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心の声を見失った彼女が、葛藤と苦悩の先で選びとった“塩谷歩波”の物語

これがやりたい、でも……。少ししんどい、けど……。

自分の心の声を二言目で否定してしまう。僕にはそんな癖があった。本心にそっとふたをして、なかったことにする。見て見ぬ振りをする。

それを繰り返していくうちに、そこに本心があったことさえ忘れてしまう。無理をしている自覚さえなくなる。

そして僕は自分の声を見失ってしまった。2019年のことだ。なにがしたいのか、なにを感じているのか、なにを思っているのか、全てが分からなくなった。灰色の世界に取り残された。

幸い、そこから回復して、なに食わぬ顔で過ごせるようにはなった。けれど、あの色のない世界への恐怖は消えていない。

どうしたら心の声を無視せずにいられるのだろう――

そのヒントを求めて、“やりたい”を形にしている人にお話を聞こうと思った。彼ら、彼女らは、きっと心の声に正直だと思ったから。

そのひとりが、絵描きである塩谷歩波(えんやほなみ)さんだった。銭湯の魅力を絵で表現した『銭湯図解』を出版し、いちやく有名になった彼女。高円寺にある銭湯、小杉湯の社員として過ごしていたが、2021年6月に絵描きとして独立したらしい。

SNSで見かけたとき、正直に言って、“やりたい”を叶え続けている人だと思った。僕とは遠い存在。だからこそ話を聞いてみたいと思った。

けれど、話を聞いて知った。彼女も心の声が聞こえなくなったことがあると。“やりたい”に向き合い続けてきたわけではないと。

私は、自分をなくしてばっかりだったから

そう語る彼女は、どのように自らの心の声を取り戻したのだろうか。彼女の人生から、本心と向き合う大切さを探っていきたいと思う。

しまい込まれた夢と、大きなコンプレックス

小さい頃、美術館に連れられて絵を見るのが好きだった。ゴッホ、ダリ、ゴヤ。西洋系の絵画の迫力に圧倒されていた。

自然に、自分でも絵を描き始めた。単行本を作れるくらいに書き溜めた漫画。将来の夢は、迷うことなく絵描きだった。

しかし、その夢は早々に胸の内にしまい込まれることになる。

小学5年生のとき、転校してきた子がいたんです。その子、とんでもなく絵が上手くて。ひと目見ただけで、私は敵わないなと痛感しました。そこで強く思ったんです、私に絵の才能はないんだって。

小学5年生で打ち砕かれた夢。もちろん絵は好きだった。けれど、絵を仕事にするのは無理なんだ。そう思い、違う道を模索するようになる。

転機となったのは、インテリアコーディネーターの勉強をする母親が描いていた「パース」と呼ばれる部屋の図面。その精緻さに心惹かれ、母親に描き方を教えてとせがむようになった。建築との出会いだった。

建築も面白いかもしれない。そう思い、建築学科への進学を決めた。夢を諦めて選んだ建築という道。しかし、そこで救いになったのは諦めたはずの「絵」だった。

私が進んだ学科では、『この詩から感じ取った空間を表現しろ』みたいな抽象的な課題が多くて。提出するのも立体物に限られなかったんです。だから、結局そこでも絵を描いていましたね。絵に助けられていました。

絵という武器で課題と戦う日々。絵を褒めてもらうことも多く、道は順調かに思えた。けれど、建築の世界は甘くない。

建築学科では、200人のうち選抜された20人のみが作品を発表することができた。その20人は、自分の考えやアイデアを語ることができる。あこがれのポジションだった。

しかし、その20人にどうしても入れない。いくら頑張っても選ばれない。

教授からもらうのは「絵は上手いけど、建築は向いてないんじゃない」という評価。悔しかった。絵を褒められたことよりも、選ばれなかったという事実、建築が向いていないという評価が頭を占めた。講評のたびに、気が付くと涙を流していた。

絵は武器になっていたかもしれない。けれど「私には才能なんてないんだ」というコンプレックスの方がはるかに大きくなっていった。

そんなコンプレックスの先で選んだ卒業後の進路は、都内の設計事務所だった。

私がどうしても勝てなかった同期や、認めてもらえなかった教授たちを見返すにはどうしたら良いんだろうって考えたんです。 

建築を学んでいる多くの人の憧れは、建築家。だったら建築家になろう。建築家になったら、この悔しさも晴れるはずだって。

建築の世界で感じた悔しさは、建築の世界でしか晴らせない。持ち前の負けん気で選んだ道。その先に待っているのが、暗いトンネルだとは思ってもみなかった。

「もっと頑張らなきゃ」自分で自分を追い込んだ日々

設計事務所への入社後、がむしゃらに仕事をした。誰よりも早く建築家になるんだ。その目標を胸に抱えて。

けれど、そこで邪魔をしたのは大学時代に育ったコンプレックスだった。

私には建築の才能がない。その思い込みが自分を駆り立てる。もっと努力しなきゃ通用しない。私には価値がないんだから、人よりも頑張らないとダメなんだ。

自ら多くの仕事を引き受け、作業時間は深夜1時まで及ぶ。そこから家に帰り、仮眠をとる。そして7時に出社する。そんな日々を1年半ほど繰り返したとき、身体が動かなくなってしまった。

自分で自分を追い詰めていたんだと思います。ミスして怒られると、怒られた以上に自己否定する。それでも頑張らなきゃと仕事をするんですけど、やる気も空回り。どんどん自分のことが嫌いになっていました。

それでまた私を責めるんです。「なんでそんなこともできないんだ」って。「私はダメなんだから、もっと頑張らなきゃいけないのに」って。

診断は、ストレスからくる機能性低血糖症。医者からは3ヶ月の休職を告げられた。

早く結果を出さないと。人よりも頑張らないと。もっと仕事しないと。

張り詰めていた糸は、ぷつんと切れてしまった。

私は頑張らないといけないのに、なんで体調を崩してしまったんだ。なにもできないくせに体調崩すなんて、どれだけ使えないんだよって。体調を崩してからも、自分を責め続けていました。

建築家への道。その道中で待っていたのは、暗いトンネル。光が待っているのかも分からない、苦しい日々を過ごした。

私はこれからどうしたらいいんだろう。そう思っていた先で、偶然から出口へ続く道を見つけることになる。

心も身体も救われた銭湯との出会い

仕事を休んで療養するなか、身体は動くようになったが、心は疲弊しきっていた。なんで私は普通に生きられないんだろう。人生をしっかりと歩んでいる人と会うのが怖かった。

しんどい。

SNSに漏らした心の声。大学時代の先輩が心配して連絡をくれた。なんと、その先輩も休職しているという。同じ境遇の人となら話せるかも。そう思い、先輩とご飯を食べに行くことになった。

その先輩がハマっていたのが銭湯だった。

もちろん銭湯は知っていた。けれど、終電を逃したときに入りに行くお風呂、という認識しかない。それでも、熱っぽく銭湯の魅力を語る先輩に惹かれて、そのまま銭湯に行くことになった。

訪れたのは、中目黒の光明泉。記憶のなかの銭湯より、はるかにキレイで明るい空間が広がっている。お湯に浸かって感じたのは、開放感だった。

お風呂って良いな、と素直に思いました。お湯に浸かっている間は、嫌なことを忘れられる。しがらみから自由になれる気がしたんです。

銭湯って、良いところだな。そう思った彼女が、銭湯に通うようになるのは自然なことだった。

調べれば調べるほど、いろんな銭湯がある。銭湯にどんどん惹かれていく。銭湯への気持ちが大きくなる。

好きなものは人に勧めたくなるもの。自分と同じく休職している友達に銭湯の良さを知ってほしくて、Twitter上に銭湯の絵をアップした。

『銭湯図解』の始まりだった。

最初は12いいね。いいねしてくれたのは、どうやら銭湯ファンの人たち。数は少なくとも、自分の感じた銭湯の魅力が伝わっていることが嬉しかった。そこから、銭湯の絵を継続的にアップするようになった。

「銭湯を知ってほしい」という純粋な想いから始めた銭湯の絵。

そして、その絵が彼女を救い始める。

本心と向き合った先にあった、番頭兼イラストレーター

銭湯の絵を『東京銭湯』というWebメディアに取り上げられたことがきっかけで、多くの人に絵を見てもらえるようになった。そのうちの一人が、現・小杉湯三代目の平松佑介さん。

「小杉湯のパンフレットを描いてくれませんか」

そうオファーをもらったことから、小杉湯との関係が始まった。さまざま仕掛けようとしている平松さんの話を聞いて、意気投合。小杉湯に関わり続けられたら面白そうだな、と思うほどになっていた。

その間にも銭湯に入り続け、身体は回復。そして、やりたいことをやり続けることで、心も回復してきた。医者に告げられた3ヶ月が経過しようとしていた。

心も身体も元気になった。そこで選んだのは、復職という選択。心機一転、建築家という目標に向かって走り直そうと考えた。

けれど、現実はうまく運ばない。人と話すと目が回ってしまう。集中力が保てず、仕事が手につかない。文字も打てないし、模型も作れない。

これじゃ戦力外だ。復職はおろか、一般的な事務職でさえ無理かもしれない。これからどうしようか……。

そう悩んでいたとき、平松さんが声を掛けてくれた。

「小杉湯で働きませんか。うちでなら、仕事しながら銭湯に入って体調を整えられるよ」

魅力的な誘いだった。ここでなら、絵を使った活動ができるかもしれない。なによりも、小杉湯のことが大好きになっている。ここで働けたら幸せだろうな、そう思っていたのも事実だった。

けれど、すぐに誘いを受けることはできなかった。

建築家になる目標はどうするんだろう、って。建築学科を出て、設計事務所に入って、といわゆるエリートコースに乗っていたんです。この道で頑張り続けたら、目標だった建築家になれるかもしれない。その道を捨ててもいいんだろうか、と悩みました。

悩むなかで辿り着いたのは「絵を描きたい」という自分の心の声。

たしかに建築家になりたい、とは思っていました。でも友達から「建築家になって、どういうものを作りたいの?」と訊かれたときに、答えられない自分がいたんです。

そこで気付きました。建築家になりたいという目標は、自分の想いなんかじゃなく、コンプレックスから生まれたものなんだなって。

建築家という目標は見栄から生まれたもの。そう気付くとと同時に、絵を描きたいという想いの純粋さにも気付くことができた。

私、ずっと絵を描くことが好きだったんだ――

心の声に気付き、平松さんの誘いを受ける勇気が生まれる。小杉湯の番頭兼イラストレーターの誕生だった。

自分の“やりたい”に本気になろう

小杉湯で身体を休めながら働くかたわら、銭湯の絵をTwitterにアップする活動は続けていた。私を救ってくれた、そして大好きな銭湯の魅力を伝えたい。

そんな想いで活動を続けるなか、出版社から「銭湯の絵を本として出版しませんか?」と声を掛けてもらうことに。そこから『銭湯図解』の出版までは、あっという間だった。

自分の心の声に正直になったら、こんなに良い循環が生まれるのか。そう感じると同時に、今までとは違う想いが湧き上がってくる。

小杉湯に転職した当時は、絵が描けたら満足だと思っていました。でも、『銭湯図解』を書き終えたことで、銭湯にまつわる絵は書き尽くしたかも、と感じるようになったんです。

もちろん銭湯は大好きでした。でも、それよりも違う絵を描いてみたい、自分の絵にどれだけ価値があるのか試してみたい、と思うようになりました。自分の“やりたい”に本気になろうと思ったんです。

好きなことに対して、本気になる。その覚悟から、“アトリエエンヤ”という屋号で外部の仕事も受けることに。

絵への熱意が動かした、小さくも大きな一歩。

実は、転職当時はイラストレーターと名乗れなかったんです。絵は好きだったけど、自分の絵に自信はなかったから。でも、小杉湯のポップを見てくれたお客さんが「塩谷さんの絵、好きだよ」って言ってくれた。

その一言がいっぱい積み重なって、自信につながりました。だから、絵に対して本気になれたんだと思います。

小杉湯で働きつつ、外部で銭湯以外の絵も描く。番頭兼イラストレーターの肩書きが少しずつ変わり始めていく。

夢と恩返しとの葛藤。そして、絵描きへ

銭湯以外のさまざまな絵を描くなかで、幼い頃に胸のうちにしまい込んだ、絵描きという夢が顔を出すようになっていた。

小杉湯へ転職したころは「私、絵が好きだから」くらいにしか考えていませんでした。でも、いろんな絵を描いていると、もっと多くの絵を描きたくなってくる。そこで思い出したんです。「私、絵描きになりたかったんじゃなかったっけ」って。

学生時代も、自分が弱っていたときも、絵というものが身を助けてくれた。ずっと身近にあり続けてくれたのは、絵だった。そう気付き、絵への熱量が高まっていく。

しかし、いまは小杉湯の社員。絵を描く時間は限られている。もちろん小杉湯も大好きだった。自分を救ってくれた銭湯への恩返しは、まだまだ足りていない。もっともっと小杉湯のために、銭湯というもののために働きたい気持ちも本物だった。

絵への渇望。小杉湯への想い。その狭間で気持ちは揺れ動き、自分の心の声が分からなくなった。そして、再び体調を崩してしまった。

主治医に告げられたのは、奇しくも以前と同じ3ヶ月の休養。

ひとりで山や海を訪ね、頭をからっぽにする時間。空白の時間で自分との対話を重ね、聞こえてきた声は、またも「絵を描きたい」だった。

絵を描いて救われてきた人生だったなと気付いたんです。幼い頃から、人生の横にあり続けてくれたのは絵だった。だからこそ、そろそろ絵というものに、絵描きという夢に本気で向き合わないといけない。そう思いました。

葛藤の末に辿り着いた答え。少しの申し訳なさとともに、お世話になった小杉湯の人たちに報告していると、小杉湯二代目の平松茂さんから忘れられない言葉をもらった。

「塩谷さんは、もう十分に小杉湯に恩を返していますよ。塩谷さんがきてから小杉湯は大きく変わりました。本当に、ありがとう」と言っていただけたんです。

あぁ、私はもう恩を返せていたんだなと思いました。これはもう私のやりたいことをやるときなんだって。

申し訳ないなんて思う必要はない。私を救ってくれた小杉湯に胸を張って、次の道に進んで良いんだ。

小杉湯の番頭兼イラストレーターが、“絵描き 塩谷歩波”になった瞬間だった。

“塩谷歩波”として生きる

ずっと秘めていた夢への一歩を踏み出した彼女。もう二度と自分の声を見失わないよう、ちょっとした練習をしているという。

なにもしない時間を、意識的に過ごすようにしています。ボーッとしながら、いまの感情を味わうんです。今日のあれムカついたな、とか、こないだは嬉しかったな、とか。

いろいろ思い起こす時間があればあるほど、気持ちが落ち着いてくるんです。そうやって、自分の声を聞くようになったから、いまの自分のことは好きなのかも

以前なら、非生産的な時間だと切り捨てていたと思います、と笑う彼女。

独立して、いまなにを感じているのだろう。

自ら営業して、絵を描いて、納品して、お金をいただく。なんだか、自分の足で立っている感覚があるんです。全部自分でやっているから、「私って意外と頼もしいな」って思うようになりましたね。ちょっと強くなったと思います

ちょっと強くなった。そう語る彼女の声には、芯が通っていた。

いまの生活って、全ての裁量が自分にあるんですよ。それってワクワクすることだと思いませんか?

葛藤を抜け、迷いがなくなった目で問いかけてくる。少し身じろぎしてしまうほどの熱量。夢への道を進み始めると、ここまで強くなるのかと唸ってしまう。

そんな彼女の目は、どんな未来を見据えているのだろうか。

ミケランジェロっているじゃないですか。私、彼が好きで。彼って絵が有名ですけど、彫刻とか設計、発明までやっているんですよ。そういう存在になれたら良いな、と思っています。自分しかできない仕事をする人になりたいですね。

この言葉通り、彼女も絵を描く以外に、エッセイの執筆・写真撮影・サウナの設計など、幅広い仕事をしている。どうやら、彼女が思い描く“絵描き”は、僕たちの想像をはるかに超えたところにあるらしい。

その姿はもはや“絵描き”ではない、と言ったら乱暴だろうか。けれど、僕の目には肩書きを超えて、ひとりの“塩谷歩波”として生きているように映った。

それはきっと、葛藤と苦悩の先で選びとった彼女だけの物語なのだろう。

これがやりたい、でも……。少ししんどい、けど……。

自分の心の声を否定するのは簡単だ。心にそっとふたをして、見て見ぬ振りをすることもできる。

心の声を無視し続けると、どこかに歪みが生じてしまうだろう。でも、きっと楽なんだ。本心と向き合おうとしないということは、葛藤も苦悩も生まれないということだから。

そう。心の声を聞こうとするのは、決して楽な道ではない。本心と向き合おうとして、なんども壁にぶつかっている彼女の話を聞いて、そう感じた。

心の声を聞こうとしたときには、きっとたくさん悩むのだろう。たくさん傷つくのだろう。でも、それこそが“自分を生きる”ってことなんじゃないだろうか。

だとしたら、大切なのは本心と向き合おうとすることじゃなくて、傷つき悩む勇気なのかもしれない。

そうか、僕にはその勇気がなかったんだ。そう気付いた僕は、ようやく僕だけのスタートラインに立てた気がする。

傷つき悩む勇気。きっとそれは、小さな勇気。強くなくてもいいから、一歩を踏み出していこう。彼女の人生に触れて、そう思った。

塩谷歩波(えんやほなみ)
設計事務所、高円寺の銭湯・小杉湯を経て、絵描きとして活動。
建築図法”アイソメトリック”と透明水彩で銭湯を表現した「銭湯図解」シリーズをSNSで発表、それをまとめた書籍を中央公論新社より発刊。
レストラン、ギャラリー、茶室など、銭湯にとどまらず幅広い建物の図解を制作。TBS「情熱大陸」、NHK「人生デザイン U-29」数多くのメディアに取り上げられている。
エッセイ「40℃のぬるま湯につかって」を連載中。好きな水風呂の温度は16度

Twitter:https://twitter.com/enyahonami?s=21

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ソラミドについて

ソラミド

ソラミドは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

取材・執筆

安久都智史
ソラミド編集長

考えたり、悩んだり、語り合ったり。ソラミド編集長をしています。妻がだいすきです。
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撮影

中村英史
フォトグラファー

1992年生まれ、神奈川県出身。東京大学大学院修了。ITベンチャーでマーケターとして勤務する傍ら、学生時代の写真店での勤務経験を活かして撮影を始める。修士研究で森林をテーマにしており、季節の事柄に興味あり。