。その後、サッカーとは全く異なる、マスコミ業界へと足を踏み入れます。

さらに現在は、東京から拠点を移し、千葉県の鴨川市にある釜沼集落へ。子育てに専念する傍ら、移住のきっかけとなった「パーマカルチャー」の暮らしを実践しながら、その魅力を発信されています。

※パーマカルチャーとは…「パーマネント(永続性)」「農業(アグリカルチャー)」「文化(カルチャー)」の3つのワードを組み合わせたことばで、永続可能な農業を中心とした、人と自然が共存する持続可能な生き方のこと

スポーツ選手を引退し、マスコミ業界へキャリア転換。さらに結婚と出産を経験し、パーマカルチャーを実践するために千葉県に移住。それぞれの転換点で“大きな”決断をしている彼女の大胆さ。まさに自分の人生を生きている。

けれど、インタビューを通じて感じたのは、福岡さんは“小さな”「違和感」も見過ごさず、心の赴くまま行動し続けた結果、いまがあるということ。

今回は、福岡さんのこれまでの歩みを振り返り、「自分の人生を生きる、とは」をテーマに考えてみたいと思います。

実力主義の世界。「その先」を見失った。

福岡さんは、東京都・三鷹のご出身。

女子サッカーにパーマカルチャーの暮らしと、わんぱくなイメージのある福岡さん。その一方、ご両親はとても教育熱心だったそうで、ヴァイオリンを習っていたお姉様の影響で、4歳からピアノ教室に通うなど、比較的インドアな幼少期を過ごしたそう。

そんな生活の中で、何が彼女の心をサッカーと結びつけたのだろう。

「女の子だから足を開いてはダメだ」という理由で、おんぶもしてくれない両親だったんです。そんな両親のもとで育ったのに、小学校に入りたての頃に、メキシコのワールドカップをテレビでみていたら、「サッカーをやってみたい!」って気持ちになっちゃって。

親からしてみたら、衝撃だったと思いますよ(笑)。「どうせ続かないだろう」なんて思いながら、少年団のチームに入れてくれたんです

当時、所属してたチームが結構強くて、大会で勝ち上がっていくのを経験していたら楽しくなってしまって。それで、中学校に上がるタイミングで読売ベレーザのセレクションを受けて入団することになったんです。みんなびっくりですよね。

ただ、スポーツ界って親のバックアップが手厚い業界じゃないですか。だから、うちの両親は「ぽっかーん」ってなっちゃって(笑)。

幼少期から、楽器に囲まれて暮らしていた福岡さん。サッカーは、各選手の個性を発揮しながら「ハーモニー」を奏で、調和を目指す美しいスポーツだと捉えていたといいます。

しかし、17歳でトップチームの世界に足を踏み入れた瞬間、そこにあったのは実力主義の社会。同時に生じたのは、心の「違和感」でした。

昔から、「人と争う」ことがすごく苦手だったんですよね。楽しくサッカーをやりたかっただけなんです(笑)。けれど、レギュラー争いや日本代表の選手になるために、チーム内でも競い合うことが増えて。そうしてまでサッカーをするのは、私はちがうなって感じたんですよね。

監督やコーチも気づいていたみたいで。私がほのぼのとしている性格だったので、ボールを追いかける時に、やっぱり他の子とは差が出てるって言われていました。上手い人たちと一緒にやるのは楽しかったのですが、「その先」を見失ってしまったんだと思います。

スポーツ一筋の人生から、一転

「違和感」を大切に、大学2年生のタイミングでサッカーの道から外れることを決断。けれど、そこで立ちはだかったのが「就活」の壁でした。サッカーが中心だったこれまでの生活。その横で、勉強に勤しむ同級生たちの姿を目にし、急に襲われた無力感。

「私、このままではマズイかも……」

さらに当時は、バブル経済で景気もよかった時代。現役の際もスポンサーからの待遇が良く、自分は幼い頃からだいぶ恵まれていたのかもしれない、そう感じたといいます。

就活の土俵に上がる前に、まわりに追いつかなければ。その思いで、家庭教師やサッカーコーチのアルバイト、イギリスへの語学留学など、気になったことには貪欲に挑戦。結果、就活では大手企業からの内定も含め、複数社から内定を獲得している状況に。

順風満帆に感じる、彼女の人生。しかし、サッカー界から離れて一般企業に就職という選択は、勇気が必要だったはずです。当時、不安はなかったのでしょうか。

スポーツで鍛えた土台を使えば、どこにでもいけるんじゃないかって思っていたので、不安は全然なかったですね。その点に関しては、親の影響もあるかもしれません。両親が会社を経営していたので、日々いろんな大人が出入りしてたんですよ。

いろんな人たちを見ていたから、私もどうにかなるだろうって。最終的には、叔母に連れて行かれた会社で働くことになったんですけどね(笑)。

叔母の紹介ではじめたTVCMの制作会社でのアルバイト。毎日がお祭りのようで、心の底から楽しかった。けれど、忙しさで家に帰れず、会社に寝泊まりする日々。それでも、周りの人たちに恵まれ、人を支える仕事が大好きだった。

そのまま入社し、気づけば10年。

「人のために生きるのが好きなんだ」と思っていた。そのときは。

このまま「都会の星屑」となって消えてしまうかも。

福岡さんは、テレビCMや映画などのマスコミ業界に計20年ほど携わり、サッカー業界から引退後はいわゆる「キャリア」を着々と積み上げる生活を送られていました。

けれど、仕事で多忙を極める中、車の運転をしていた時でした。突然、ストレス性の難聴を発症し、一時的に両耳が聞こえなくなってしまったといいます。

働きすぎちゃった、って。その時にようやく、気づきましたね。

お金を使う暇もなく、貯蓄は増える一方。周りの人にも恵まれて、やりがいを感じる日々。正直、そんな生活の方が「楽」だった。

けれども、このままでは”都会の星屑”になって、いつか消えてしまうかもしれない。ずっと見て見ぬふりをしていた、「違和感」が溢れ出してきた。

自分の人生に向き合うって、面倒くさいんですよね。考えても、わからないことが多いですし。”気づいているんだけど、落としていない台所の汚れ”のようなものが、ずっと心の片隅にあったんだと。見て見ぬふりをしていたのだと思います。いつのまにか仕事に忙殺されて、「まあ、いっか」って。

日々の喧騒から離れるため、一人旅で訪れたハワイ島。そこで、パーマカルチャーとの出会いを果たします。

当時滞在した「ジンジャーヒルファーム」と呼ばれるその施設は、小田まゆみさんという日本人の方がはじめた農園。パーマカルチャーの研修施設としても機能している場所でした。

しかし、パーマカルチャーを知った当初は、特別に心を惹かれたわけではなかったとのこと。

きっかけは、イルカと一緒に泳ぎたい!と思ったことだったので、農園を見せてもらったときも、特に心が動いたわけではなくて。けれど、帰国して検索してみたら、どうやら日本でも実践している人がいると。

それが、ソーヤー海君で、彼はパーマカルチャーの魅力を届ける団体「東京アーバンパーマカルチャー」の創始者です。

はじめて彼の姿を見た時は「怪しいな」って思いましたよ(笑)。後日、とあるイベントに彼が登壇すると知って、半ば怖いもの見たさで会いに行ったんです。そしたら、「Welcome!」って気前よく話しかけられて、そのまま仲良くなっちゃって(笑)。

「いつか、この暮らしは崩れるんじゃないか」と思っていた。

その時、ソーヤー海さんの言葉を通じて、福岡さんが幼少期から心の奥にしまっていた、現代社会への「違和感」が溢れ出します。

当時、ソーヤー海君が言ってることが新鮮で。自分たちの身の回りにあるもの、例えばアスファルトもすべて石油から作られてるんだと。人間は、地球のエネルギーを使っては捨てている。そのことに気づいて、急に気持ち悪くなっちゃって。

自分の身の周りが、気づいたら人工物だらけだということに気づいて、「あ、ダメかも…」って。そこから、環境に負荷をかけない暮らしをしたいなと思うようになりました。

ソーヤー海さんに出会うまで、農業は泥臭い世界だと思い、良いイメージがなかったそう。けれども、彼が教えてくれたパーマカルチャーは、そのイメージとはかけ離れたものでした。

舞台は、アメリカの西海岸。カラフルな服を身にまとい、台車には太陽光発電とDJブース。大きな音で音楽を鳴らしながら、まるでパーティーをしているかのように、堆肥を作る人々。そこにあったのは、どこまでも明るく、自由な世界。

「私も、こんな暮らしができたら」

そんなことを考えながら、当時、実家暮らしをしていた福岡さんは、パーマカルチャーを通じたつながりを求め、ソーヤー海さんの紹介を通じてとあるシェアハウスに入居することになります。30人ほどの老若男女が住むその家は、まるで多民族国家のように賑やかだったと語る福岡さん。

同時期に住んでいた達也さんと入籍し、長男・多羅(たら)くんが誕生した後も、しばらくシェアハウスに暮らし続けたそう。

そして2020年7月、ついに東京から拠点を移し、千葉県の釜沼集落へ家族3人での移住を決意します。

やっぱり、自分のフィールドで、自分の手で食べものを作ってみたかったんです。そこで、一年ほど時間をかけて、いろんな土地に足を運んでいたときに、この釜沼集落の美しさに惹かれて。ここなら理想の暮らしができるんじゃないかと直感的に感じて、移住を決めました。

いま笑えているのは、パーマカルチャーを実践してみて、「自然の偉大さ」を知ったからですね。人間って、本当にちっぽけだなって。

自然に対して、人間は太刀打ちできないんですよ。無機質なもので溢れた都市は、人間がコントロールできているように見えますが、地球は生き物が主役ですから。都会で過ごしつつも、小さい頃から心の底で「今の暮らしは、いつか崩れるんじゃないか」って感じていましたね。

「人生をコントロールする」ことをやめる

キャリアを積み上げる暮らしから一転。仕事を辞める、住む場所を変える、心を寄せるコミュニティから離れる、その意思決定に不安はなかったのでしょうか。

私は、昔から興味本位の方が優ってしまうタイプなんです。「ダメ」と言われるほど、やってみたくなる性分で、親も大変だったと思いますよ。なので、正直、周りに迷惑をかけているところもあるかもしれないです。夫も、移住に巻き込まれましたからね(笑)。

けど、隣の芝生は、体感しないとずっと青いんですよ。自分でやってみないと、その「青さ」は消えない。ずっと、憧れのままで死ぬのは嫌だなって。せっかくなら、自分がどう感じるのか知りたいじゃないですか。

お話を聞いていると、福岡さんはご自身の「違和感」に気づくことに長けているのではないかと思ってしまいます。まるで、自然体であることを意識せずとも、体現しているかのように。

もし「違和感」に気づいていたとしても、選択の先に後悔があるかもしれない。その恐怖を感じて、なかなか一歩踏み出すことができない人も多いはず。福岡さんに、いま、後悔はないのでしょうか。

失敗談も、今ではすべて笑い話ですね。私も「この世から消えてしまいたい」と思ったことは、数えきれないほどあります。けれど、私だけに限らず、人間って忘れる生き物なんです。だから、嫌なことはすべて忘れちゃってください(笑)。

人との出会いも、モノとの出会いも、その波に乗れるかどうかはすべて「タイミング」です。人に迷惑がかからないことであれば、心を動かされる時に、やった方がいいんじゃない?って思います。

「人のために生きる」人生から、「自分のために生きる」人生へ、着実に歩みを進める福岡さん。

筆者自身、他人の期待に応えて喜んでもらえることに依存しがちで、ふと我に返ると、自分の心が何に動かされるのかわからずに悶々と悩むことがあります。自分で人生をコントロールできていない焦燥感。そんな悩みを伝えてみました。

今の私が生きやすくなったのは、自分の人生を自分でコントロールすることを諦めたからでしょうね。目の前の状況を受け入れる。自分をよく見せるためにコントロールしようとすると、やっぱり変な方向に行っちゃうんですよ。

私自身、都内で働いていた時は、たくさんのお金をブランド物につぎ込んでいたんです。アパートの一室が、服やカバン、靴で埋め尽くされていた時期もあったほど。

でも今となっては、健康が一番って思いますね。家族という守るべきものができて、ひとりだったら味わえなかったような思い出も日々積み重なって、幸せだなって。

「自分の人生をコントロールすることをやめる」という言葉を聞いたときに気づいたのは、自分の首を絞めていたのは自分だった、ということ。

これだけ多くの知恵や情報があるのだから、自分の人生は自分でコントロールしなさいと社会から言われているようで、まるで「すべてをコントロールできている状況こそ正義」だと、無意識に思い込んできたのだと。

けれども、今の自分が乗っている波に、身を委ねてみてもいいのではないか。硬く強く在るよりも、柔らかくしなやかな方が、きっと心地がいい。少しだけ、今の自分を肯定してあげる勇気を分けてもらった気がしました。

心に火をくべる、「ワクワクの種」を見逃さない

心が赴くまま、軽やかに生きる福岡さん。最後に、「自然体」で生きることの秘訣を聞いてみました。

自分の心が動く、「ワクワクの種」を見逃さないことだと思います。時間がないとか、今すぐ仕事を変えられないとか、色んなものに縛られるかもしれないけど、そのワクワクだけは本物だから。それを信じて生きていくのが大切じゃないかなって。

その「ワクワクの種」を見逃さないためには、いろんな人と会って話すのが、一番良いと思います。「自分探しの旅」っていいますけど、遠くにいく必要はなくて。土地ではなくて人。神様って、良いタイミングに良い人と出会えるようにしてくれてるんですよ。

福岡 梓

1977年東京都・三鷹市生まれ。学生時代は日テレベレーザでサッカー選手として活躍。大学卒業後はテレビCMや映画などのマスコミ業界に携わる。

2014年、ハワイ島で出会ったパーマカルチャーの世界に魅了され、帰国後に千葉県・鴨川市にある釜沼集落に移住。パーマカルチャーを広めるべく、自身の暮らしをスタート。

さらに、ソーヤー海が代表を務める「東京アーバンパーマカルチャー」にて、子ども向けのパーマカルチャー本『みんなの地球カタログ』の文章を担当。


ソラミドについて

ソラミド

ソラミドは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

取材・執筆

吉井萌里
ソラミド編集部

96年生まれ。福井県出身。フリーランスでライター、マーケティングの仕事をしています。日本の「生きづらさ」の原因、を模索中。精神的に豊かで居られる社会づくりに貢献したい。義理と人情で生きてます。
Twitter: https://twitter.com/xlxlxler_mel

撮影

飯塚麻美
フォトグラファー

東京と岩手を拠点にフリーランスで活動。1996年生まれ、神奈川県出身・明治大学国際日本学部卒業。旅・暮らし・ローカル系のテーマ、人物・モデル撮影を得意分野とする。大学時代より岩手県陸前高田市に通い、おばあちゃんや漁師を撮っている。2022年よりスカイベイビーズに参加。
https://asamiiizuka.com/