「好きなことを仕事にする」——それは、多くの人が一度は夢見る生き方かもしれません。けれど、その道のりは、決して平坦ではないのも事実です。
好きだからこそ、仕事にした途端、苦しくなってしまったり。お金が関わることで、以前のように純粋に楽しめなくなってしまったり。ときには、「仕事だから」と気が進まないことにも向き合わなければならない日もあるでしょう。
そんな現実を知っている大人たちは、こう口にします。
「好きと仕事は別だよ」「そんなに甘い世界じゃないよ」と。
でも——たとえそうだとしても、「それでもやってみたい」と思える何かに出会えたとしたら?
様々な表現活動をする人に取材し、自分らしく生きていくための“自己表現”とは何たるかを探る連載企画「自然体な 『自己表現』に向き合う」。
今回お話を伺ったのは、福井県敦賀市を拠点に活動する画家・滝田知佳さんです。
大学卒業後は美術教師として子どもたちにアートの楽しさを伝える日々を送り、現在は幼少期から培ってきた書や、専門的に学んだ日本画の技術を土台に、色彩豊かで躍動感あふれる抽象画家として活動の幅を広げています。

「私にとって“描くこと”は、自分や他者の内部にアクセスする方法で、一種の“言語”でもあるんです」
そう語る滝田さんは、人との出会いに導かれるようにして、絵を仕事にする道を選んできました。
「自分に正直でいたい。私が私であるために模索し行動することが、周りの人たちの『こんな生き方をしてもいいんだ』と思えるきっかけになるなら嬉しい」 ——そんな想いも、滝田さんの表現活動を支える大きな原動力となっています。
自然体でありながら、真摯に自己表現と向き合い続ける滝田さん。表現することへの想い、そして作品づくりを通してどのように人との関係を育んできたのか。滝田さんの歩みをたどりながら、お話を伺いました。
子どものころから「好きと仕事は違う」と聞いていた
───小さいころから、やっぱり絵を描くのはお好きだったんですか?
小学生のころはセーラームーンを描くのがクラスで一番うまいと言われていて、運動会の冊子の表紙なんかも、「知佳ちゃん描いてよ」とよく頼まれていました。
そんな周囲の反応から、漠然と「私の将来は絵を描く仕事がいいのかなあ」くらいに考えていました。中学生までは、漫画家のマネごとをしたり、友だちが好きなキャラクターを描いてプレゼントしたりして喜ばれていました。ただ純粋に好きというより、やればやるほど上達していく手応えが感じられて、なんとなく調子に乗っていた幼少期でした。

───夢中になれることでもあり、得意なことでもあったのですね。
はい。でも、うちの母親は芸術の道には難色を見せていましたね。「女でも自立できるよう、しっかりと手に職を持ったほうがいい」と。医療現場で仕事をしていて、子どものころの私から見ても、息をつく間もなく社会でも家庭でも働く母親でした。それで「好きと仕事は違う」「絵ばっかり描いてないで、ちゃんと勉強したら」と散々言われながらも、親の前ではテスト勉強をしてるふりをして、こっそり隠れて漫画を模写している子でした。
周りの大人たちからも「仕事ってそんなに甘くないから」と聞かされていたので、高校生になるころには絵で食べていくという選択肢は自然に消えていましたね。どんな仕事が人の役に立つのか、こんな田舎でどんな仕事だったら暮らしていけるのか、くらいしか考えていませんでした。
「自分らしさを諦めない生き方」を示してくれた、恩師との出会い
───高校生で絵を仕事にする夢を一度手放されたということでしょうか。
はい、高校1年生のころは、特にこれといったものもなく過ごしていた時期でした。他に目立つ取り柄もなかった私にとって、「描くこと」は自分にはちゃんと価値があると感じられる大きな要素だったので。それを無しに、「私らしさってなんだろう?」と思っていました。
進路は、親の薦め通りに医療系を目指し、ごく普通の女子高生として、目の前の楽しいことに飛びまわっていた高校生活でした。
私の通っていた高校は少し特殊で、美術の専門的な知識が学べる美術コースがある学園でした。ある日、一般美術の授業中、先生に「美術、好きなの?それなら美術コースに入ったら?」と聞かれて。「本気でやりたいならね」と。当時別のコースにいた私は、そんな事例は今まで聞いたことがなく耳を疑いましたが、それを聞いた瞬間、後先考えずに「やりたい!」と答えていました。大人になってから先生に当時のことを聞くと、「あの時はそれほどフラフラしてどうしようもない生徒だったからね!」と。今だから笑える話です。

ここは、自分の人生の大きな分岐点だったと思います。本当に美大を目指すかどうかは一旦傍に置いて、とにかく学びたかった。自分がどこまでできるのか試したかった。夏休みは、デッサンの先生が毎日10時間くらいつきっきりで指導してくれて、お弁当とトイレの時間以外は、ずっと描くことだけに集中していました。私にも、こんなに夢中になれるものがあったんだと思い出しましたね。実技は忍耐がいるきつい勉強でしたが、それ以上に、生きてる実感が感じられて嬉しかった日々でした。
3年生になり、一応は医療専門学校を受験したものの、もっと美術の世界を知りたい、という思いは拭いきれず、「美大に行かせてください。」とギリギリになって両親に進路変更をお願いしました。両親には感謝しかないです。

───コース変更をしたのが高校2年生のころ、他の同期の子と比べて1年間の遅れもあり、相当な努力が必要だったと思います。なぜ、そこまでがんばれたのでしょう?
当時の私にとって、その先生や歴代の先輩、同期たちの姿が、本当にかっこよく見えたんです。それまで私は、「好きなことを仕事にするなんて夢物語だ」と思い込んでいたし、そう周りの大人たちからも言われてきた。でも、そうじゃないのかもしれないと思えるくらい、自分のやりたいことに本気で向き合っている人たちが実際にいたんですよね。
まるで本や映画の中でしか見たことのない生き方をしている大人が、目の前に現れたような感覚でした。そんな人たちの姿を見て、「私も、こんなふうに生きたい」と追いかけるような気持ちでやっていました。
───まるで人生の一ページが動き出した瞬間のようなお話ですね。そこから美大生活が始まったわけですが、実際に入ってみてどうでしたか。
美大では、自分に正直に生きている人たちにたくさん出会って、ようやく私も自分の心の声に耳を傾けられるようになりました。
「ああ、自分もこんなふうに考えていいんだ」「こんなことを感じてもいいんだ」って。誰かのためにだとか、相手に嫌な思いをさせないようにと周りの顔色を探ることに慣れて、本当にアクセスしないといけない自分の心の様子に気づいてやれていなかったんだと気づいたんです。
そして、美術を通して視る目の前は、想像以上に広く、深く、世界は知りたいことで溢れていました。

かっこいいと思える自分って、どんな自分だろう
───大学で美術を学んだ後は、どのようなキャリアを選んだのでしょう。
美大を卒業してからは、教育の道に進みました。最初は保育園勤務、学童保育、次に小学校の担任をして、その後は中学校で美術を教え、最近までは高校の教員をしていました。産休育休をはさみ、気づけば、16〜17年ほど教師として働いていたことになります。
多感な生徒たちと美術を通してじっくり話をしたり、たくさんの出会いに刺激を受けたりできる教師という仕事に、とてもやりがいを感じていました。
ただ、自分の制作とはすっかり遠ざかってしまいました。教員生活は想像以上に忙しく、2人の子どもを産んだこともあって、授業で使う見本を描くことはあっても、自発的な表現としての制作はほぼできていませんでした。そんな中でも唯一、母校である美術コースのOBOGたちで立ち上げた作品展『けひのわ』があったおかげで、今日まで描くこととかろうじて繋がれていました。
───なるほど…。そこからどのようにフリーランスとしての画家の活動を始められたのですか?
一番のきっかけは、人との出会いでした。私の暮らすまちには、自分の「らしさ」を強みに、めいっぱい楽しんで仕事をしている面白い人たちがたくさんいるんです。このまちで生きることを面白がる人たちに出会い、こんな田舎には何もない、どうせ変わらない、そう思って眺めていたこの生活が、本当は自分の思い込みでしかなかったことに気づかせてもらいました。そして同時に、私はここでどう生きたいのかを考えるようになりました。
そのときに出てきた答えが、「やっぱり私は、アート表現を介して、生き方を問い続けていたい」でした。2児の母であることは、今の私にとって一番大切なことで、今の状況との両立を図りながら、どう自分の制作時間を生み出すか考え抜いた結果、大好きだった教師の仕事を辞め、フリーランスとしての道を選びました。

───表現活動と生活(お金)とのバランスも難しい部分だと思います。安定した職であった教員を辞めて、制作一本に絞ることに迷いはなかったのでしょうか。
「一本に絞った」というよりも、むしろ「何十本にも増えた」という感覚に近いんです。絵を描くことだけに専念しているというよりは、県内県外で行う個展、シェアアトリエ運営の他にも、出張アートワークショップの開催、アートプロジェクトの企画、イベント装飾、子どもの発達支援施設でのアートスクール講師など——。独立してからは、いくつもの人との“つながり”の中で、あちこち飛びまわっています。
今は固定された枠組みではなく、「私」という一人称のかたちで、社会とのつながりを軸に働き方をカスタマイズしています。
───表現活動や“好きなことを仕事にする”と聞くと、何か一つ飛び抜けた才能が必要だというイメージを持つ人も多いと思います。でも、社会との関わり方を多様にしていくというあり方には、取り入れやすさを感じます。
活動の内容は本当にさまざまですが、全ての行動の一歩先で、「それは自分が本当に良いと思えることか?」を常に心に問いかけるようにしています。
私はこれまで、「かっこいいな」と思える大人たちにたくさん出会ってきました。高校時代、美術の世界に会わせてくれた人たち、美大で出会った仲間、そしてこの敦賀のまちを自分のスタイルで面白がっているクリエイティブな人たち。人生の分岐点にはいつも、自分の心に正直になる勇気を持っている人たちがいました。
それは時に、自己中心的に見えるかもしれません。でも、自分に正直に、今を楽しんでいる大人は、やっぱりみんなかっこいい。その人たちの言葉にはリアルがある。昔の私がそうであったように、これから未来を見据える若い人たちの中の誰かが、chika takida という一つの例を見て、「あんなふうに生きることもできるんだ」と勇気をもつきっかけになってくれたら嬉しいです。

アートは、人とつながるための“言語”
───滝田さんにとって「人とのつながり」は、人生においても表現活動においても、大切なテーマであることが伝わってきます。
「アートってなんだろう?」と、今でもよく考えるんです。はっきりとした答えがあるわけではないし、人によって捉え方はさまざまだと思うのですが、私にとってアートは、変わり続けることを受け入れ、生き方を問い続けていく人の痕跡なんじゃないかなと感じています。
作品を通じて、ことばの枠組みを越えた解釈や、浮き上がってきた感情を見つけたとき、自分の世界がぐっと広がる気がするんです。私は描くことを通して、真意が何かを追求し、変わり続けている最中です。そういった意味で言うと、抽象画は、私にとって無理がなく、スッと深いところまで染み込んでいくものなんです。
───というと?
たとえば、リンゴをそのままリンゴそっくりに描けば、ほとんどの人は「これはリンゴ」と認識する。そういった具体的なものではなくて、観る人が歩み寄る余白がある、思考したくなる空間が抽象画にはあると思います。
以前は、「抽象画って難しい、分からない」と突き放されないか不安に思っていたこともありました。でも実際は、みんなそれぞれの捉え方で何かを受け取ろうとしてくれるんですよね。
「こういうものを観ようとしてるのかな」
「うまく言葉にはできないけれど、何か熱が伝わるよ」
「私の中にも、こういう感覚あるかも」
そんなふうに鑑賞しながら、感覚の中を旅する。たゆたう。
それって、何かをぴったり一致させるというより、双方の知見が融合していくような関係性ですよね。私は今、そういう関係をつくっていきたいんだと思います。絵を通して対話が生まれる。そのなかに、新しいコミュニケーションの形がある。そこがとても面白いと感じています。

───「観ること」そのものが対話になるという感覚、とても素敵です。
絵の前で一緒に話したり、誰かの家に絵画が渡ってから、日々の暮らしで観てもらえたりすること。そこから育まれていく、見方が変化していく過程が面白いなといつも思っています。
私の考えと、その人の感じ方が、すれ違ったり、時には噛み合ったり、あるいは誤読されたりすることもある。でも、それもまた嬉しい。
不思議だけど、きっと人間ってそういうものなんじゃないかなと思うんです。「わかってほしい」と思う気持ちと同時に、「全部はわかってほしくない」という気持ちもあって。自分では伝わっているつもりでも、相手には違うふうに届いているかもしれない。でも、それでもいい。むしろ、そういう“余白”が、人と人をつなげてくれるような気がしています。
───「自己表現して生きる人=特別な人」というイメージを持つ人も多いと思いますが、その点についてはどう感じていますか?
アートワークショップなどをしていると、「表現することに、年齢や肩書きは関係ないんだな」と実感します。2歳でも、60歳でも、表現しているときの顔って、みんなすごくいい顔をしてるんですよね。その人らしい顔に戻っていくというか。きっと、それが「表現することの喜び」なんだと思います。私の母は還暦を過ぎて初めて絵筆を持ちだしました。家事が終わった後に1人じっくり制作している姿は、家庭や病院で働く母の姿しか見てこなかった私にはとても新鮮です。たぶん、母も本当はずっとこういう時間が欲しかったんでしょうね。
そんな日々のなかで、私自身忘れられない出来事がありました。教員として最後に勤めたのは、私の母校だったのですが、そこで偶然、高校時代に描いた自画像が出てきたんです。ちょうど20年前の私です。
高校生だったあのころの私は、「自分はどんな大人になるんだろう」と、先が見えないながらも、心の底では、これから見る未来の自分に期待したいと思っていました。覚えたてのメイクが乗った斜に構えた顔の奥に、無垢な子どもらしさが感じられた自画像。当時、そんな期待を持てていたのも、「描く」という表現が、自分にあるから大丈夫と感じていたからかもしれません。
そんな20年前の私が、今の大人になった私を見たら、一体なんて言うだろう。そう思ったら、同じ条件、場所で、自分のために絵を描いてみたくなりました。退職する1ヶ月前、これがここで描く最後のデッサンとして、今の自分を正直に表現できるんじゃないかと。
描き上がったときは嬉しかったですね。2枚の自画像を並べてみると、「なかなか、頑張ったんじゃん」って、互いに言い合えたような感覚がありました。描くことをやめなかったこと、描いている自分を好きでいられたこと、迂回しながらも、ここに辿り着いてくれてありがとうって、自分自身に心からそう思えたことが、すごく嬉しかった。、「ああ、私はちゃんとここに立っているんだな」と誇らしくもありました。
もちろん今でも、「本当にこれで大丈夫かな」と迷うことはあります。でも、自分で決めたことには、発見はあっても失敗はないと思えるようになった。
また、20年後の自分を描いてみたいですね。「自分の人生に納得して生きる、かっこいい私」に出会うために。そんな気持ちで、今日も絵と向き合っています。

好きなことを仕事にした先には、どんな景色が待っているのだろう───
その答えの一つを示してくれた滝田さん。「かっこいい大人でいたい」という言葉の裏には、自分の「好き」や「かっこいい」に素直に向き合い、表現し続けたいという強い願いが込められていました。
アートという“言語”で人とつながり、問いかけ、想像の余白を残す——そんな彼女の表現は、これからも観る人の心に「こんなふうに自分を表現してもいいんだ」という確かな火を灯していくのでしょう。
滝田知佳さん
画家。福井県敦賀市を拠点に活動中。書や日本画の経験をベースに、色彩豊かな躍動感ある絵画作品を発表している。
2023年12月、個展「trim」を敦賀市の画廊喫茶「未完成」にて開催し好評を博す。2024年春、志ろきやエントランスを飾る力作「相(そう)」を完成。
ソラミドmadoについて

ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media
取材・執筆

生き方を伝えるライター
世代・年齢・性別・国内外問わず人の「生き方」を聴き「名刺代わり」となる文章を紡ぎます。主な執筆テーマは、生き方/働き方/地域。人と人、人と想い、想いと想いを「結ぶ」書き手でありたい。
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