本来の自分に還ってこそ、天職は見つかる│私の天職、見つけました。Vol.6 高橋響さん(フラワーアーティスト)
自分の仕事に対して、自信をもって“天職”だと言い切れる人はなかなかいません。
でも誰もがきっと、天職だと誇れる仕事ができたらと憧れの気持ちを抱いているのではないでしょうか。
『私の天職、見つけました。』は、「天職に就いている」と胸を張って自分らしく活躍する人にインタビューを行い、「天職とは何たるか」を探る連載企画です。
今回登場いただくのは、フラワーアーティストの高橋響(たかはしひびき)さん。「植物と人をつなぐ」をテーマに、植物を用いた瞑想や、心身を整えるためのワークショップなどを行なっています。
響さんを知ったのは、2022年。とあるワークショップがきっかけでした。その頃は、フラワーサイクリストという、廃棄される花をドライフラワーや装飾などにして活用する仕事をされていた響さん。現在と活動内容は違えど、目の前の人や花に真摯に向き合う姿は、愛で溢れていて、いきいきとしていました。
私もあんな風に働きたい。だけど、彼女はきっと特別なんだろうな…。
そう思いながら話しかけてみると、響さんは過去に4度転職をし、キャリア迷子に陥ったことがあると知ったのです。ソラミドmadoで“天職”を探る連載企画が生まれた今、何かヒントをもらえるかもしれないと思い、2年ぶりに連絡をし、取材させていただくことになりました。
キャリア迷子から、花に関する仕事に至るまで、響さんはどのような道のりをたどってきたのでしょうか。
過去を紐解きながら、“天職”について語っていただきました。
植物の持つ力を活かし、心と向き合う体験を創造
── お久しぶりです!2年前に会った時とは違う活動をされているようですが、響さんは今どんなことをされているんですか?
「植物と人をつなぐ」という思いを軸に、さまざまな活動をしています。その一つが、フラワーメディテーション。緑豊かな庭や農園で、お花摘みや瞑想、花生けを通して、自分の心と身体に向き合う体験を提供しています。そのほか、植物を通して心と身体を整えるツアーやワークショップを開催しています。
実は、フラワーアーティストとしてこの活動を始めたのは今年(2024年)の春頃で、まだ半年ほどしか経っていなくて。それまでは約3年半、フラワーサイクリストとして活動していたんです。
── フラワーサイクリストと、現在のフラワーアーティストにはどんな違いがあるんでしょうか?
フラワーサイクリストは、綺麗な状態で廃棄される花(ロスフラワー)をドライフラワーや装飾などにして新たに価値を生み出す活動のこと。分かりやすく言うと、花を「救う」活動です。
でも、植物ってそうやって人間が手を加えなくても、何億年も前から、自然の循環の中で生きてきたんですよね。そういった植物が持つ本来のパワーや叡智などから、私たち人間が学ぶものがたくさんあると気づいたんです。
現在は、そんな植物の力を「活かす」ことに目を向け、心と身体を整えたり、本当の自分を見つけたりする体験を創造しています。
キャリア迷子の末、見つけた“花”の仕事
── 響さんは、花に関わる仕事に就くまでに、4回転職されたんですよね。どんな道のりをたどってきたんですか?
レジャー関連、アパレル、不動産、ITスタートアップ、PR会社…と、職種も業種も違うところを転々としてきました。どこに行っても社風が合わなかったり、やりがいを感じられなかったりで、長くても3年ぐらいしか続かなくて。PR会社時代には、激務で体調を崩し、休職するまでに至ったんです。それが2020年、社会人7年目の頃でした。
あの頃は、進みたい道はわからないけど、エンジンだけは全開で進んでいる状態でした(笑)。東北の田舎で素朴に育ってきたからこそ、都会に出て「社会に必要とされる人間にならなければ居場所がなくなる」というプレッシャーを強く感じていたのかもしれません。必要以上に鎧をまとおうとしていましたね。
── いわゆる、キャリア迷子に陥っていた。
休職した時は、まさにどん底の状態でした。復職はしたくないけど、コロナ禍で求人がないから転職も難しい。もし転職できたとしても、次は5回目。職歴がぐちゃぐちゃで、転職回数が増えていくのも引け目に感じていました。八方塞がりになって、すべてがゼロになった感覚でしたね。
そんな時、私を救ってくれたのは『東北プロボノプロジェクト』でした。企業や起業家と共に被災地で新しいモノ・コトを生み出すというプロジェクトです。地元東北が震災の被害にあった当時、私は東京で何もできず、ずっと後ろめたさを感じていて。今なら私にも何かできるかもしれないと思い、参加しました。
そのプロジェクトで、現地に足を運んだ時に衝撃を受けたんです。たくさんの熱意ある起業家たちが、新しい事業を立ち上げ、町全体が盛り上がっていく様子を見て、こんなにも魅力的な場所だったんだと。それまで地元には働く場所がないと思っていたけど、「東京以外にも居場所はたくさんあるんだ」とハッとさせられたんです。
日本各地には、まだ知られていない魅力がまだたくさん眠っているはず。そう思い、地域と人を繋ぐことを生業にしていきたいと考えるようになりました。
ただ、どうやったらそれが実現できるかは分からなくて…。
そんな時に偶然見つけたのが、フラワーサイクリストを育成するスクールの受講生の募集でした。花は、多くの人を惹きつける力があるから、人と地域をつなぐことができるかもしれない。何より、光が当たらなくなったものに価値を生み出していくという概念が当時の自分に重なり、ビビッときたんです。
花に関する仕事は初めてでしたが、募集を見つけた数時間後には応募をしていました。
── 2020年9月にはフリーランスのフラワーサイクリストとして独立されたそうですね。会社員からフリーランスになることに不安や葛藤はなかったのでしょうか?
不思議と「この道なら大丈夫」という根拠のない自信があったんです。体調を崩して休職し、どん底の状態を経験していたからこそ、すべてをゼロにして考えられていたのかもしれません。
もちろん、休職当初は会社員以外の道は考えていませんでした。なぜか「会社員じゃないといけない」みたいな謎の考えに縛られていたんですよね(笑)。でもそこで、なぜそんなに会社員であることに固執するのか紐解いてみたんです。
その時、考えたのが「幸せの最低条件」でした。誰とどんな環境で過ごせたら幸せか、そのために月にいくら必要か……ということを細かく書き出してみたんです。当時の私は、居心地のよい住環境でパートナーと過ごせて、家族や友人が健康でいてくれたらそれで幸せでした。それなら、正社員である必要はないと気づき、ようやくその思い込みから解放されたんです。
そうやって、どん底の状態でも、自分と向き合い続けていたから、直感を信じられたのかもしれません。
天職だと思っていたのに生まれた“違和感”
── いよいよ、フラワーサイクリストとしての活動の始まりですね!
フラワーサイクリストになってからは、ドライフラワー作品の販売や、商業施設やイベントの装飾、ワークショップの開催など、いろんな経験をさせてもらいました。とにかく楽しくて、まさにこれが天職だと思っていましたね。
とくに、人が変わる瞬間に立ち会えることが、この仕事のやりがいでした。ドライフラワーの作品を作るワークショップを開催した時に、障がいを持ったお子さんとお母様が参加してくれたことがあったんですね。いつもは長時間座っていられないのに、もくもくと作品を作り続けるお子さんの様子を見て、「アートの道があったんだ」とお母様が感動されていたんです。
お客様がアーティストのように没頭しだす瞬間や、作品を通して何かを感じとる瞬間を目にすることが、何よりの幸せでした。自分が魂を込めてやっていることに対して、そんな反応が返ってくると、素直に「生きてるな」と実感できたんです。
でも、フラワーサイクリストの活動を始めて3年経った頃、花との向き合い方に違和感を覚え始めたんです。
── 天職と思っていたのに、違和感を覚えた…?何があったのでしょうか。
週に一度、店舗をお借りして「水曜日の花屋」という花屋を運営していたんですね。生花を販売し、売れ残った花はドライフラワーにして作品や装飾に活用したり、ワークショップで使用したりすることで、私なりの“循環”を生み出していました。
でもある時、その循環に居心地の悪さを感じるようになったんです。植物って、朽ちることすら美しいし、朽ちた後も、土に還って春に花を咲かせる栄養元になるんですよね。そんな自然界の完璧な循環がある中で、私の作り出すものはとても窮屈で、不自然なんじゃないかって。
そんな中、ある日たくさんの生花を枯らしてしまったんです。仕事が立て込んで、ドライフラワーに活用できるはずの花を手入れする余裕もなくなっていて。もちろん、初めてのことではなかったのですが、違和感を抱いている中での出来事だったので、すごくショックでした。
自分にとってパートナーである植物をないがしろにしていたと気づき、「私は植物を扱う資格なんてない」と落ち込みました。植物に触れることさえも、怖くなったんです。
── 違和感を抱きながらも、どうしていいか分からなくなったんですね。
でも、自分が大きく変わる、決定的な出来事が起きたんです。それは、今年(2024年)の4月、秋田県鹿角市の大湯という温泉地で開催されたリトリートツアーに参加した時のことでした。
そのツアーは、温泉に浸かったり、縄文遺跡やパワースポットを巡ったりすることで、心身を整えるものでした。最後には、とある名家のお庭で自由に花を摘ませていただき、花生けをする時間があって。その体験が衝撃的だったんです。
当時の私は、植物を扱う資格がないと思っていたくらいだったので、ツアー前半は肩に力が入りまくりだったんですね。でも、最後の花生けの時間になり、花を摘みに庭に出た瞬間、たくさんの植物に「大丈夫だよ」と抱きしめられるような感覚を確かに味わったんです。そこでようやく、私は植物に触れていいんだと自分を許せるようになりました。
同時に、植物を前にして「平和な世界」が見えたんです。植物は、自分の悩みがちっぽけに感じられるほど、大きな愛で溢れていて、他の植物と比べることも、人間から何かを奪おうとすることもない。まさに、愛と調和そのものだと。この感覚で地球上のみんなが存在すれば、きっと世界は平和になる、と。
その瞬間、私には他にやるべきことがあると感じたんです。フラワーサイクリストの仕事は素敵だけど、前と同じように花と向き合い続けると、またズレや違和感が生じてしまうって。だから、まずは自分の軸となる、「天命」を見つけようと思いました。
── 天命?
「自分が地球上に生まれてきた意味」や「天から与えられた役目」のことです。そして、天命をまっとうすることこそが、天職だと私は捉えています。
今までは、「『フラワーサイクリスト』や『花屋』が天職だ」というように、職業や肩書きありきで、そこからやりがいを見つけ出していましたが、そういうアプローチじゃなくて。まずは、「自分が地球上に生まれてきた意味」を見つけて、その軸に沿ってできることを創り出していく。そうじゃないと生きている意味がないと思うほど、天命探しに貪欲でした。
── でも、天命ってそう簡単に見つけられないと想像します。
どんな小さなことでも感じたことをノートに書き出したり、山に登って植物に触れに行ったりして、自分の心と植物にとことん向き合い続けましたね。そして、悩みや重たい感情があれば、なぜそう感じるのか深掘りし、今の自分に必要ないものであれば感謝をして手放すということを繰り返しました。
その中で私が一番手放しがたかったのは、「水曜日の花屋」です。そのお店のおかげで、たくさんの人たちや新しい機会と出逢えたので、それがなくなってしまうのが悲しかったし、怖かった。でも、悲しみに浸りすぎると、手放せず、結局元の自分に戻ってしまう。それは絶対に嫌だったので、「今の自分になるために必要な経験だったんだな」と感謝をし、無期限休業という形で手放すことを決めました。
そうやって、心の声を聴いて手放していくと、身にまとっていた鎧が一気に外れていく気がしました。そして、ようやく天命を見つけられたんです。
── ずばり、響さんの天命とは何だったのでしょう。
「植物からのメッセ―ジを伝えていくこと」です。私は大湯のツアーで、植物に包み込まれるような体験をした時に、「愛と調和」こそが植物からのメッセ―ジだと受け取りました。でも、植物はそれを言葉にして伝えることができません。それなら、言葉を話すことができ、手足を使ってどこへでも移動できる私が、代わりにそれを人に伝えていきたいと思ったんです。そして、植物と手を組んで平和な世界を創っていくことこそが、私の天命であり、天職なんだと思いました。
平和な世界と聞くと、壮大に感じられるかもしれませんが、世界は個の集合体です。一人ひとりの心が平和であれば、それが波紋のようにどんどん広がり、日本中、そして世界中が平和になると信じています。
そうやって、フラワーサイクリストとしての活動を終え、今の活動に至ったんです。
天職の深度が増すほど、自然体な自分に還る
── フラワーサイクリストは天職だとおっしゃっていましたが、その肩書きを手放した今、現在の活動のことをどう捉えているのでしょうか?
天職の深度が増したと思っています。「植物からのメッセージを伝える」という天命に沿うことだけをするようになったから、そう言えるんだと思います。
実際、仕事のご依頼を頂いても、天命に沿っていないと感じればお断りするようになりましたし、自分で新しく何かを発信するときも、天命にまっすぐか、丁寧に見るようになりました。
そして、天職の深度が増すほど、どんどん自然体な自分に還っていっているなと感じるんです。頑張って仕事をするという感覚ではなく、心地よくいられているというか。
── 自然体な自分に還る?
例えるなら、子どもの頃に戻ったような感覚です。ただ空を眺めてうっとりしたり、原っぱで花冠を作ったりして心から純粋に楽しんでいた感じ。知らない間に身にまとっていた鎧が脱げて、よりナチュラルになった自分が「私はこれをやるんだ」と言ってるような状態なんです。
逆に、頑張りすぎてしまうと天職からズレてしまうと私は思っていて。もちろん、目の前のことに真摯に取り組むことは大切ですが、根性入れてがむしゃらに頑張りすぎると、不自然さを生みかねません。人のために尽くすことも美しく見られがちですが、他人軸が優位になると、いつのまにか自分がどうありたいかを見失ってしまいます。
結局は、自分を愛することがすべての始まりだと思うんです。自己愛と聞くと、独りよがりな印象を受けるかもしれませんが、そうではありません。川上が綺麗であれば、川の水も透き通るように、発信源である自分を大事にしているからこそ、そこから生み出されるものが人の心を動かすものになるんです。
── 自然体な自分に還ってこそ、天職が見つかるとは新たな発見でした。そのためにも、明日からできることは何だと思いますか?
まずは1日5分でもいいので、自分と向き合う時間を作ってみるといいと思います。どんな小さな心の声でも聴いてあげる約束をして、自分の中にあるものを感じ取ってみてください。
もし、仕事が嫌だとか、何か違和感を覚えたら、その感情を放置せず、認識してあげることが大切です。そして、なぜ嫌だと思うのか深掘りをし、手放していく。そうやって、自分を整えていくと、靄(もや)が晴れ、自分が心からやりたいと思うことが少しずつ見えてくるのではないでしょうか。
もう一つは、自然に触れることです。ただ、空や土、木などを見て、ぼーっと過ごす時間をとってほしい。思考や肩書きを一度取り除いて、一人の人間として地球の上に立っているということを思い出してほしいんです。
自然は、人間がどれだけ言葉を尽くしても伝えきれないものを伝えてくれています。何の邪念もない、ただ純粋な自然に触れることで、本来の自分に還ることを体験してほしい。きっとそれが、天職に近づく第一歩になると思います。
天職をまっとうしている人を見ると、「私にはその境地までいけない」と少し引け目を感じてしまうことがあります。取材前、響さんに抱いていた印象もそうでした。
しかし、お話を伺ううちに、響さんもかつてはキャリアに迷っていたことや、天職を見つけてもなお、どん底を経験していたことを知り、少し親近感を覚えました。今、響さんが天職だと胸を張って生きているのは、どんな状況でも自分と向き合い、要らないものを手放すことを諦めなかったから。そんな小さな積み重ねが、いつか天職に導いてくれるという希望が湧いてきました。
また、「自然体に還ることで、本当にやりたいことが見つかる」というお話も印象的でした。確かに、天職について考えるとき、今の仕事をベースに“できること”から選んだり、もっと頑張って高い評価や地位を得ようとしたりしていたかもしれません。
でも、そうではなく、今ある思考を一度ゼロにしてみる。何の肩書きもない、ただの一人の人間に戻ってみる。そのために自然や植物が存在するのだということに気づかされました。
私も今の仕事をもっと天職に近づけるために、まずはベンチに座ってぼーっと空を眺めてみることから始めてみようと思います。
高橋 響さん
フラワーアーティスト。
レジャー、アパレル、不動産、ITスタートアップ、PR会社を経て、2020年9月、フリーランスのフラワーサイクリストになる。その後、約3年半の活動を経て、フラワーアーティストとして「植物と人を繋げる」活動を新たに開始。植物の力を活かし、心身を整えるための瞑想「フラワーメディテーション」やツアーを開催している。
2024年11月からは、体験型ワークショップ『わたしに還る3ヶ月』を開講。無農薬・無化学肥料で花を育てる「吉垣花園」で、野草茶を用いた瞑想、花生け、植物染めなどを通し、五感を目覚めさせ「本来の自分に還る」体験を提供。オフライン、オンラインの双方で実施している。(2024年の受付は終了。今後も定期的に開催予定)
ソラミドmadoについて
ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media
企画・取材・執筆
岡山出身。大学卒業後、SE、ホテルマンを経て、2021年からフリーランスのライターに。ジャンルは、パートナーシップ、生き方、働き方、子育てなど。趣味は、カフェ巡りと散歩。一児の母でもあり、現在働き方を模索中。
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