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食と暮らしをとおして人のつながりを味わう。地域の課題にゆるやかにタネ撒く人 – 「ごはん屋 花種」畑本真衣さん

島根県大田市水上町で「ごはん屋 花種(はなだね)」を営む畑本真衣さん。
畑本さんを知ったきっかけは、以前ソラミドmadoの「ライフ」をテーマとした記事でご登場いただいた小松崎拓郎さんから「畑本さんは、“自然体”そのものだと思います」とご紹介を受けたことでした。

畑本さんがつくるのは、ご主人が育てる自家栽培のお米と、地域で採れた野菜などをふんだんに使った体にやさしいごはん。そして「ごはん屋 花種」は、ただごはんを提供するお店ではありません。ときには裁縫教室になり、料理教室になり、はたまた山歩きも……。

「“食”と“暮らし”を一緒に提案することで、より“食”の魅力が伝わる」、と話す畑本さん。
ごはん屋さんが提案する“暮らし”、そして畑本さんが伝えたい“食”の魅力とは。その背景には地域に対する温かい思いと、畑本さんの“自然体”な暮らしがありました。

食と暮らしを味わう

―― 「ごはん屋 花種」はどんなお店ですか?

「ごはん屋 花種」は山の中で営業している飲食店です。自家栽培のお米と地域で採れた野菜、肉、魚をつかったランチプレートをメインに提供しています。そして、ただごはんを食べるお店ではなくて、“循環する暮らし”の良さも一緒に提案していきたいとの思いから、「食と暮らし」をコンセプトにしています。

―― 花種が提案する“循環する暮らし”とは、具体的にはどういったものでしょうか?

私はこの里山の暮らしそのものが好きで、その楽しさを周りにも伝えたいと思っているんです。それで日々のメニューのほかにも、お店の周りの風景や山で採れる植物などをInstagramで発信しています。お店のすぐ裏は、うちが所有する山なんです。季節折々の山の恵みは、食材や食卓を彩る道具として使うこともあります。

それからもうひとつ、お店では通常の営業日以外で外部から講師を招いた教室を定期的に行なっています。毎月いろいろなジャンルの教室をやっていて、料理教室のほかウクレレ教室や裁縫教室、金継ぎ教室もあります。

私一人が場を回していくのではなくて、いろいろな人が立場や役割を変えながら楽しさをつくっていく。美味しいごはんを食べる楽しさ、新しい学びを得る楽しさと、たくさんの種類の楽しさがあって、いろいろな楽しさが生まれる場所にしたいんです。そういった「ごはん屋 花種」の周りにある暮らしは、食をより魅力的に見せてくれると思っています。

「花種」のランチプレート

―― それがコンセプトにある「食と暮らし」なんですね。

メニューや営業スタイルのほかでもそれが伝わるようにしたくて、お店のロゴと名刺を、同じ大田市に住むグラフィックデザイナーの小野哲郎さんにつくってもらいました。「主人が育てたお米で私がごはんをつくり、山や家族をとりまく循環の絵にしてください」とお願いしてできあがったのが、今のロゴです。

「ごはん屋 花種」のロゴには4つの手が描かれています。タネを撒く手、田畑を耕す手、ごはんをつくる手、ごはんを食べる手。それぞれの手の周りにはお米、山、動物たちがいて互いに作用しながら暮らしが成り立っている。まさにこの里山での暮らしを象徴したようなロゴを作ってくださいました。

ここでの暮らしと、そこに関わる人の思いがつながってひとつのランチプレートができている。それが「ごはん屋 花種」の食をより魅力的に見せていると思いますし、それを伝えたくてお店をやっています。

食も暮らしも、もともとあったもの

―― 里山での暮らし、そこに住まう人のつながりを伝えるためのお店なのですね。それが飲食店となったわけを教えていただけますか?そもそも、料理に興味をもったきっかけはなんだったのでしょう?

きっかけは忘れてしまいましたが、小学生のころに「料理をつくってみたい!」という衝動がまずあったんですよ。それで祖母が持っていたレシピ本から自分でつくれそうな料理を探して、目に止まったのが「ほうれんそうのポタージュ」でした。祖父と祖母の畑でほうれんそうをたくさん育てていて、それを使って料理してみたいと思ったのもあると思います。

まだ読めない字もあって読み飛ばしながら初めてつくったポタージュを、家族みんなが美味しいって喜んでくれて。それが嬉しくて何回もつくって。次はクッキーにも挑戦して友達に配ったりもして。

自分で食べるよりも、人に食べてもらって美味しいと喜んでもらうのが好きでしたね。

それからずっと料理が好きで、この先も飽きることはないなと感じています。これまで日本料理店で調理をしたり、カフェのスタッフをしたり、保育園の調理師をしたりと、仕事のほとんどが飲食関係でした。ただ食にこだわって選んだつもりもなくて、だからたまに離れることもあったんですけど結局は戻ってきちゃう。食に惹きつけられているのだと思います。

―― そうしたなかで、暮らしを意識したきっかけは?

意識したのは子どもが産まれてからですね。結婚を機に島根から大阪に移り住んで、自分が育ってきた田舎との生活環境の違いに戸惑いました。

それまで口にするものは、どこの誰がどうやってつくっているか知っていて当たり前でした。だから、まず子どもに安心安全な野菜を食べさせたいと思い、それから徐々に、食以外の周囲の暮らしも意識し始めましたね。子どもが産まれてからの7年間は、大阪で友人や知り合いを集めて食育を中心とした料理教室を開いていました。

それも充実していましたけど、島根に帰省するたびに「私にとってこの里山での暮らしがいちばん落ち着く」とわかりました。目に映る風景に必ず山があって、都会と違って隣家との距離はあるけど集落での結びつきがある。自然とも人ともつながりを身近に感じられるここでの暮らしがやっぱり好きだなと、都会に住み暮らしたからこそ再認識しました。それに料理も、その季節にその場で採れた食材を使うほうが、ライブ感も相まって私は楽しさを感じられたんですよね。

結婚当初から、ゆくゆくは島根で暮らしたいと主人とも話していたので、子どもが小学校に入るタイミングを機に、島根に帰ることにしました。

―― 念願の里山での暮らしが始まったわけですね。

そうですね。島根に帰ってからは大森町でカフェスタッフとして働きました。そしてこの良さを他の人とも共有したいと思って、日々の料理や山で採れる植物などについてInstagramで発信し始めました。

いまお店が立っているこの土地は、もともと別の方のお住まいで、その方が亡くなったあとご家族から譲り受けたんです。その方と私の父は旧知の仲で、「土地を手放したい」とご家族から父に相談がありました。

家屋の裏手には光の差す明るい山があって、家の中は故人が大切に使っていた家財や器など、生活の道具も多く残ったままでした。もしここが市や民間の土地になったら、家屋もろとも山は切り崩されてこの景色も道具もなくなってしまうかもしれない。これまでも住む人がいなくなって里山の風景がなくなる事例はいろいろと見てきましたから大切に残したくて、山と家屋を含めたこの土地をまるごと譲り受けました。残っていた家財や器はメンテナンスをして、今もお店で使っています。

うちの山はだいたい東京ドーム1個ぶんの面積があって、今は、私の父や主人が整備しています。

―― 山の整備とはどのようなことをするのでしょう?

いろいろとありますが、主には下草を刈って木を間引くなど、山に光が入り込むようにすることですね。そもそも山の整備は景観を守るためであり、実は害獣対策でもあるんです。

しっかりと手入れして人間のにおいを残すことで、人間と動物の境界線をつくります。そうすれば動物も里山に近寄りにくくなるので、むやみに駆除する必要はなくなります。山の整備によって私たちは景観を楽しみ、山の恵みを得て、なおかつ農作物を荒らされる心配が減ります。人馴れしてしまっている動物もいて、整備をしてもすべて解決できるわけではありませんが、人間と動物が共存していくためにも山の整備は必要だと考えています。

そういった山の整備に対する思いや、季節ごとの山の恵み、日々つくる料理、カフェで出している料理などの食と暮らしをInstagramで発信していたところ、それを見た主婦雑誌『サンキュ!』の編集者さんから「ぜひ『わたしのHappyのつくりかた』という企画で特集したい」とオファーがあり、初めて誌面に載ったんです。

その特集は、その人の幸せのもとになっている生活のあれこれを紹介する連載企画で、私は、主人が育てている大豆や、カフェで料理する様子、自宅の台所や料理の写真を交えて紹介いただきました。それがきっかけとなって「自分のお店を出すべきだ」と人から言ってもらえるようになりました。

仕事を始めたころから漠然とお店をやりたい気持ちはあったけど、自信がもてなくて、いつかおばあちゃんになるまでにお店をできたらと、余生の楽しみくらいに考えていました。

でも普段から大切にしている「食と暮らし」をかたちにしてみたい気持ちがだんだんと大きくなっていって。それで周りからの後押しもあって、2年前に独立を決めました。

人が集まる場をつくる

―― それでカフェを辞めて、いまのお店を始めたわけですね。

いえ、実はそうではないんです。独立した時点ではまだお店をもつことは考えていなくって。

―― というと……?

独立から3ヶ月後、「ごはん屋 花種」として活動は始めたものの、当初は実店舗をもたないお店だったんです。イベントに出店したり、お弁当を出したりしていました。

実店舗をもってしまったら、場所に縛られて自分が自由に動けなくなってしまうんじゃないかと抵抗感がありました。それでも店舗をもつことにしたのは、地域の人が集まる場所が必要だと感じたからです。それと父の影響もありますね。

―― お父様の影響?

父は根っからの人好きで、人を集めるのが大好き。毎年うちの山で採れた山菜を振る舞う天ぷら祭りをしていて、多いときは100人もの人が集まるんです。

父はいつも「一見なにもないようなところにも人は集まるんだよ」って言うんです。

「人が集まる要素は3つある。場所、人、楽しそうだと掻き立てるもの。それがあれば人は集まるよ」と、10年以上言い続けて、さらにそれを実践している父の姿を間近で見てきました。

昔はどこの地域にもお祭りや運動会など季節ごとの催しがありましたよね。でも、この地域も高齢化・過疎化が進んで、これまであった催しがどんどんと減っています。そういった催しを開くのは重労働で大変なんだけど、「大変だからなくなって良かった」とも言い切れなくて。みんなでにぎやかに集まることの楽しさはありますから。催しで顔を合わせては「あんた、どがんしとるかね?」と他愛無い会話をする、お互いの元気を確認する意味合いもありました。

自然とも人ともつながりを身近に感じられる里山での暮らしが好きで島根に帰ってきたこともあって、そういう心のつながりが感じられるイベントを「ごはん屋 花種」でできたらいいなと。そういう思いでいます。

私、本来は人見知りで、大勢の人がいるところに飛び込むのは苦手なんですけどね(笑)。

―― それでも地域の人が集まる場所が、ここには必要だと思ったと。

はい。幸いなことに、人が集まりたくなるような材料はこの山にたくさんありますから。料理教室ではまず参加者と一緒に山歩きをして、そのとき山で採れた植物を使って料理をすることもあります。四季折々の借景を目当てに来てくれるお客さんも多いです。

父と主人が山を整備してくれるおかげで、山林に自生する広葉樹を中心とした植物が育ち始めました。今、増えているのはクロモジ。クロモジの葉は香り高くてお茶になります。お店で出しているドリンクのマドラーもクロモジの枝でつくったものです。あとは巻き餅に使うマキノハ、天ぷらにもなるタラノメ、こしあぶら、藤の花……。食と暮らしに結びつくものがいっぱい増えました。

窓から見える景色をきっかけに、居合わせたお客さん同士で会話が弾むのはよく見かけますね。ゴールデンウィークやお盆といった連休には、ふだんは県外で暮らしている人たちが帰省して、ここで懐かしい顔と鉢合わせする様子も見ます。食と暮らしのまわりに人が集まって、わいわいと場が賑わうのは私もとても嬉しいです。

お店をやって見えてきたこと

―― 開店前に場所に縛られてしまうかもと心配していた自由は、ありますか?

コンセプトの「食と暮らし」は私の生活においても大切にしたいことだったので、自分の暮らしも大切にできるよう営業日を週3日としました。営業日以外の日にちで、教室の時間としてこの場を開いたり、料理教室の講師として出張したりしています。

オープン当初1年くらいは「営業日が少ない」とお客さんに怒られることもありました(笑)。だけど、私にとって必要な時間なので、そこは曲げていません。

―― 無理のないペースで営業できているわけですね。

そうですね。ありがたいことにオープンからご好評をいただいていて、予約必須ではないけど予約しないと席が取れないお店になりつつあります。なので、空き情報もInstagramで発信をしています。

お話ししているとおり、うちはInstagramが情報の窓口です。ご予約やお問い合わせもInstagramでいただくようにしています。ですが、ご年配のお客さんはInstagramをやっていない方がほとんどで、いつお店がやっているのか、予約の方法もわからないと言われるんですよね。

それでお店のスケジュールをプリントした紙も用意しつつ、「うちはInstagramが窓口になっています」と説明するんです。

するとこのごろ、ご年配のお客さんでもInstagramにチャレンジする人がだんだんと増えてきました。「ここを予約するためにInstagramを始めた」って。

―― それはすごいですね。

それで自分のお店を好きでいてもらうためには、お客さんも育てないといけないんだと思ったんです。「育てる」と言うと上から目線かもしれないけど、つまり、うちのお店の在りかたを丁寧にお伝えしていくことが大事だとわかったんです。

私がInstagramを勧める目的としては、伝えたいことがたくさんあるからです。メニューも日々変わりますし、季節の食や次回の教室の紹介、新しい取り組みについてお店の亭主としての思いも随時Instagramで発信しています。「覗くだけでもいいので、見てみてください」と伝えていたら、お子さんに使いかたを教えてもらって始める人が増えてきました。やっぱり楽しさや良さを共有できる喜びがありますよね。SNSは悪いことばかりではないので、年齢問わず得意になってほしいと思っています。

―― お米も、お店も、お客さんも一緒に育っていくものなのかもしれませんね。最後に、畑本さんにとっての自然体を教えてください。

「ごはん屋 花種」をオープンするときも最終的なジャッジは、自分が楽しめるかどうかでした。

オープンまで本当にいろいろあって大変だったんです。だけどそれも今となっては笑い話です。笑顔でいられるときもそうじゃないときも、自分が楽しんでいられるかが私にとっては重要かなと思います。それが私の自然体です。

「ごはん屋 花種」をやって見えてきたのは、やっぱり私にとっての食の魅力は人のつながりだなと。ひとりでお店をやっていますから、仕入れに始まりお客さんのお会計に至るまで、すべて直にやりとりしています。これまで働いてきたお店では、厨房と客席が仕切られていることも多くて、お客さんとのつながりも薄く感じていました。

今は生産者もお客さんもより身近になって、ときにはお叱りの声をいただくこともありますが、反応を目の当たりにできることが楽しさと達成感につながっています。

人のつながりを感じられる食が好きなんです。「美味しい」のさらに奥に人のつながりが見えるから、ここへ来たお客さんも喜んでくれるんだろうと。
やっぱり私がやってきたことに間違いはなかったって思います。よかったって。

カラカラと快活に笑う姿がとても印象的だった畑本さん。
独立前後の不安な時期やオープンまでの苦労話をしているときも、終始笑顔で声を弾ませていらっしゃいました。今、まさに自然体でいるのだろうと感じられ、取材まで緊張していたこちらもいつのまにかリラックスしていました。

自分が楽しめることをつづけていたら、里山での営みとそこに住まう人、それらを食でつなぐ暮らしに辿り着いた。

場所があって、人がいて、惹きつけるものがここにはある。畑本さんの撒くタネはきっとのびのびと育って、その循環はやがてもっと大きくなっていくのだろうと思わせる時間でした。

畑本 真衣さん

「ごはん屋 花種」店主。

高校卒業後、大阪で服飾の専門学校兼会社に就職、退職後は料理の道へすすむ。 日本料亭、旅館、カフェ飲食店、保育園、食育教室などさまざまな業態の調理を経験し「ごはん屋 花種」をオープン。

週末のランチ営業を中心にイベントやマルシェ、料理教室、ケータリング、お弁当業とおいしくて楽しいことを企画して詰めこむのが大好き。

ソラミドmadoについて

ソラミドmado

ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

取材・執筆

岸本麻衣

インタビュアー、現代アートのコーディネーター、書籍の編集補助といくつかのわらじを履いて歩くフリーランス。仕事のかたわら、働く人を紹介するフリーペーパー「あのつく人」を刊行中。あらゆる「働く」を見つめつづけています。
https://x.com/89mo9

編集

ソラミドmado

ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

企画・撮影

飯塚麻美
フォトグラファー / ディレクター

東京と岩手を拠点にフリーランスで活動。1996年生まれ、神奈川県出身。旅・暮らし・人物撮影を得意分野とする。2022年よりスカイベイビーズに参加。ソラミドmado編集部では企画編集メンバー。
https://asamiiizuka.com/

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