迷い悩むからこそ、心地好く生きられる。自らと向き合う「じぶんジカン」マツオカミキが積み重ねてきた選択
誰かの人生が目に入りやすくなったいま、自分と向き合うことの大切さが増している気がします。
僕はなにを求めているのか。私が好きなことはなんなのか。自らの心を見つめることで、進みたい道が見えてくるはず。
けれど、それがまあ難しい。気が付くと、世間体や他人の意見に流されてしまう。
「自分と向き合おう」って簡単に言うけど、大変だな……!
そう悩む日々を過ごしていました。
どうしたら自分と向き合えるのだろう。そう思っていろいろ調べていると、どうやらノートに書き込むことで、自らと向き合うことができる自己分析ノートとやらがあることを知りました。
自己分析って就活のときにやることだっけか、と思いながらも、どこか興味を惹かれている。きっと、僕自身、僕の本心が分からなくなっていたからだと思います。
そこで知ったのが、自己分析ノートを提供している「じぶんジカン」というブランド、そして「じぶんジカン」を運営するマツオカミキさんの存在でした。
きっかけはノートの存在。けれど、調べれば調べるほど、マツオカさん自身の考え方に興味を持つようになりました。
いつだって自分のなかの「みんなと同じようにできるようにならねば」「これが普通なのだからやるべき」といった思いに縛られて、勝手につくり上げた「正解」に近づけるよう、劣っている自分を補うために無理をすることが多々あった。
それらはすべて「無理をするのが当たり前」だと思っていたから、なのかも。
マツオカさんnote 「無理しない生き方」で進んでいくために より引用
「まさにそうなんです……!」とお伝えしたくなるような、悩みに寄り添った繊細であたたかい文章。自分と向き合ってこないと、こんな言葉は紡げないはず。
僕たちに寄り添ってくれるこの方は、どのようにして自分と向き合ってきたのだろう。マツオカさんの人生をお聞きしたい。そう思った僕は、湘南地方に住むマツオカさんのもとを訪ねることにしました。
そこで知ったのは、マツオカさん自身の迷い。そして、それすらも受け入れて足を前に進めている姿。
もしかしたら、悩みながらでいいのかもしれない。マツオカさんの選択から、自分と向き合い、心地好く生きるヒントを探っていきたいと思います。
自分と向き合う、ということ
マツオカさんが運営する「じぶんジカン」は、「自分と向き合う時間をつくる」をコンセプトに掲げるブランド。
現在はノートを中心に展開していますが、革製品を扱ったり、ワークショップを開いたりと、さまざまな角度で「自分と向き合う時間」を提供しています。
「私も自分と向き合う時間を大切にしているんです」と語るマツオカさん。そのためにも、無理しないことを第一に掲げているんだそう。
働く時間や休む頻度、関わる人の人数とか。どのラインだったら、自分は心地よく過ごせるのかを常に探っています。私、すぐに無理したくなるんです(笑)。無理したほうが、その瞬間はうまくいきますから。でも、結局それって自分のためにはならないんですよね。
「無理するのって楽な側面もありますけど」と笑顔で話す柔らかい物腰。マツオカさんの軽やかな思考を感じます。
自分と向き合って、無理をしないように生きているマツオカさんは、なぜ「じぶんジカン」を展開するようになったのだろう。
そうお聞きすると、別に大それた想いはない、と前置きして教えてくれました。
昔の私が欲しかったものを作っているだけなんですよ。私は、自分と向き合うことで苦しい状況から抜け出すことができたから。
苦しい状況。話は、マツオカさんの大学生時代にまで遡ります。
“普通”を踏み外すことが怖かった
昔から考えることが好きだったマツオカさん。就職活動にさしかかったとき、本格的に自己分析を始めたんだそう。
それこそ、分厚い自己分析本に書き込んでいましたね。でも、ちゃんと自分と向き合えたかというと、そうではありませんでした。内定をとるっていうゴールを先に決めて、自己分析をしてしまった。いま思えば、ゴールに向けて考えを捻じ曲げていたんだと思います。
本来は、向かいたい場所を探るための自己分析です。けれど、「この会社に入るための自分を作り上げる」という誤った使い方をしてしまった。ゴールを先に設定してしまったからこそ、どこかで歪みが生じた。
そうして入社を決めたのは、老舗文房具メーカー。けれど、いま思い返すと、そのゴールは自分には合っていなかった。
もともと会社員は向いていないと考えていたんです。毎日決まった時間に決まった場所へ行くことを、苦痛に感じるタイプでしたし。でも、普通に会社員として就職する以外の道を選べませんでした。そもそも、普通から降りるって選択肢がなかったんだと思います。
普通。大学生のマツオカさんが作り上げた、架空の枠組み。自己分析を捻じ曲げて、そこに自身をはめ込もうとしてしまった。
普通って、“人はこうあるべきだ”っていう思い込みが作るものですよね。そのあるべき姿から、道を踏み外すのが怖かったんだと思います。普通から外れる自分を、認めることができなかった。だから、会社員は向いていないっていう自分の声を無視して、進路を選んでしまったんです。
自らの本心にそっとふたをして、見ない振りをして選んだ道。ちょっとした違和感を抱きながらも、これが私にとって一番良いんだと言い聞かせて選んだ道。
ちゃんと自己分析もした。納得もして選択した。そこにあるのは、ほんの少しのズレのはず。けれど、ズレは大きな代償になって返ってくることになります。
“あるべき”に合わせて、ほどけきった糸
初めて経験する社会人。入社当初は、目新しい仕事のおかげもあって、頑張ることができていたそう。けれど、ルーティンに縛られる日々は、マツオカさんの心を疲弊させていきます。
なんとか仕事に行けたのは、1年目まで。2年目にさしかかると、身体に違和感が現れてくるように。
会社に行く朝になると、決まってお腹や頭が痛くなるんです。それでも誤魔化しながら出社していましたけど、ついにはオフィスに入る直前に涙が止まらなくなってしまって。なにかおかしいぞ、と思うようになりましたね。
徐々に壊れていく心と身体。そこで感じたのは、怖さだった。
一緒に入社した同期は、なんの問題もなく頑張っていました。なのに、自分だけ心や身体がおかしくなっている。私が思う“普通”から、足を踏み外しつつあることが怖かったですね。私は、このままどうなるんだろうって。
私だけが頑張れていない。こんなことも頑張れないのか。なんで頑張れないんだ。なんでなんだ。
焦りとは裏腹に、身体は言うことを聞かない。それでも頑張ろうと、2年目の夏には海外出張をこなした。それが、自分の思う“あるべき”姿だったから。仕事をこなす“普通”の姿だったから。
それが最後だった。入社直後から少しずつほつれていた糸は、海外出張を機に完全にほどけきってしまった。入社2年目の8月、ついには家から出られなくなった。
診断は、適応障害。心の声にふたをし続けた結果だった。
私だけの心地好さを探そう
医者から休職を言い渡され、ゆっくりと心と身体を休める日々。そこで考えるようになったのは、なぜ自分は体調を崩してしまったのか、ということ。
なにも考えずに復職したり、違う会社に転職したりしても、同じことの繰り返しになってしまう予感があったんです。でも、どうしたらいいかは全然わからなかった。だから、考えてみようと思って。私はなにがしんどかったのか、なになら大丈夫なのか、なにをしたいのかを。
幸いにも時間はたっぷりある。自分と向き合い、問いを投げかけ、考え続ける。就活時代とは違い、ゴールが定まっていない自分との対話。
この対話を積み重ねるようになったことが、マツオカさんの人生を大きく変えたと言います。
そうして気が付いたのは、いままでは他人の視線に左右されていたということでした。
私が考えていた“普通”や“こうあるべき”って、私の意志ではなかったんですよね。他の人から見たときに、私がどう映るのかを気にした結果作られたもの。でも、それって本当に大事なものだっけ、と。一回道を踏み外したことで、もっと大切なものがあると気付けたんです。
他人を気にし過ぎて、体調を崩してしまったんだ。だったら、開き直って私のやりたいことをやろう。そうじゃないと、きっとまた同じようになってしまう。
そうだ、私だけの心地好さを探せばいいんだ。マツオカさんの試行錯誤がはじまった瞬間でした。
心と身体が回復した後に選んだのは、学生時代に楽しかった塾講師のバイト。そして、考えることが好きだったこともあり、昼間の空いている時間を使って簡単なWebライティングの仕事を始めた。
自分との対話の後に選んだ道。けれど、ここでも不調に悩まされてしまいます。
塾講師は、とても楽しかったです。自分でも天職だと思っていました。でも、働き方が合っていなかったんですよね。私、夜が弱くて。どんなに楽しくても、働き方が合っていないと自分らしく生きられないんだって、そこで知ることができました。
以前のままだったら、自分の甘えだとして頑張り続けたはず。けれど、本心と向き合うことを覚えたマツオカさん。
塾講師で無理をするのではなく、塾講師のなにが好きなのかを考え、その要素を他の仕事で叶えられはしないかと模索するようになります。
そこで見つけた答えは、私は誰かの背中を押すことが好きなんだ、ということ。だったら働き方が合わない塾講師じゃなくてもいい。
考えてみると、ライターも、記事を通して悩んでいる人の背中を押すことができる。そして、ライターだったら好きな場所で好きな時間に働くことができる。
もしかして、ライターって私の心地好さに近いのでは……? そう考え、マツオカさんはライティングの仕事を増やしていくことに。試行錯誤の過程で辿り着いた、フリーライターという選択でした。
ほんの少しの興味からはじまったノートづくり
フリーライターを名乗るようになり、順調にお仕事も増えてきたマツオカさん。ライター業だけで生活も回りはじめ、余裕のある時間を過ごしていました。
余裕があると、さらなる興味が生まれるもの。ライター業をするなかで、とある興味が芽生え始めます。
ライターって、企業から委託されて記事を書くじゃないですか。もちろん、それも楽しいですけど、自分発信でなにかコンテンツを作ってみたいと思ったんです。
どうせ作るなら、自分が欲しいと思うものがいい。じゃあ、私はなにを作りたいんだろう。またしても自分との対話を重ねるなかで見つけたのは、その対話自体が生まれるきっかけを作りたい、ということでした。
私が体調を崩したとき、暗闇のなか手探りで自分と向き合っていました。そのときに、道標になるようなものがあったら嬉しかったな、と思ったんです。自分と向き合うって、体力もいるし、難しい側面もありますから。そこを手助けしてくれるものがあったら良いなって。
そうして作りはじめたのが、自己分析ノートでした。作りたいと思ったから、まずは作ってみよう。大それたものではなく、マツオカさん自身の小さな、そして純粋な想いから始まったものづくり。
興味があるから、後先考えずにとりあえずやってみる。いま振り返ると、そう考えて行動したことが良かったのかもしれない、とマツオカさんは語ります。
ノートの作成を仕事にしようなんて、これっぽっちも思っていませんでした。本当に興味があったから作ってみた、っていうだけ。それが良かったんでしょうね。下手に気負っていたら、最初の一歩も踏み出せなかったと思います。
上手くなってからやろうとか、完璧になってから世に出そうとか。見栄えを気にするのも悪くはないけれど、そのせいで行動できないのはもったいない。
最初は、ノートとも呼べないくらいの冊子だったんです。表紙もペラペラで、デザインもまだまだ。でも、自分のものと呼べるなにかを作ってみたかった。ハードルをめちゃくちゃ低く設定したから、行動できたのかな。
軽い興味からはじまった自己分析ノート。100部だけ刷ったノートは、マツオカさんを次の場所に運んでくれることになります。
自分のために、他人を思う
作りたかったから作った100部のノート。なんと、それが3日間で完売するという大盛況ぶり。
これはもしかしたら、私以外の人にも求められているのでは……? そう思って、ノート作りを続けるようになったんだそう。
ノートの追加販売にはじまり、対面でのイベント開催などが決まる。その活動が、徐々に広がっていく。
私と同じように悩んでいる人が、私のノートを通してほんの少し心が軽くなる。それが本当に嬉しかったですね。あと、印象的だったのは、実際のユーザーさんとお話する機会。実際に触れ合ったことで、この人たちに自分と向き合うきっかけを提供したいと、強く思うようになりました。
ほんの少しの興味から始まった活動。それが次第に「この人たちのために」へと変わっていったように感じる。けれど、根本にあるのはあくまでも「自分のため」であると、マツオカさんは言います。
ノートの作成は、どこまでいっても自分のためなんです。私が幸せに生きるためには、周りの人も幸せに生きている必要があると思っていて。
じゃあ、周りの人の幸せのために私ができることってなんだろう、って考えたときに、それがノート作りなんだなって。だから、自分のためにノートを作り続けるようになったんです。
自分の幸せに繋がっているから、周りの人のために行動する。大それたものよりも、はるかに身近に感じるマツオカさんの想い。
自分にできることは、これかもしれない。そう考え、ノート作成に本腰を入れていくようになります。
もちろん、生活のためにライター業も続けていました。ノートの売上だけで生活していくのは難しかったから。けれど、ノート作成に専念したいという自分の心の声が聞こえるようになってきた。
心の声を聞く大切さを知ったマツオカさんでも、すぐに決断はできなかったと言います。不安とともに悩むこと1年。導き出した決断は、ライターをやめるということでした。
きっと一度道を踏み外したことで、タガが外れていたんだと思います(笑)。もう、やりたいことを好きなようにやろうって。そうじゃないと、またしんどくなるよねって。別に、ノート作りを一生しないといけないわけでもないですし。ダメだったらやめればいいと思っての決断でした。
「もちろん一生やりたいとは思っていますけどね」と語るマツオカさん。軽やかな口調の裏にある、ノート作りにかける情熱。
こうして、マツオカさんは「じぶんジカン」に専念するようになった。
迷い、向き合った先に心地好さがある
マツオカさんのお話を聞いていると、壁にぶつかりながらも自分と向き合い続けて、いまに辿り着いたように思えます。
けれど、自分と向き合うことには、難しさや怖さもあるはず。マツオカさんはどのように乗り越えてきたんだろうか。
そうお聞きすると、「自分と向き合う怖さって、本心に気付いてしまう怖さなんですよね」と返してくれたマツオカさん。「じぶんジカン」のユーザーさんのなかにも、怖くなってワークを進められない人がいるんだそう。
本心に気付いてしまうと、良くも悪くも生活が変わりますから。心の声を無視すれば、不満はあったとしても、それなりにいままでと同じようにやっていける。
でも、無視した声って、ずっとつきまとい続けるんですよ。無視した先に、良いことは待っていないことを私は知っています。だから、怖くても自分と向き合い続けているんでしょうね。
怖くても、自分と向き合う。その大切さを知っているから。
マツオカさんは怖さを乗り越えて、進むべき道を見据えられているように感じます。そうお伝えすると「いやいや、私なんて迷ってばかりですよ」と笑いながら答えてくれました。
でも、迷い悩むことを肯定できているかもしれません。就活していたときや会社員時代は、“こうあるべき”に寄せて生きていました。自分に鎧を着せて、悩むことは悪いことなんだって。でもいまは、裸の状態の自分で、心地好い生き方を考えられていますね。
マツオカさんも、答えを見つけたわけじゃない。
会社を辞めてから、ずっと試行錯誤しているんです。きっとこれからも悩み続けるんでしょうね。無理と出会うたびに、なにが嫌だったのかを考えて、違う道を選択する。
迷って、道を選択して、迷って、道を選択して。そのつど自分と向き合って、生きていくんだと思います。
迷う。悩む。それは、自らの進む道を見つけられていないことなんだ、と思っていました。
けれど、マツオカさんのお話を聞いたいまは、迷い悩んでもいいのかもしれないと考える自分がいます。
むしろ、迷い悩むからこそ、僕だけの心地好さを探し求めることができる。迷い悩み、自分と向き合うことで、一歩ずつ答えに近づくことができるんだ。
怖いこともある。逃げ出したくなることもある。
そのときは、無理しなくていい。怖がっている自分を、逃げたがっている心を見つめてみることから、はじめればいい。
そんな小さな勇気を、マツオカさんの人生から教えてもらった気がします。
マツオカミキ
「自分と向きあう時間をつくる」がコンセプトのブランド・じぶんジカン代表。1989年生まれ、東京の下町出身。
早稲田大学教育学部を卒業後、文房具メーカー勤務を経て、フリーランスのライター・編集者として独立。
その後現職にて、プロダクトの企画・製造・販売を行う。
趣味は夫婦キャンプ。著書『心をいやす2人キャンプ』芸術新聞社より。
Webサイト:https://jibunjikan.jp
Twitter:https://twitter.com/matsuo_mk
ソラミドについて
ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media
取材・執筆
撮影
東京都在住。徳島県出身。青空と海と自然が大好き。
地元の写真舘に勤務した後上京。
アシスタントを経て、現在人物撮影を中心にフリーランスで活動中。