自分に合う形に仕事を作り変えていく│私の天職、見つけました。Vol.2小野田陽一さん(フォトグラファー)
「天職に就いている」と胸を張って自分らしく活躍する人にインタビューを行い、「天職とは何たるか」を探る連載企画『私の天職、見つけました。』。
第2回目となる今回は、フォトグラファーとして活動する小野田陽一さんにインタビューをしました。
小野田さんは数多くのクライアントの広告写真や商品写真の企画、撮影を担当しており、さまざまなフォトコンテストで受賞経験も持つ写真のプロフェッショナルです。
また、2021年末に神奈川県三浦市にギャラリー&スタジオ 「gallery nagu」をオープンし、活動の幅を広げていらっしゃいます。
小野田さんを取材したいと思ったのは、編集部メンバーからの一言がきっかけでした。「私の知り合いのフォトグラファーに、おそらく”天職”だと思って活動している人がいる」。
この連載企画を立ち上げるために打ち合わせをしていたところ、そう紹介があり、小野田さんに取材の打診をすることにしたのでした。
取材当日、はじめに企画概要をお伝えしたところ「天職だと思って、フォトグラファーになったわけじゃないんですけどね」と、小野田さん。意外な言葉に驚きつつ、取材をスタートすることに。
小野田さんがフォトグラファーという職業に就いた理由は何か、フォトグラファーとして働いてみてどのように感じているのか。これまでのキャリアを振り返りながら、「天職とは何たるか」を一緒に考えていただきました。
消去法で、フォトグラファーの道へ
――天職だと思ってフォトグラファーになったわけじゃない、とおっしゃっていましたが、大学を卒業してからずっとフォトグラファーとして活動されてきていますよね。そもそもなぜこの職に就いたのか、伺いたいです。
フォトグラファーという職業を選んだのは、消去法でした。やりたくないことがたくさんあって、それらを除いていったら、残ったのがフォトグラファーだったという感じです。
――消去法だった……どんなことをやりたくないと思っていたんですか?
もともと大学では観光学を専攻していて、旅行業界で働きたいなと思っていたんです。でも、会社員になって満員電車で通勤するのは絶対嫌だった。
大学には片道2時間ぐらい電車で通っていたんですけど、社会人になっても同じように生活することは想像できなかったんです。だから周りが就職活動を始めても、その波に乗ることはできず、違う道を模索していました。
――なぜ残ったのがフォトグラファーだったのでしょうか?
大学では写真部に所属していて、写真を撮ることが好きだったんです。それに時代的にも、フォトグラファーがメディアによく取り上げられていた頃で、その姿に憧れていた部分もあったのだと思います。
いろいろとやりたくないことはあるけれど、フォトグラファーだったらできるかもしれない。そのように、藁にもすがるような気持ちでした。
――とはいえ、すぐにフォトグラファーになれるわけではないですよね。どのような下積み時代を過ごしたんですか?
そもそも写真部には所属していましたが、それまで写真について本格的に学んだことはありませんでした。だから、大学4年生の春から大学とは別に写真の学校に通い始めたんです。
夜間で通えて1年間で卒業でき、フォトスタジオとつながりのある学校だったので、今後の足掛かりになるかなと思っていました。でも学校にいる人たちと馬が合わなくて、2、3ヶ月で辞めてしまったんです。
――進路が決まらないままに、学校を辞めてしまった。
潮目が変わったのは、フォトグラファーの泊昭雄さんのアートマガジン『hinism』を読んでからです。『hinism』は「日々に見る、日常に生きる、日本に住む、そして日本に宿る」をコンセプトに作られていて、日常に潜む日本の美を感じさせるような写真に、胸を打たれたんです。
それで大学4年生の3月に、泊さんの写真展に足を運びました。来場していた方のほとんどが業界人で、大学生が来ていたのが珍しかったからだと思うのですが、ご本人と色々とお話しできて。
泊さんに「きみは写真家になりたいの?」と尋ねられ、「はい!そのために泊さんのもとでアシスタントとして働きたいです!」と思い切って伝えてみました。そうしたら「じゃあ、まずはここのスタジオで働いてみて」と紹介してもらえて。それで進路が決まったんです。
――運命的な出会いですね!
ただ想像以上にアシスタントの仕事は大変でした。単純に肉体労働も多かったですし、できないことも多くて、自己嫌悪に陥ることもありましたね。
3年ぐらい2つのフォトスタジオで経験を積んだ後、一度泊さんのもとへ伺ったんですが、全然通用しなくて。1年ぐらい出版社でさらに経験を積んで、やっと正式に泊さんのもとで働けるようになりました。
その翌年には独立したので、アシスタント期間は計5年ほどになります。その時期は本当に大変でしたね。
苦悶の日々を乗り越え、独立
――アシスタントを辞めたいなと思ったことはありませんでしたか?
いくらでも辞める理由はあったんですけど、意地でもフォトグラファーになるんだと食いついていました。追い込まれていたんですよね。他に道がない、と思っていた。
親にお金を借りて大学や夜間学校に通わせてもらった。それで「フォトグラファーにはなれませんでした」とは言えないなって。
それに自分自身に対しても、ここで辞めてしまったら、この先どんなことに対しても中途半端にしか関われなくなっちゃうんじゃないかなという不安もありました。だから続けるしかなかったんです。
――崖っぷちだったわけですね。
そうですね。当時は、向き不向きなんて考える余裕がなかったかもしれません。目の前のことに、がむしゃらに取り組むしかなかったというか……。
でも今となっては、そのような下積み時代があってよかったなと思っています。独立してからも大変なことはたくさんありますけど、「アシスタント時代に比べれば、全然大したことないな」と受け止めることができているので。
もう一回同じことをやれ、と言われたら絶対できません。でも、必要な時間であったことは確かです。
――そんな苦しい時期を乗り越えて、念願だった独立を果たされるわけですよね。喜びも大きかったのでは?
嬉しかったですし、めちゃくちゃ自由だという感じがしましたね。独立して最初にやったことは、2、3ヶ月間の北欧旅行でした。
もともと一人旅が好きでしたし、師匠の知り合いのガラス作家さんがスウェーデンにいたので、良い機会だと思って会いに行ったんです。その後、デンマークやノルウェー、イギリス、フランスにも足を伸ばし、それぞれの国に1週間ぐらい滞在していました。
――仕事を探さなくちゃみたいな焦りはありませんでしたか?
そのうち仕事の依頼は来るんじゃないかな、という根拠のない自信みたいなものがあって、焦りはありませんでしたね。知らない世界が新鮮で、旅行中に写真をたくさん撮影していたので、帰国したらそれをポートフォリオにして営業していこうと思っていました。
実際、帰国後にポートフォリオを公開してからは、雑誌の写真とか、広告の写真とかの仕事が徐々に増えていって、生活はできていたんです。
二回の北欧旅行がもたらしたもの
――じゃあ、独立してからは順調に仕事ができていたんですね。
いや、順調とは言えなかったと思います。自分が納得できるような仕事ができている実感がなかったんです。撮りたい写真が撮れていないというか、自分が大切にしたい世界観が表現できていないというか、このままだとあまり良くないなと悶々としていました。
――生活できるだけの仕事はあるけれど、納得感がなかった。
そうですね。ぼくはその場にある空気感を被写体に落とし込むことを大事にしていて。
一見何でもないものなんだけど、心に何か残るような、心の琴線に触れるような。ありふれたものが写っているんだけど、なぜか素晴らしいものに思えるような。そんな写真が撮りたいなと思っているんです。
独立してからしばらくは、依頼された写真を依頼されたように撮るみたいな感じで、自分が大事にしたいことを大事にできていなかった。
それで何がいけないんだろうと考えていたときに、自分がやりたい仕事を周りに示せていないからなんじゃないかなという結論に行き着いて。独立して5年が経った頃に、もう一度、北欧旅行へ行くことにしたんです。
――独立した時と同じ北欧へ旅行に。
1回目に北欧へ行ったとき、景色というか、空気感に、感動したんですよ。12月ぐらいで、めちゃくちゃ寒かったんですけど、その分空気がものすごく澄んでいたんです。その空気に包まれている街もとても綺麗で、忘れられなくて。
それであの景色をまた撮って、写真集を作ろうと思ったんです。自分が納得した作品にできるだろうという期待もありました。
最終的には2回の北欧旅行と、仕事で海外に行ったときの写真をまとめて『SEE』という写真集を作りました。
――写真集を作ったことでどのような変化がありましたか?
依頼される仕事が変わっていきましたね。例えば写真集を買ってくださった方から、「写真集のような色味や空気感の写真を撮ってほしい」と言われるようになりました。
あと同業の方からは「小野田さんと一緒に作品を作りたい」と声をかけてもらえ、写真集の数も増えていきました。
――ご自身の世界観を表現できるような仕事が増えていったんですね。
それにディレクションの仕事依頼もくるようになったんです。それまでは、基本的にはアートディレクターから依頼される写真を撮っていたのですが、どういう写真を撮ればクライアントの世界観が表現できるのかというところから関わることが増えていきました。
ディレクションの仕事をしてみて感じたのは、こういった仕事のやり方のほうが自分には合っているなということ。ぼくは写真を撮る才能があるかと言われれば、そこまでの自信はあまりなくて。
ただ自分の世界観やクライアントの世界観を写真という手段を使って表現することは好きだったし、やってみたらそれが得意かもしれないと思えた。だからディレクションをはじめ、写真を撮ることを入り口にして、さまざまなアウトプットをできるようにしていこうと活動の幅を広げていきました。
――たとえば、どのようなことを?
2021年の末にギャラリー&スタジオ 「gallery nagu」をオープンしました。それまでに写真の仕事を通じて知り合った作家さんや、同業のフォトグラファー仲間がたくさんいたので、そういう人たちが集えるような場所があればいいなと思っていて。
作品を展示できたり、オリジナルグッズを販売できたり、さらには撮影スタジオとしても使える場として「gallery nagu」を作りました。
あと写真の価値はこれからもどんどん下がっていくだろうなという危機感もあったんです。いまはスマホ一台あれば、誰もが綺麗な写真を撮れる時代です。今後ますます技術が発展してくことを考えると、ただ写真を撮るだけでは、仕事として成り立たせていくことが厳しくなると思っていて。
自分の世界観を色濃く出して、オリジナリティのある写真を撮ることももちろんやっていきたいのですが、それ以外の仕事もやっていく必要があるかもしれない。そんな考えのもとはじめたのがディレクションの仕事だったんですけど、自分自身で場を作ってみるのも面白いかなと思ったんです。
場があると、やっぱり色々なつながりができるんですよね。新しく出会う人も新しい仕事も増えていったので、場が持つ力は非常に大きいものだなと実感しています。
“天職”に固執し過ぎないでいい
――小野田さんは、フォトグラファーという肩書きにこだわってはいないように思いました。
そうかもしれないですね。もともと消去法でなったということもありますし、いまとなってはフォトグラファーでもあり、ディレクターでもあり、ギャラリーオーナーでもあるので、ひとつの肩書きにはおさまらないぐらい活動の幅は広がってきています。
また、これから法人化をして、「gallery nagu」とは別に横浜にお店を開こうかなとも思っています。自分がディレクション、撮影を担当した商品や自分がおすすめしたいフォトグラファーさんの写真集を置けるような場を新たに作る予定です。
そうすれば、自分も含めてですけど、フォトグラファーの新しい可能性が開けていくんじゃないかという期待もあって。作品を見てもらえる機会が増えるだろうし、その作品を気に入った人が仕事を依頼してくれるかもしれない。
そういう写真を基盤にした事業を、これからもどんどんやっていきたいなと思います。
――はじめは消去法だったかもしれませんが、いまとなってはフォトグラファーが天職だと言えるんじゃないですか?
うーん、フォトグラファーが天職というよりかは、フォトグラファーを天職と言えるように作り変えていると言えるかもしれません。
一般的には天職というと、自分に合った職業のことを指すと思いますが、ぼくはフォトグラファーという職業にも合う部分と、合わない部分があった。色々と試行錯誤して、最近はようやくフォトグラファーが自分に合う仕事になってきて、胸張っていい仕事ができたと言えるようになりました。
――自分に合う仕事を見つけたというよりも、自分に合う形に仕事を作り変えてきた。
だからいわゆる天職というものに固執し過ぎなくてもいいのかなと思います。自分の天職はなんだろうといくら探しても見つからないこともあるだろうし、天職だと思っていても上手くいかないこともきっとある。
そういうときに、天職にこだわり過ぎていると、視野が狭まってしまうと思います。ぼくは写真を撮るという技術を縦に深めていきつつ、ディレクションや場を作るなど横や斜めに広げることも考え出したら、徐々にやりたいことができるようになっていきました。
――確かに、自分の天職はなんだろうと考え過ぎると、視野が狭まって、行き詰まってしまうことがあります。
何か行き詰まっているなと感じているのであれば、それがターニングポイントなのかもしれません。だから、一度立ち止まってみてもいいと思います。
自分とじっくり向き合う時間を作ってみるとか、やりたいと思っていたけどできていなかったことをやってみるとか。ぼくの場合は、写真展や北欧旅行に行くことでしたが、立ち止まってみると、次につながるヒントがきっと見つかるはずです。
あとは、そのヒントをもとに、一歩踏み出してみる。そうやって少しずつ自分に合う形に仕事を作り変えていけば、いつか天職と言えるようになるのかなと思います。
ぼくもまだ道半ばではありますけど……。
「理想的な働き方をされていますね」
小野田さんのお話を聴きながら、自分の口からふいにそんな言葉がこぼれました。自分で道を切り開いていく小野田さんの姿がとてもかっこよく思え、憧れを抱いたのかもしれません。
まだ道半ばだ、と小野田さんはおっしゃっていましたが、ぼくの目には迷いながらでも天職を全うされているように映りました。
ぼく自身もいまの仕事が天職なのかどうか、自信がありません。けれど、小野田さんが言うように自分に合う形に仕事を作り変えていけばいいのかもしれない、と光明が差した気がしています。
小野田さんを見習って、少しずつでもいいから、自分なりの天職を探究していこうと思いました。
『私の天職、見つけました。』シリーズでは、今後も自分の仕事に誇りを持って働く人たちの姿を紹介し、天職とは何かを探っていきたいと思います。次回もお楽しみに。
小野田陽一
フォトグラファー/ディレクター
1982年、神奈川県生まれ。写真スタジオ、出版社を経て、フォトグラファーの泊昭雄氏に師事。現在は独立し、フォトグラファーとしての活動にとどまらず、ディレクターとしても活動している。2021年末、神奈川県三浦市にギャラリー&スタジオ 「gallery nagu」をオープン。
https://yoichionoda.com/
ソラミドmadoについて
ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media
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撮影
東京と岩手を拠点にフリーランスで活動。1996年生まれ、神奈川県出身。旅・暮らし・人物撮影を得意分野とする。2022年よりスカイベイビーズに参加。ソラミドmado編集部では企画編集メンバー。
https://asamiiizuka.com/