おもしろく生きていれば、書きたいことは自然と湧いてくる|自然体な「自己表現」に向き合う vol.1 あまのさくやさん(作家)
それは筆者であるわたしが学生だった頃。
ガラケーを手に、誰に読まれるでもない文章をインターネットの海に投げてみる。「どれだけPVが稼げるか」「仕事になるかならないか」。そんな疑問が頭によぎることもなくただ好きなように、書くことで自分を表現していた時代を懐かしく思います。
今は仕事や家事で余裕がない、お金にならない、時間がない。昔と同じように書きたいことを書けるはずなのに、「やらない理由」はいくらでも私の頭の中に浮かんできます。
しがらみがなく自然体に“自己表現”することを続けられている人は、どうやってそれを守ってきたのだろう。
様々な表現活動をする人に取材し、自分らしく生きていくための“自己表現”とは何たるかを探る連載企画「自然体な 『自己表現』に向き合う」。
連載初回に話を聞いたのは、絵はんこ作家・エッセイストとして活動するあまのさくやさん。あまのさんは今、岩手県にある紫波町(しわちょう)という街で地域おこし協力隊の仕事をしながら、“兼業作家”として作品づくりを続けています。
著書『32歳。いきなり介護がやってきた。』で綴られたように、彼女は若くしてご両親の介護と死別を経験。仕事や家族のことなどさまざまな壁を乗り越えながら、あまのさんがどのように自己表現と向き合ってきたのか、話を聞きました。
移住先での暮らしをまとめた『はんこ作家の岩手生活』
── 現在、あまのさんは岩手県紫波町で地域おこし協力隊の仕事をしながら、“兼業作家”として作品づくりを続けられています。最近のイベント出展では新たにエッセイ本を出したそうですね。
2024年6月に協力隊の仕事として開催した『本と商店街』というイベントに出展した作品です。『はんこ作家の岩手生活』というタイトルで、移住先での暮らしについて、昨年上巻、今回は中巻を出版しました。エッセイを中心に、表紙や挿絵は絵はんこで制作しています。
── 作品のテーマはどのように決めましたか?
「今、自分が書きたいことってなんだろう」と考えたとき、真っ先に紫波町での暮らしが思い浮かびました。
私はこれまで地方で暮らした経験がなく、東京から紫波町に移住する前は何かと不安が多かったんです。ペーパードライバーだし、冬の雪を乗り越えられるかなとか、大好きな映画に触れられる機会が東京より少ないのではないか……とか。私自身の体験を綴ることで、今後移住を考えている人のヒントになったらいいなと。
私生活と表現活動の“ちょうどいい”バランスを探して
── あまのさんは“兼業作家”として、協力隊の仕事と作家業を両立されています。現在、どのようにその2つのバランスを取っているのでしょうか?
私にとって協力隊の仕事は、いわゆる“ライスワーク”にあたるものです。「週に4日17時まで」と勤務時間が決まっています。一方、それ以外の時間をはんこ作りやエッセイの執筆などの作家業に充てるようにしています。
いろんなスタンスがあるかと思いますが、私は今のように週3〜4日の固定の仕事を持ちながら、作家業を両立するやり方が一番合っているように思います。
作家業だけに振り切ってしまうと、切羽詰まってしまってのびのび表現ができなくなってしまう気がして。
── 自分に合ったやり方を選ぶのは、作家業を続けるうえで重要ですね。
そうですね。ただ“ライスワーク”といっても何でもいいというわけではないんです。自分が苦手なことや苦痛に感じる仕事を選んでしまうと、それをこなすのに時間が取られてしまって作家業に支障が出る可能性がありますから。自分にとって辛くないものを選ぶのが大切だと思っています。
―― “ライスワーク”だと思っていても、ついそっちの仕事に追われてしまって、本当にやりたい“ライフワーク”に時間が取れないと悩む人は多いのではないでしょうか。
その気持ちは本当にわかります。『本と商店街』では何とか新しい作品を出せましたが、あまりにもスケジュールがぱつぱつだったのでちょっと反省しているんです……。兼業のバランスというのは、まさに今試行錯誤している最中ですね。
ただ、「締切」を設定することは大事ですね。ダラダラと先延ばしするクセがあるので、今回のイベント出展のように具体的な締切日時を決めてしまえば、あとはそこに向かってあきらめずに頑張るしかありません。
自分ひとりの“心の締め切り”だけだったら簡単にスルーできてしまうと思うんです。でも、印刷会社さんなど他の人を巻き込む場合、やらないわけにはいきません。そのくらい追い込まないと完成しないんです(笑)
―― 「締切」の設定はたしかに大切ですね。
コンテストに応募するとかでもいいと思います。そこで他の人の作品に触れることで、モチベーションが高まることもあるのではないかと。
『本と商店街』は並んでいる作品のクオリティがすごく高くて、「この人たちに並んでも恥ずかしくないものを作ろう」と襟を正された気持ちです。
忙しくてもどうにか新作を出しているのは、そうしないと自分が悔しいから。創作活動は“自分との戦い”ですね。
「自分が読みたかったもの」を文章に残す
―― ご両親の介護や死別を経験し、その後著書『32歳。いきなり介護がやってきた。』を出版されました。自身の経験を文章にしようと思ったのは、なぜだったのでしょうか?
エッセイを書き始めたのは、母が亡くなったあとでした。絵はんこ作家として駆け出しの頃だったのですが、当時は仕事も絵はんこも何も手につかなくなってしまって……。
どうにか父の介護だけはしながら過ごしていたんですが、いま私ができることって何だろうと考えたとき「文章を書くこと」しか思い浮かびませんでした。その時は「個展を開く」という締切を設けて、たくさん書き溜めておいたメモをもとにエッセイを書き始めました。
「書きたい」というよりも「書かなければ」という、ある種使命感のような感じだったと思います。
―― 使命感、というのは?
母には生前、病気のことは隠しておいてほしいと言われていたんです。だから、急に母が癌で亡くなって親戚がみんな驚いていて。亡くなる前に母はどんなふうに過ごしていたのか、みんな知りたがるんですけど、私の口から説明するのは辛かったんですね。
それだったら、文章という形で残そうと。「この経験をエッセイとして残せたらいいな」と思っていましたし、母も旅立ったあとなら、「何を書いてもいいよ」と言ってくれていたので。
父が若年性認知症で、母が末期がんというと、めちゃくちゃ大変でしんどい印象だけを持たれがちですが、それだけではなかったんだよ、笑っちゃうような面白いこともいっぱいあったんだよ、と他の人にも知ってほしかったんだと思います。
―― 書籍化されたのは本作が初めてでしたね。反響はいかがでしたか?
本の執筆中にnoteの作品コンテストが開催されていたので、思い切って書籍の内容の一部をnoteに投稿して、応募してみたんです。すると、想像以上に共感の声をいただきました。
30代で親の介護や死別について書いている人ってほとんどいないんです。でも、いざnoteで発表してみると、私と似たような経験をされた方からたくさんのメッセージが届きました。中には、10代20代の方もいましたね。
―― 同じような経験をした方は他にもたくさんいらっしゃったのですね。
そうなんです。両親の介護の渦中に自分と似たような境遇の人の本はないか、探してみたことがあったんです。具体的なハウツー本は見つかっても、気持ちの部分に触れたものは全然見つかりませんでした。「自分に向けた本がない」というのは、すごく寂しいじゃないですか。
そうであれば、自分で書こうと思いました。私が書くことで誰かの役に少しでも立てるかもしれない。どんなに普通の家族にだって、こういうことは起こりうるし、決して特別ではないことを伝えたかったんです。
書きたいことが湧いてくる「生き方」を選ぶ
―― さまざまな困難がありながら、あまのさんが表現することをあきらめないでいられるのは、なぜなのでしょうか?
「あきらめない」というよりも、私にとって「書きたいことが湧いてくる生き方」をすることが人生の最優先事項だからです。何も書きたい題材がなくなってしまったら、それは私が望む生き方ができていないサインなんですよ。
書き続けるためには、常に「書きたい」と思えるものがある状態でなければなりません。逆に言えば、好奇心を持って、自分が面白いと思える生き方さえできていれば、書きたいことは自然と湧いてくるはず。
移住を選んだのも、東京に居続けるよりも紫波町にいたほうが、つい「書きたくなる」ような新しい発見や刺激があるだろうなと思えたからです。
―― 最後に、あまのさんにとって“自然体な表現”とはどのようなものだと思いますか?
人に見せるわけではない日記や記録は、私の自然体に近いものかもしれません。表現したいから書いているというよりも、ドロッと漏れ出ちゃうようなイメージです。
ただ、それをそのまま作品として出しているかというと、決してそうではありません。自分の表現で誰かを傷つけるようなことは避けたい。だから、たくさんのメモの中から、これは書く、書かないと毎回線引きをして、自分の頭の中で編集をしています。だから「制作物=自然体の表現」というわけではないと思います。
むしろ、作品に昇華する前の日記や記録のほうが私の自然体に近い。たとえ外に発表しなかったとしても、いま自分が何を思っているのか、日記や記録を通じて少なくとも自分自身が受け止めてあげること。このプロセスが一番大切なんだと思っています。
“自己表現”というと、何か立派な作品を作り上げたり、自分の身を削るようにして作品に昇華したりするようなイメージを持っていました。
しかし、「これ、おもしろいから人に伝えたい」と思う瞬間に出会うことが“自己表現”の出発点であり、その瞬間がなるべく多くなるように生きることが、あまのさんの言う「書きたいことが湧いてくる生き方」ということなのではないかと感じました。
仕事からの帰り道、「きれいな夕日だなあ」と写真を撮って家族に送ってみる。
安くておいしいご飯屋さんを見つけたら、友人に「ここが良かったよ」とシェアをしてみる。
そんなふうに、つい人に伝えたくなってしまうような小さな喜びや発見を感じられる生き方をすること。それが自然体な“自己表現”の第一歩なのかもしれません。
あまの さくや さん
作家。1985年生まれ。著書に『チェコに学ぶ「作る」の魔力』(かもがわ出版)、『32歳。いきなり介護がやってきた。』(佼成出版社)、『はんこ作家の岩手生活』(生活綴方出版部)がある。チェコ親善アンバサダー。チェコにどこか似ている気がする、岩手県・紫波町に暮らしている。
ソラミドmadoについて
ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media
取材・執筆
ライター/編集者
1995年生まれ。webマガジンの編集を経験した後フリーランスへ。「小さな主語」を大切に、主にインタビュー記事を執筆。関心テーマはメンタルヘルス、女性の働き方・生き方、家族やパートナーシップ。
企画・撮影
東京と岩手を拠点にフリーランスで活動。1996年生まれ、神奈川県出身。旅・暮らし・人物撮影を得意分野とする。2022年よりスカイベイビーズに参加。ソラミドmado編集部では企画編集メンバー。
https://asamiiizuka.com/