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二人だから「らしさ」が生まれる 〜兄弟で魚の食文化をつなぐ〜|私の天職、見つけました。Vol.5 岡田昌一郎さん、和樹さん(有限会社岡富商店)

「私の天職、見つけました。」は「天職に就いている」と胸を張って自分らしく活躍する人にインタビューを行い、「天職とは何たるか」を探る連載企画。

今回は島根県大田市で干物の製造・販売をする有限会社岡富商店の代表取締役・岡田昌一郎さん、店長・岡田和樹さん兄弟にインタビューしました。

岡富商店の売りは鮮度の良い干物。早朝に漁へ出て、その日のうちに水揚げした「一日漁」の新鮮な魚を、あえて一夜干しした干物は、長らくギフト商品として親しまれています。なかでも島根県が国内1位2位の漁獲量を誇るアナゴは、岡富商店でも人気の商品です。

筆者が岡富商店の大アナゴの干物を食べたのは、今から5年前のこと。当時は、魚を食べる機会も減っており、人から振る舞ってもらった岡富商店の大アナゴの大きさと味にいたく感動したのでした。

お祖父様が創業し、お父様が守ってきた会社を、2022年にご兄弟で受け継いだ昌一郎さんと和樹さん。協力してあらゆる課題を乗り越えてきた今、二人は「魚の美味しさがよくわかる干物を、より多くの人に味わってもらいたい」との思いを強めています。

その思いが生まれた過程を辿っていくと、そこには仕事に対する情熱、魚食文化衰退への危機感、そして周囲へのリスペクトの気持ち、そして、お二人それぞれの「天職」をつくるヒントがありました。

岡富商店
昭和25年創業。まじめに魚に一直線。島根県大田市で干物の製造・販売をおこなう。
https://okatomi.jp


岡田昌一郎(おかだ・しょういちろう)
アパレル業界を経て、2014年に有限会社岡富商店入社。2022年、代表取締役就任。主に営業と管理を担当。


岡田和樹(おかだ・かずき)
ホテルマン、コンクリートの製造業を経て、2016年に有限会社岡富商店入社。2022年、課長就任。主に仕入れおよび製造を担当。

写真左:和樹さん / 写真右:昌一郎さん

それぞれ別の業界から魚の道へ

1950年に二人の祖父がリヤカーを引いて始めた岡富商店は、父の代でネット販売を始めた。これまで贈答品が中心だった岡富商店は、お中元やお歳暮といった繁忙期には発送作業が深夜まで及ぶこともめずらしくなかった。幼いころから日常的に家業を手伝っていた二人だったが、就職とともに別の業界へと進む。

岡田昌一郎(以下、昌一郎):僕は長男として、ゆくゆくは継ぐつもりでいました。子どものころから力になりたいと思っていましたし、事業承継に対する迷いはとくにありませんでした。

ただ、父と事業について改めて話したことはないですし、継いでほしいと言われた記憶もあまりないですね。むしろ自分の好きなことをやりなさいと。

いずれ継ぐつもりで進学先や就職先は商売の一連の流れを学べるところを選んで、一通りのことを学べたと感じられたころ、両親も歳で体調を崩しやすくなっていたので岡富商店へ転職しました。

岡田和樹(以下、和樹):僕は三男なので継ぐことは全然考えていませんでした。たまたま仕事中の怪我で休んでいたタイミングで、兄から人手が足りないので手伝って欲しいと誘われて。家族からも心配されていましたし、怪我をきっかけに転職も考え始めていたので、いい機会かなと入社を決めました。

昌一郎:在庫を安定させるためにも製造を管理してくれる人を募集していたんです。弟が入ってくれたおかげで、年間の仕入れ計画から製造までを一括して任せられました。

実は、干物の会社で仕入れからやっているところはめずらしいです。だいたいは鮮魚屋さんが仕入れて、干物の会社は製造と販売をおこなうかたちが一般的ですね。うちは仕入れからやっていて、一般的な干物の会社と比べてもやることが多いんです。

和樹:僕はもともと魚を見るのも、YouTubeで魚を捌く動画を観るのも好きで。今は仕入れのために魚市場へ行って、日々いろいろな魚を目にしますし、ほぼ毎朝配達へ行く地元のスーパーでは、担当者さんとの話から売り場のトレンドもわかるので、仕事がおもしろいですね。

岡富商店へ入社した当初、二人は自分たちの代で何か新しいことを始めなければという気負いも無かったようだ。しかしそうした意識は、あるコンサルタントとの出会いをきっかけに変化してゆく。

技を生かすための業務改善

2018年。昌一郎さんと和樹さんは県の紹介で佐々木富雄さんと出会った。
グリコ栄養食品株式会社で工場長を務めた経験をもつ佐々木さんは、製造業の中小企業を対象に業務改善の提案や支援をおこなう経営コンサルタント。
いままで当たり前に受け入れ、こなしてきた業務の数々を、なぜ改善するべきか実例を交えながら佐々木さんに説かれる日々で、二人は自分たちのやりかたがいかに固定概念にとらわれていたかを知った。

昌一郎:そのとき初めて、自分たちが時代遅れだったと痛感したんです。
たとえば僕は、ECサイトを含めた注文すべてを取りまとめていますが、これまで干物の梱包材は発泡スチロールが当たり前でした。しかし、佐々木さんから「なぜ発泡スチロールなのか?消費者は発泡スチロールで届けられても、捨てるときに困る」と言われて、ダンボールへ変更になりました。そんな視点は、僕らにはまずなかったなと思ったんです。

もちろん変更するにあたっては耐久性テストなどをおこなって、干物をお届けするには品質上も問題ないことを確かめました。

ダンボールに変更して、結果として梱包材の経費も何百万円という単位で削減できましたし、作業も簡易化できたんです。冷凍庫のスペースも空いて、そのぶんで別の在庫ができました。そうしたちょっとした改善でよくなることがたくさんありましたね。

和樹:僕らは佐々木さんに連れられて、いろいろな会社の工場見学に行きました。水産工場以外もさまざまな食品工場を見て、自分たちが「干物の工場ではこうするもの」と、固定観念のなかで仕事していたとわかりました。

昌一郎:うちには魚を見極めるプロ、魚を捌くプロ、経理処理のプロと、たくさんのプロがいるんです。これまではそうしたプロフェッショナルな技をもった人たちが、本来の業務のほかにもやらなければいけない仕事が山ほどありました。

たとえば伝票を書いたり、シールを貼ったり、仕分けをしたりといった付随作業ですね。見学した工場も参考にして、それらを見直してシステム化することによって、プロフェッショナルな技をより生かす環境に整えていきました。

和樹:業務を見直すと同時に機械化も進めました。ウロコを落とす機械、魚の重量を瞬時に見極めてグラムごとに仕分ける機械などの導入によって、個々人でスピードに差が出ていた作業も均一に進められるようになりました。

昌一郎:積極的に機械導入できたのは手先が器用な弟がいたからです。弟はコンクリートの製造業をやっていた経験から、機械いじりが得意。それから配達先でもお客さんの立場に立った接客を心がけてくれます。ホテルマン時代の経験も役立っていると思いますね。

佐々木さんの指導のもと、会社全体で奮起した業務改善は3〜4年にわたった。その甲斐あって、県内の業務改善のコンテストでは初出場にしてMVPを受賞。そのほかにもいくつかの賞を取るなど目覚ましい結果を残した。

昌一郎:徐々に現場にも業務改善の意義が伝わって作業効率が上がり、生産量も順調に伸びました。

和樹:これまでのやりかたをいい意味で疑うことが身についたおかげで、アナゴの捌きかたをアップデートできました。それまでウナギと同じように、まな板に目打ちで固定して捌いていたアナゴは、まな板の裏から上向きに打った釘にアナゴを刺す捌きかたに変えて、失敗がかなり減ったんです。それも普段よく見ているYouTubeからヒントを得ました。日常的な趣味を仕事に活かせたと感じましたね。

やってきた疫病と新しい挑戦

2020年。会社全体の士気が上がり業績も上向いた岡富商店を、ほどなくしてコロナウイルスが襲う。

岡富商店では店舗やオンラインストアで個人客向けに販売するほか、飲食店向けに下処理した魚を原料として卸してもいた。しかし、コロナ禍で飲食店の営業が制限され、それまで当たり前に来ていた飲食店からの注文はすべてストップ。工場には卸し先を失った大量の魚が残った。

昌一郎:え、これ一体どうするのって。二人で必死に考えました。当時「おうち時間」って言葉が流行りましたよね。そこで「おうち時間」を楽しむ干物セットの販売をオンラインストアで始めました。

工場にあった普段なら干物にしない魚も、干物として食べられるように加工し直して、利益は考えずお客さんに還元する気持ちで格安で提供したところ、とても人気が出たんです。

和樹:普段は残業もないですけど、コロナ禍もみんな工場に残ってもらって、出荷するのに必死で。世間とは全然違う動きをしていると実感しましたね。

昌一郎:最終的には業績も上がりましたし、「おうち時間」セットをきっかけとして新しいお客さんにも恵まれて、なんとかコロナを乗り切れたとき会社として自信がついて、もう大丈夫だと思えました。

コロナが明けて飲食店が動き出してからも、嬉しい悲鳴はつづいた。

和樹:新しく大口の受注を始めてみたら想定をはるかに超える注文がきて、買付から製造までとんでもないスケジュールになってしまって。それでも社員全員で頑張ってなんとか乗り切ったことも、自分にとっては大きなターニングポイントでした。対応力がつきました。

若者を中心に魚離れが進む昨今だが、コロナ禍で販売した「おうち時間」セットは若い層からも人気を得た。その後、初めて干物を購入したお客さんから「美味しかったです」と感想をもらい、話をよくよく聞いてその食べかたに衝撃を受けたという。

昌一郎:その人は干物を焼かずに生のまま食べていたんです。そのときに、そもそもゼロから干物の食べかたを伝えないと、干物の食文化はなくなってしまうかもしれないと危機感を感じました。家で干物を食べた経験がない人は、干物の食べかたにも馴染みがないわけですよね。

それで干物の焼きかた、食べかたをパンフレットに書いたり、動画にまとめたりして、干物を売るだけじゃなくて干物の食文化ごと伝え始めたら、徐々に若い層にも認知が広がっていきました。

和樹:若い層への認知が広がっている実感は僕もありますね。仕入れで魚市場へ行くと、スーパーには並ばない魚や一般にはあまり知られていない魚をたくさん目にします。僕はそういう魚について調べることも好きで、あまり知られていなくても食べると美味しい魚が多いこと、魚の多様さをみんなに知ってほしくて、毎日のようにInstagramで魚の情報を発信しています。その日仕入れた魚の投稿を見たお客さんから問い合わせが来る機会も増えました。

こうした発信が魚の食文化をのこすことにもつながるといいなと思います。

すべての人を魚で満足させること

難局を乗り越えて後継者として少しずつ自信をつけてきた昌一郎さんと和樹さん。2022年、二人は前社長のお父様から、昌一郎さんの社長就任と和樹さんの課長昇進を告げられる。そこに、焦りや不安はなかった。二人はお互いをどのような存在として見ているのだろうか。

和樹:兄は勉強熱心ですね。新しいことに挑戦するときは僕ら社員が受け入れやすいように、わかりやすく説明してくれます。説明の上手さは違う業界も経験して、魚業界を別の視点から見ることができるからだと思います。

昌一郎:弟は僕がどんなに無茶なことを言っても、まずは揉んでくれるし動いてくれる。助けられています。

和樹:僕は見た目の割に慎重に動くタイプ(笑)だけど、ダメだったら何がダメだったのか報告すればいい、まずはやってみようと考えられるようになってきました。

全体の方針は二人で相談して、実際の業務を分けている昌一郎さんと和樹さん。二人は当たる業務を棲み分けすることで兄弟での経営がうまくいっていると話す。手に手をとって歩む様子を、今は会長を務めるお父様も頼もしく見守っているかと思いきや、そこは衝突ばかりなのだとか。

昌一郎:いやもう、ケンカばっかりです(笑)。僕と父ではどうしても言い争いになってしまいますね。そういうときは弟が穏やかに取りなしてくれます。

ただ、衝突するからといって相談もせずに進めてしまうと、会社はバラバラになるので、ぶつかっても最終的に「勝手にやれや」と言われるまで話すようにしています。それで「勝手にやりました。こうなりました」と報告しています。

和樹:最近「勝手にやれや」は、父の口グセのようになってきました。納得いかないことはあるにしても、僕らに任せてくれること、父と母がここまで会社をつづけてきたことは素直にすごいと思います。

昌一郎:岡富商店の経営理念は「従業員とその家族、取引先、お客様、漁師さん、岡富商店に携わるすべての人を魚で満足させます」。それができていたのが両親なんだよな、と思うんです。うちはリピーター率がとても高くて、それは僕らが入社する前に、両親と従業員たちが培ってきた結果です。それはすごいことで、そのあたりが僕らはまだまだだと実感しています。

まだまだと思う理由を尋ねると「一緒に飲みに行けば従業員からグチが出るから」と話すが、直接伝えてもらえるのは社内の風通しの良さ、そして二人への期待の表れではないだろうか。

商品パッケージをリニューアルする話が出たとき、自宅にあるお菓子の空き箱を持ってきて「こんなパッケージにしてはどうか」と自らアイデアを出した従業員がいた。会社をもっと良くするために自分も意見を出そうと思えるのは、意見が受け入れられる土壌がここにはあると、きっとその人が信じているからだ。

グチをこぼされながらもお互いを頼りにして、いつかは昌一郎さんと和樹さんが岡富商店の経営理念を体現していくのだろう。

「好き」と「尊重」。自分の弱みを理解しているからこそできる“天職” 

和樹:僕は自分が好きなことを活かせるのが天職なのかなと思います。魚を見るのが好きで、YouTubeでもよく魚を捌く動画を見ていました。今も魚を仕入れるのが楽しいし、加工して商品にする様子を見るのも楽しいです。

また、店舗ではお客さんから「美味しかったよ」と直接言ってもらえる喜びがあります。お客さんから動画で見た魚をリクエストされる機会もあって、そういったやりとりすべてがすごく楽しいです。

昌一郎:天職って、特別な技能と結びついていると思いがちですよね。僕らの場合は特別な技能がない状態でこの会社に入りました。僕は初めて魚市場で競りを見て、そのスピードと技術の確かさにこれはもう追いつけないと悟ったんです。今から同じことをやっても抜けないし、追いつけもしない。それなら違うところで勝負しようと。

幸い岡富商店には天職と呼べるような技能をもったプロがたくさんいます。だから、その人たちがより力を発揮できるためのサポートに徹しようと決めました。
違う業界を経験して魚業界が別の視点から見えるからこそ、プロにしかできない仕事に集中できる環境づくりを徹底してつくる。それが僕にとっての天職かもしれません。

少しずつ自信をつけてきた二人だが、まだまだ課題は残る。

大田市の漁獲量は年々減少。それまで当たり前に漁れていた魚が漁れない状況を悲観しないわけではないが、それでも「漁れないからしかたない、ではない」と自分たちを鼓舞して、日々刻々と変化する海と向き合っている。

近年、大田市が特産品としてPRするアナゴは、もともと地元ではあまり食べない魚だったそうだ。しかし、「地元ではアナゴを食べないから」と目をつけないままだったら、こうして大田の味として広がることもなかっただろう。

これまでの慣習にとらわれて、商品にならないと思い込んでいるものはないか。

今、二人はこれまで廃棄していたアナゴの骨と、骨まわりについた肉を活かした新しい商品を考案中だ。さらに、骨が多くてすり身としてしか使われてこなかったユメカサゴやトビウオも、干物としてテスト販売を試みている。

昌一郎:とにかく大事なのは失敗を重ねることです。僕らは成功よりも失敗のほうが多かった。だけど、失敗を重ねてもやりつづけるうちに味方が増えました。失敗を恐れて何もしないより断然いいと、今も自分を奮い立たせています。

和樹:僕もそう思います。これから何かに挑戦する人は、やりたいと思ったら制限をかけずにどんどんやればいいと思います。

実は今回、兄弟での取材を提案してくれたのは、兄・昌一郎さんでした。
「単独ではなく弟と一緒に取材を受けることはできますか?」と電話を受けてその理由を尋ねると、「それが今の岡富商店らしさだと思うので」と話してくれた昌一郎さん。

実際にお話を聞いて、強みがそれぞれ違う二人が横並びとなっているからこその良さを感じることができました。

自分に足りないものを自覚して、技能をもつ人たちの働く環境を整える昌一郎さんと、自分の「好き」を大切にしながら、周りのやりたいことの実現のために動く和樹さん。

懐かしい魚の味を思い出して訪れた海辺のまちで、ともに働く人たちを尊重しながら、天職として自分の仕事を培っている最中の二人と出会いました。

ソラミドmadoについて

ソラミドmado

ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

取材・執筆

岸本麻衣

インタビュアー、現代アートのコーディネーター、書籍の編集補助といくつかのわらじを履いて歩くフリーランス。仕事のかたわら、働く人を紹介するフリーペーパー「あのつく人」を刊行中。あらゆる「働く」を見つめつづけています。
https://x.com/89mo9

企画・撮影

飯塚麻美
フォトグラファー / ディレクター

東京と岩手を拠点にフリーランスで活動。1996年生まれ、神奈川県出身。旅・暮らし・人物撮影を得意分野とする。2022年よりスカイベイビーズに参加。ソラミドmado編集部では企画編集メンバー。
https://asamiiizuka.com/

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