「生き方編集者」のその先へ。ドラマティックでなくとも、たしかに“いま”はある
自分だけの人生を生きたい。借り物じゃない人生、これが自分だと胸を張れる人生。そんな生き方をしたい。
そう思うなかで、人生を「物語」として捉える考え方に触れる機会があった。過去やいまに、新たな意味付けを与える。その意味付けは、生きる力を与えてくれる。
これは自分の物語だ。そう思えれば、歩む力が生まれるのではないか。人生の手綱を握れるのではないか。
とはいえ、人生を物語として捉えるとは、どういうことなのだろう。考えるなかで頭に浮かんだのが、山中康司さんだった。彼は「生き方編集者」という変わった肩書きで活動している。編集者として、話を伺い、ひとりの生き方を物語へと昇華させるのが主な活動だ。
例えば、“Life Stories.”という取り組み。
その人に合わせて仕立てられた服みたいに、その人のかっこよさ、美しさ、さびしさ、哀しさ、人間くささが際だつような、世界にひとつのインタビュー記事をつくりたい–。
なんてことを思って、個人向けにインタビュー記事制作サービス「Life Stories.」を始めました。
個人向けインタビュー記事制作サービス「Life Stories.」を始めました。 より引用
彼は、なぜ「人生の物語」をつくり始めたのか。その物語には、どんな意味があるのか。彼に話を聞いてみたくなった。
そして、知った。彼は「人生の物語」に対して、葛藤しているということを。
生き方編集者を名乗ること。名乗らなくなったこと。
生き方編集者としての活動は、『伝える(執筆、編集や撮影)』『ともにつくる(キャリアの相談)』『語り合う場をつくる(イベントやワークショップの企画、ファシリテーション)』の三つに分けています。どの活動も、“人”と向き合って、その方の人生の物語をつくることに伴走するものですね。
インタビュー記事の執筆や、キャリアカウンセリング、ワークショップの設計などを通じ、いくつもの人生の物語を編んできた。
活動を通して嬉しくなる瞬間は、伴走した人が「自分の経験にはこういう意味があったんだ!」と気付いたとき。自分が歩んできた日々に、新たな意味を付与する。それは、日常が一変する力をも持つ。
その力を信じ、生き方編集者を名乗り、物語をともにつくってきた。その年月は、とても充実していた。
けれど最近、違和感を抱くようになったという。
「人生の物語」ってことばが、しっくりこなくなってきたんです。身の丈に合わない服を着ている感じ。生き方編集者の肩書きも、なんだか座りが悪い。このまま名乗り続けていていいのか、葛藤しているところです。
人生を、ひとつの物語として編み直す。その力強さを肌で感じたうえで、いままでとは違う道を模索している彼。なにを感じ、どのように考え、なぜ葛藤しているのだろう。
そこにあるのは、「山中康司」というひとりの人生。ドラマティックでは、ないかもしれない。けれど、たしかにここにあるものだった。
人が、働くが、怖い。
もともと、生き方や人生に課題意識があったわけではなかった。けれど、思い返してみると、原点は幼少期にあったという。
小学校のころは、「こう育って欲しい」という親の願いを、引き受けてしまっていたんです。僕としては友達と遊びたいのに、親に促されて、嫌々ながらも勉強をするような子どもでしたね。反発はしていたんですけど、自分の意志どおりに生きることは難しかった。
自分の本心とは違う行動。最初は親の言う通りに動いていただけ。けれど、次第に親の価値観が内面化されていく。
反発しながらも、いつのまにか、親の「こう育って欲しい」という価値観が自分のなかにとりこまれていた気がします。いい大学に行って、いい会社に就職して、って。そんな人生を自分は歩むんだと、それがいいことなんだと。
違和感は抱きつつも、親が促すレールに沿って、人生は進んでいく。その一方で、感じ続けていた生きづらさは、日を追うごとに大きくなってきた。
ずっと、人と関わることが怖かった。「この人はなにを考えているのか」がわからないと、とても怖いんです。友達と一緒に遊ぶのは大丈夫なんですけどね。なにか責任があるようなことをするとか、「怒られるかもしれない」という場面が人並み以上に苦手で。
その怖さを感じていたのは、小学生の頃から。大学までは苦手な人間関係を避けることで、なんとかやり過ごしてきた。けれど、大学卒業が近づき、彼を待ち構えていたのは「働く」というフェーズ。「働く」に対する怖さは、人一倍だった。
「働く」って、感情のやり取りがなくてもコミュニケーションが成り立つことがあるじゃないですか。たとえばコンビニのレジでは、無表情で、言葉を交わさなくてもモノが買える。つまり、お金を媒介にすることで、感情のやり取りをしなくても欲しいものやサービスが手に入る。それは、すごく便利なことです。
けど、相手の本心がわからないこともある。それが怖かったんです。あらゆる仕事は、本音を隠しながら進めるものだと思っていたから、「働く」がとても怖かった。
人と関わることへの怖さは膨れ上がり、社会不安障害と診断され、パニック発作の症状が出るまでに。バイトもできないし、ましてや就活もできない。なんとか大学は卒業したけれど、働く場所もない。いわゆる「ニート」になった。彼の履歴書に、初めて空白が生まれた。
絶望への意味付けが変わる
履歴書の空白。それは、幼少期から抱く「こう生きるべき」からの脱線を意味した。
起きて、親が稼いだお金でご飯を食べて、寝ての繰り返し。誰の役にも立っていない。自分なんて生きる価値がないな、って本気で思っていました。
そんな絶望から、こんなきっかけがあって抜け出せた――となるとドラマティックなのだが、人生はそんなにわかりやすくない。少しずつ、なんとか這い上がろうとする日々。
新卒というわかりやすいカードを手に入れ直すため、大学院にも入ったんです。でも、結局就活ができなくて。「この会社の人は、信頼できるな」と思えた一社しか選考を受けに行けずに。でも、その会社も落ちてしまって、あぁ、自分はまたダメなのか、と。
希望を見出しては、絶望に舞い戻る。そんな繰り返しを続けるなかで、必死に一歩を踏み出す。
いろいろ考えるなかで、文章を書く仕事はできるかも、って思ったんです。大学院で論文も書いていたし、人じゃなくてパソコンに向き合えばいいし。
いま思えば、そんな簡単なものじゃないんですけどね(笑)。でも、これだったら、人と関わるのが怖い僕も続けられるんじゃないかって。
たまたまネットで見つけた求人に応募し、始めることになった編集と執筆の仕事。それは蓋を開けてみれば、ただの作業ではなく、人から深い話を聴く仕事。経験したのは、「働く」では得られないと思っていた、感情のやり取りだった。
インタビューって、たとえ初対面の人とでも、深くその人の声に耳を傾けるんです。僕は「人の感情や、根っこの部分で抱えている想い」がわからないのが怖くて、働けないと思っていた。だけど、むしろその怖さがあるからこそ、話を深く聴くことができるんですよね。
これなら続けられる。業務委託で関わった会社に、そのまま就職。ようやく人生のリスタートをきれる……はずだった。
働けるようにはなったけど、そもそも他のみんなは、こんなに苦労をしなくても普通に働くことができている。でも、僕は病院に通ったり、薬を飲んだり、日々不安と闘ったりしながら、ようやくスタートラインに立っただけ。
これからどうしていくかも分からない。他人と比べたら全然ダメだな……って自分を責めていました。
履歴書の空白。人より遅いスタート。過去を悔やみ、足が前に進まない。けれど、とある一言が、止まっていた足を動かすきっかけになった。
人生に苦しんでいた自分は、ダメな奴だと思っていました。
でも、あるとき相談したキャリアカウンセラーの方から、「働くことが怖くて、苦しんだ時間は、山中さんだけの経験ですよね。他の人はしていない。人生を悩んできたからこそ、可能になることがあるんじゃないですか?」って言われて。
あ、もしかして、これまで苦しんできた経験は無駄なことじゃないのかも、って初めて思えたんです。過去への意味付けが、変わったきっかけですね。
後悔が、前に進む勇気へと変化した。その変化とともに、彼は新しい道を進み始める。
実験のための独立
「こう生きるべき」ではなく「こう生きたい」を考え始め、さまざまな想いがあふれだす。
僕自身が「こう生きねばならない」という固定観念に縛られて苦しんできたので、同じように苦しんでいる人に対して「大丈夫だよ」と言ってあげたい。悩んでいる人に、あなたはあなたのままでいいんだよって寄り添いたいな、と。
編集の仕事をしていても、記事がバズったことにはそこまで大きな喜びを感じなかった。それよりも、取材を通して、話を聞かせてくれた方に「新しい気付きがありました!」と言ってもらえたときの方が嬉しい。
もちろんいまの仕事のやりがいもあるけれど、自分が幸せを感じる瞬間をもっと増やせるのではないか。
そう考え、ソーシャルセクターへのサポート活動を行っているNPO法人ETIC.へと転職。キャリアコンサルタントの資格も取得し、多くの人の背中をそっと後押しする、幅広い活動を行うようになっていった。
その活動を進めるなかで、少しずつ心境に変化が生まれる。
いろんな人の「こう生きたい」に寄り添うなかで、僕自身の「こう生きたい」をもっと考えたくなったんです。そのために、いろんな可能性を実験したいなって。どういう仕事、人、場所が、自分にとって居心地が良いのかを確かめていきたくなった。
会社員だととれる選択肢が限られてしまう。でも、もっと大きな枠組みのなかで、自身の心地良さを追求したい。
そこで選択したのが、独立という道。答えを見つけたからじゃない。答えを探すための、独立だった。
生き方に寄り添える人へ
独立した当初に名乗っていたのは「働き方編集者」。自分が悩んできた「働く」に寄り添いたい、という想いから名付けた肩書きだった。
当時は、働き方改革が声高に叫ばれ始めた時期。みんなが働き方に注目し、議論を交わすようになっていた。そんな潮流とは裏腹に、「働く」に寄り添っている自分へ違和感を抱き始める。
天の邪鬼なだけかもしれないんですけどね。みんなが「働く」について考えているからこそ、そこで見落とされているものがあるんじゃないかって。
人生って、働くだけじゃないですよね。趣味もそうだし、家族関係もそうだし。いろんな要素が織り重なって、人生になるのに。
もちろん「働く」は人生の多くを占めるもの。けれど、全てではない。本当にやりたいことは「働く」に絞った寄り添いなのだろうか。それとも、人生そのものへの寄り添いなのだろうか。
そう悩んだ末、肩書きを変えることに決めた。「生き方編集者」が生まれた。
僕自身も過去への意味付けが変わって、救われたことがあったので。人生の物語をつくっていくことが持つ力強さは、理解しているつもりです。
生き方編集者として過ごす日々。いろんな人の人生に向き合い、生き方を編んでいく。自分の活動の意義も、感じる。
けれど、ここ最近ひっかかりを感じるようになってきた。違和感ほど大きいものじゃない。でも、たしかに歩みが遅くなるもの。
そのひっかかりを見つめた結果、「人生の物語」ということばをあまり使わないようになり、「生き方編集者」を名乗ることにも、ためらいを感じるようになってきたという。
僕がやっていることに、おこがましさを感じるようになってきたんです。
「人生の物語」が持つ暴力性
おこがましさ。
たしかに、その人の人生を物語として編んでいくことには、大きな意義がある。けれど、意義の陰に潜む危うさもある。
その危うさに気が付き、自分の活動へのひっかかりを抱き始める。ひっかかりが明確になったのは、映画監督・是枝裕和のことばに出会ってからだった。
是枝監督が、「意味というかたちで生をとらえていない。生に意味を持たせると、意味のある死・意味のない死という考えが出てくる」とおっしゃっていたんです。このことばに出会って、僕が感じていたおこがましさを少し理解することができました。
生き方編集者として、「人生の物語が持つ美しさ」を伝えたいと思っていた。けれど、その想いの裏には、美しくない人生や、物語に入り切らない瞬間の否定が含まれてしまっている。
それって、僕がずっと嫌だった「こう生きるべきだ」っていう当てはめと、なにも変わらないって気付いたんです。「人生の物語」を語ることは、「物語のある人生を生きるべき」って語ることと、なんら変わりがない。ある種の暴力性をはらんでいる。
だから、「人生の物語」や「生き方編集者」ということばを、なるべく使わないようにしたんです。僕が、嫌だから。
その暴力性を自覚してから、自らの生き方も変わってきた。
僕の人生だって、もっとドラマティックに、それこそ物語として語ることができると思うんです。「社会不安障害やニートだった時期を乗り越え、年間◯◯人のインタビューをするような編集者になった」みたいに。
でも、そうして語られたものに、気持ち悪さを感じるようになっちゃいました。それって、自分の人生じゃないよなって。
発することばって、洋服みたいに纏うもの。自分の内面とズレていると、居心地が悪くなってしまう。だから、以前よりも正直になってきたと思います。その方が生きやすいんです。
人生は、一瞬の織り重ねだ
人生に意味を持たせない。そんな動きが、少しずつ広がっているのを感じるという。
荒井裕樹の『まとまらない言葉を生きる』や岸政彦の『東京の生活史』などの書籍は、まさにそう。意味付けなしに、人生を描写している。
勇気をもらえますね。人生に意味付けしなくてもいいんだなって。ドラマティックな物語じゃない、なにげない時間の豊かさに面白みを感じるのは、自分だけじゃない。
しかも、著者のおふたりだけじゃなく、多くの人がそれらの本を面白いと思っている。自分は間違っていないのかも、と励まされます。
そんな彼が、新しく力を注いでいるのは、写真。物語にしたらこぼれ落ちてしまいそうな、なにげない一瞬を見つめるため。大切な瞬間を、その刹那が持つ豊かさを、写し撮る。
写真を撮ると、断片的なものに気付きやすくなるんです。ここに可愛い花がある、あそこに美しい窓がある、って。世界へのアンテナが敏感になる感覚。
幸せって、こういうことなのかなと思いますね。あたたかい陽が差し込んでいて、綺麗な青い空が広がっている。その豊かさを感じていれば、それでいいのかも。
物語には、起伏がある。けれど、起伏がなくても豊かさは見出せる。だからこそ、物語を編むのではなく、ドキュメンタリーをつくるイメージで活動していきたいという。
人生をストーリーとして編み直すのではなく、この人がここに生きているという事実を、そのまま写し撮りたいんです。それは写真でも、文章でもいい。
もちろん、ドキュメンタリーにも暴力性はあります。ネガティブな影響もあるかもしれない。
けれど、日常に意識を向けることで気付くものもあるはず。そこにドラマ性は要らない。過ぎゆく日々にも、豊かさはあると信じているから。
そう語る彼からは、静かで柔らかな熱を感じた。
人生の目標がなくてもいい。結末に向かって進み続ける物語じゃなくてもいい。
“いま”を、感じる。それだけでいい。
一瞬が、次の一瞬につながる。「山中康司」の人生は続いていくのだろう。ただ、続いていくのだろう。
2月26日、僕は彼の写真展に足を運んだ。写真展のタイトルは「家族の輪郭」。多様な家族の在り方が、写真によって浮かび上がっていた。
そこに「こう生きるべき」という檻はなく、「こう生きている」という事実だけが存在している。
写真を眺めていると、ドキュメンタリーをつくりたい、と言った彼の真意が少しわかった気がした。
過ぎ去る日々に、物語はない。けれど、“いま”は、流れ去ろうとしている“いま”は、これでもかと叫んでいる。
彼は、この叫びを捉えたいのではないだろうか。
強烈な“いま”に目を向ける。それは、日々を生きるということ。
意味はなくとも、人生は続く。それは諦めではない。無意味さと共に、自分の人生を生きるという覚悟。そんな姿勢を、彼から教えてもらった気がした。
山中康司
生き方編集者。人の生き方に、文章と写真を通して向き合っている。今の問いは「ほしいかぞくをつくる」。関心領域は家族、パートナーシップ、文化人類学など。
関わっている主なプロジェクトは、「グリーンズジョブ」「Proff Magazine」「シェアプレイス下北沢」「ひがいけポンド」。散歩の合間に仕事するライフスタイル。
ソラミドについて
ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media
取材・執筆
撮影
東京都在住。徳島県出身。青空と海と自然が大好き。
地元の写真舘に勤務した後上京。
アシスタントを経て、現在人物撮影を中心にフリーランスで活動中。