「らしさ」とはゆらゆらと揺らぐもの。中川晃輔という生き方が、答えをほぐしていく
「あなたらしい選択だね」と言われたら、どんな感覚を持つだろう。ちょっとくすぐったいような照れだろうか。それとも、勝手に決めつけないで欲しいという憤りだろうか。
きっと、その言葉をかけてくる相手との関係性によるのだと思う。喜んだり怒ったりするということは、自分なりに思う「らしさ」がどこかにあるんだろうな。
「自分らしく生きよう」という言説を耳にする機会も増えた。それは、素敵なこと。
けれど、「らしさ」ってそんなに明確なものだったっけとも思う。
過去に自分が規定される感覚。いままでの言動を元にして、自分を判断されている感覚。
明確な「らしさ」の存在を前提に考えていくと、なんだか居心地が悪い。
「らしさ」には、ひとつの答えがあるのだろうか。
そんなことを考えていくなかで、ライター・編集者が行うインタビューは「らしさ」を掘り当てるものなんじゃないか、と思うようになった。
相手との対話を重ねて、読者に自らが感じとった「らしさ」を差し出す。そんな営み。
インタビューを繰り返している人に話を聞いてみたくなって、中川晃輔さんに声をかけた。
生きるように、働いている人。
彼は、いろんな生き方・働き方を伝える求人サイト「日本仕事百貨」の元編集長だ。一般的な求人サイトとは違い、第三者である日本仕事百貨のスタッフが企業を取材し、そこで働く人たちのありのままの姿を届けるというサイト。
僕が駆け出しライターだった2020年2月、日本仕事百貨の勉強会へと参加した際、彼の文章、ひいては相手の話を聴くことへのこだわりを教わった。
その後、彼は2021年9月に編集長を交代し、同年10月に長崎県へ移住。新しい生活を営んでいるという。
彼は、編集者として相手の「らしさ」を見つけようとしているだけではなく、自身の「らしさ」をも見つけようとしているのではないか。生きるように、働く。それを実現しようとしているのではないか。勉強会での語りを聞きながら、勝手に、そんなことを思った。
だからこそ、より話を聞いてみたくなった。彼は、どんな人生を歩んできたのだろう。インタビューを通じて、どんなふうに人の「らしさ」に触れているのだろう。
話を聞くなかで見えてきたのは、明確な「らしさ」ではなかった。ゆらゆらとした、炎のような揺らぎ。
そんなゆらめきが、僕に「らしさ」を教えてくれた。彼の心地好い語りに身を任せて、漂ってみようと思う。
自分のペースで、自分を見つけられるように
「急ぐと遅くなっちゃう」って言ったらしいんですよね。
幼少期のことを問うと、彼が教えてくれた。
すべり台の階段を登っているとき、僕が遅くて後ろが詰まっていたみたいで。親が「ほら急いで」って声をかけたんです。そしたら、幼い僕は「急ぐと遅くなっちゃう」って。
親から聞いたもので、僕自身は覚えていないんですけど、このスタンスは僕の根本だなぁと思いますね。仕事でも、パパっと書いたメールほど良くないことが起こるとか。きっと、自分にとってちょうどいいリズムがある。そのリズムを壊さない方がいいんでしょうね。
マイペースな子供。彼は、そう表現した。その言葉からイメージするのは、他人を気にせずに生きてきた人。けれど、そうではなかったという。
裏表がない人っているじゃないですか。そういうタイプでは全くなくて。周りからどう見えるか、俯瞰して考えてしまうところがありましたね。その場で求められる役割をこなすような感覚もあったかもしれません。
高校・大学は「自分の選択肢が狭まらないところ」という軸で選んだという。高校は、私服通学の自由な学校。大学も、さまざまな人が混ざり合って学ぶような学際的な環境を選んだ。
高校や大学に進む段階で、すごくやりたいことが特になかったんです。だから、なるべく選択肢は狭めずに、その先でいろんな経験をしながら見つけていこうと。そんな考えだったと思います。
「その人らしさ」はひとつじゃない
大学では、アカペラ・ミュージカルのサークルにのめり込んだ。学内の施設で、ミュージカルの稽古をしながら年を越すことも。
その傍ら、所属していたのが認知科学のゼミ。広く言えば、人間がどう在るかを考える学問だ。
ずっと人間に興味があったんです。人間は、自然科学的に捉えられるものだけじゃない。「こうしたらこうなる」って、方程式に当てはめられるものでもない。人が考えたり感じたりすることって、もっと複雑でいろいろあるはずだよねって。
ある人は、甘いや酸っぱいでは類型化できない味覚の研究を。ある人は、どうやったら早く走れるかの身体感覚を言語化する研究を。
彼の研究テーマは「その人らしさ」だった。
「中川っぽいね」って言われることが、嫌だったんです。レッテルを貼られているみたいで。しかも、関係性が深くない人に限ってそう言うことも多い。
一方で、普段から僕らは、無意識にその人らしさを感じながら、「この人とは合うな、合わないな」とか思いながら過ごしていますよね。
うまく言語化できていない、でもたしかにそこにある「その人らしさ」について、もっと考えてみたいと思ったんです。
卒論では、ゼミの同期5人の「らしさ」を研究した。その人の写真を撮って、直感的に「この人っぽい」と思ったものをピックアップ。写真を画用紙にトレースしながら、その人について頭に浮かんだ言葉をスケッチの周囲に書き連ねる。その言葉を振り返り、解釈し、本人に投げかけて、その反応を踏まえてまた別の言葉を増やしていく。
人間って多面的だから、この作業をしたところで、ひとつの解が見つかるわけじゃない。その人らしさを表す言葉も、4つとか5つの文章の塊で表現していて。このあたりは、平野啓一郎さんが提唱している「分人」の考え方を、かなり参考にさせていただきました。
誰といるか、どんな状況かに応じて現れる多面的な顔すべてが、その人だから。それを丁寧に汲み取って言葉にしたいし、「あの人はこうだから、こう対応しよう」っていうのは、僕はしたくないなと。
その人らしさについて語っていると、ふと彼が言葉をこぼした。
いまも、この活動をやり続けているだけなのかもしれません。いろんな人をインタビューしながら、その都度その人らしさを見つけて伝えていきたい。それが研究の原点だったし、いまも続いている課題でもあり、目標でもあるんだろうな。
ここにある「働く」は信じられる
彼は、インターンを経て日本仕事百貨を運営する株式会社シゴトヒトに入社し、編集長まで務めている。人間に興味を持つなかで、どのようにして編集者という仕事に出会ったのだろう。
僕、いわゆる就活はしていないんです。
サークルに専念していたこともあり、周りの友人たちが先に就活を始めていた。そんな友人たちから見聞きするのは、何十社と受けている様子や、慣れないスーツを着ている様子。
友人たちを見ていて、なにか大きなものに飲み込まれてしまう感覚があったんだと思います。明確な違和感や疑問があったわけじゃないので、ただ腰が重かっただけなのかもしれない。でも、もう少し違ったやり方はないのかなって。
「働きたくない」わけではない。けれど、なにかに追い立てられて、「やらねばならないもの」にはしたくなかった。
急ぐと遅くなってしまうから。
就活に二の足を踏んでいたとき、友人から教えてもらった求人サイトが日本仕事百貨だった。
このサイトは信じられる気がしたんです。記事の向こうにいる人が、こちらを見ていない感覚。そこで働く人たちが、おいでおいでって手招きするのではなく、ライターとわいわい話しているのを横で見ているような感じがあって。読んでいるうちに、その輪に加わりたくなるんです。
自分が能動的に関わりたいか、関わりたくないかを考える距離感がある。それがなんだか心地好くて。
雰囲気に惹かれて、サイトに目を通すようになる。すると、ほどなくして日本仕事百貨でのインターン募集記事が公開された。
読み物としてもいろんな生き方を知れるけれど、この会社のなかに入ったら、もっとたくさんの気づきがあるんじゃないか。納得感のある出会い方ができるんじゃないか。そんな直感があり、インターンに応募。取材同行やイベント運営の手伝いなどで1年半関わった後、そのまま入社し、彼の「働く」が始まった。
頑なではなく、揺らいでゆく。
インタビューをはじめてしばらくは、自分の「立ち位置」に悩んでいたという。
僕、自分というものを変えたくないと思っていたんです。相手に合わせずに、自分を貫く。それが、むしろかっこいいなって。頑なでした。そんな頑なさが僕の自然体なんだ、と思っていたくらい。
けれど、取材を通じて人と関わり合うなかで、自らを柔軟に変えることの必要性に気付いていく。
いざ自分がコミュニケーションするとき、どんな人なら心地が好いかを考えると、必ずしも頑なな人じゃないよなって。
相手に呼応することの大切さを、徐々に感じたのかもしれません。相手がノって話しているときは、嘘にならない程度にこちらも前のめりになってみるとか。
相手に合わせて自分も少し変わってみる。そうすることで、相手との間に新たなものが生まれていく。
インタビューって、自分と相手のどちらかが進めていくというより、お互いの間に生まれるものだから。変にコントロールしようとせずに、その場に生まれようとしているものを歓迎する態度でいると、良く流れることが段々わかっていったんです。
自分の揺らがないものは大切にしたいけれど、動かなさすぎると、相手との間になにも生まれない。石じゃいけないよなって。
どうしたら良い関わり合いを育めるのか。そこに答えはない。だからこそ、いまでも実験を続けているのだろう。
問いを受け、止まっていた考えが動き出す。
インタビューは、面白い。人に話を聞く仕事なら、一生続けられるとまで思った。ただ、編集者として働きはじめて3年が経ったころ、漠然とした停滞感を感じるようになったという。
特別ななにかがあったわけではないんです。でも、このまま同じ日々を続けていくのかなって。仕事は面白かったけれど、なにも変わらない気がしてしまった。
だから、1ヶ月ほど休みをもらって生き方を見つめ直したいな、と思ったんです。
息苦しいわけではないけれど、薄暗い道を走り続けている感覚。そんななか、代表のナカムラケンタさんから、日本仕事百貨の編集長にならないか、という打診を受けた。
単純に嬉しかったんですが、ゆらゆらしている自分が編集長になってもいいのかな、とも頭に浮かびましたね。ちょうど休もうと思っていたタイミングでしたし。
でも、このままの日々を続けていても進歩がない感じはあったので、それを解消する意味でも、新しいものに挑戦してみたいなって。そういう意味では前向きに引き受けました。
編集長になったことで、変わり映えしなかった日々が動き出す。彼のなかのなにかが変わったというよりは、周囲の人からかけられる言葉が変わったという。
「編集長の中川です」って自己紹介するようになったら、「編集長ってなにしているんですか?」って問いをいただくことが増えたんです。その問いのおかげで、考える機会が格段に多くなりましたね。
編集ってなんだ?肩書きってどういうもの?日本仕事百貨はどんなメディア?というふうに。外圧がかかって、考え出す。内側のモチベーションとは別のものに動かされる感じは、なんだか面白かったです。
日本仕事百貨として大切にしているものを共有したり、感覚的にやっていたことを言語化したり。2018年の夏に編集長になってから、少しずつ自分らしい編集長像を探していった。
新たなチャレンジも考え始めていた。日本仕事百貨が初めて開催する、従来とは少し異なる企業説明会。実現に向けて、2019年の秋から何度も打ち合わせを重ねていった。
よし、これでいこう。そんな矢先に、世界は一変する。
世界の変化。そして、ふくらむ違和感。
2020年4月7日、東京都にて緊急事態宣言が発令された。求人掲載の依頼もピタリとなくなった。会社のほとんどのメンバーは休業状態。動ける数人で、なにができるかを模索していた。
みんなが全然動けないなかで、自分になにができるんだろうと、新たな連載を始めてみたんです。でも、しっくりこなくて。なにもできないなって。単にじっとしていたら良かったのかもしれないけど。
新たな挑戦をしようとしていた矢先に、世界が大きく変わってしまった。走らせようとしていた足が空を切る。
歯車が狂った感じはありましたね。ギアを入れ直したタイミングだったから、なおさら。いま振り返ると、正直無気力になっていたのかもしれません。
ぽっかりあいた時間を過ごすなかで気付いたのは、消費的な生活をしている自分。
手あたり次第に動画をダラダラ見たりとか、ただただSNSを見たりとか。あいた時間を、ひたすらに消費して過ごしていることに気付いてしまって。お金も時間も、流れていく。そんな自分の有様に違和感を抱くようになりました。
消費するのではなくて、生み出す側に回りたい。その想いが強くなっていく。
と同時に、いろんなものを見直したくもなった。
都市部で暮らしていると、出ていくものが多いじゃないですか。例えば、お金。ワンルームの家賃が8万円ほどするし、何も考えずに外食してしまう。多くが出ていく前提で、生活が成り立っている。その前提を疑いたくなったんです。
あとは、都市部のスピード感も、自分には向いていないなって。急ぐと遅くなっちゃうタイプなので、もっと時間がゆっくり流れる環境のほうがいいのかもしれない。
そんなことを考えるようになって、どこかへ移住して暮らすことを具体的に考え始めました。
消費ではなく、生産に紐付いた暮らし。強制的に生まれた余白のなかで、人生を見つめ直して生まれた指針。リモートワークが基本の働き方に変わったこともあって、移住を考えるのも自然だった。
コロナが決め手だったのかな、どうだろう。いまでも分かっていない部分はあります。でも、きっかけのひとつではあって。このまま東京で暮らしていくイメージは湧かなかったんです。
一目惚れという直感
2021年の4月にフリーランスになり、5月には移住に向けてさっそく動き出した。
移住候補地として考えていたのは、父方の出身地でもある九州地方。知り合いに車を借りて各地を回るなかで、とある風景に出会う。
高速のパーキングエリアから見える海は、波一つない。そして、なだらかに広がる丘。なぜかは分からないけれど心惹かれ、目的地でもなんでもないところで、直感的に高速を降りてみる。
そこに広がっていたのは、茶畑だった。
以前から、移住したらお茶になんらかの形で関わりたい、と思っていたんです。論理的な理由はなにもないんですけど。茶畑のある風景をテレビで見たとき、そこにいる自分を想像してみて、不思議としっくりきて。
偶然、そのまちにも茶畑があることに気付いて調べてみたら、全国の品評会で1位にもなっているお茶の名産地らしい。これは呼ばれているのでは……? と。
その土地こそが、中川さんがいま住むまち。長崎県の東彼杵町(ひがしそのぎちょう)だった。
「一目惚れでしたね。こんな言い方すると、恥ずかしいですけど(笑)」と語る彼。運命的に出会った土地に移り住んで、いまなにを感じているのだろう。
暮らしをつくっている感覚がありますね。きっと生活のスピードが合っているんだと思います。
面白い変化は、掃除や料理といった家事全般の捉え方が変わったこと。部屋がきれいになることや、美味しい料理ができるという結果だけに、価値があるんじゃなくて。家事をしている時間そのものが心地好いというか。
家事って面倒なもの、なるべく削減したいものって思われがちですけど、じつはそれ自体が生産的で自分を満たすような営みなのかも、と思うようになりました。
画面越しに映る古民家の様子と、ゆったりと話す彼の雰囲気が重なっていく。
いまはハーブを育ててみたいんです。東彼杵のお茶と掛け合わせたら面白いものができるんじゃないかと思っていて。家の裏に土があるから、そこで育てようかな。
優しく笑いながら、やってみたいことを語る。きっと、なににも急かされていないんだろうな。そんな姿に、「中川さんらしさ」を感じたと言ったら、彼は喜んでくれるだろうか。
選んできた道が、その人らしさになる。
人間への興味、認知科学の研究、インタビューという人との関わり合い、どう生きるかの見つめ直し。仕事でも暮らしでも、彼は自分を含めたその人らしさの模索を続けているように感じる。
そんな彼が、いま思う「その人らしさ」ってどういうものなのだろう。
きっと、揺らぐものだと思います。問い直しながら、変化していくものなんじゃないかな。
「僕自身、変化してきていますしね」と、彼は言う。
「これが自分らしさだから、こういう生活をしよう」って考えるのは、なんだか順序が間違っている気がするんです。上手く言えないけど、「らしさ」を言語化できている必要はないはずで。
頭で考えて言葉を与えるよりも、身体が分かっていることがあると思う。だからこそ、直感で選ぶことが大切になる。
その都度その都度、自分が心地好いと感じるものを選んでいけば、その道が「その人らしさ」になる。僕は、そう思っています。
その人らしさは、揺らぐもの。そう語る彼の言葉には、なんだか救われる。それは、彼自身も揺らぎながら、道を進んできたからだろう。
インタビューが終わって、雑談のように話しているとき、彼は「焚き火になりたいんですよね」と言った。
焚き火って、ゆらゆらとうごめいているから、余白がありますよね。そのおかげで、ぽろっと本音をこぼせたり、無言でいられたりする。動かない石ではなく、動いている焚き火。そんな存在になりたいなって思います。
人間の根本は変わらないし、変わらないかっこよさもある。
けれど人は、人と関わり合うことで少しずつ変わっていく。何度でも、自分に出会い直す。それは、生きていくうえでの喜びと言ってもいいと思う。
世界と関わり合って、ゆらゆらと揺れる。その揺らぎを歓迎できたとき、明確じゃない「らしさ」の手応えを、少しだけ感じられるようになるのかもしれない。
中川晃輔
1992年生まれ。千葉県柏市出身。大学4年時のインターンシップを通じて、生きるように働く人の求人サイト「日本仕事百貨」を運営する株式会社シゴトヒトに入社。2018年から3年間、編集長を務める。2021年10月、長崎県東彼杵町の風景に惚れて移住。お茶を摘んだり、SUPしたり、梅を漬けたり、掃除したり。家事ブームがきてます。
ソラミドについて
ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media