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“居心地のよさ”は、脆い。だから、生活を日々営んでゆく  | うつわ屋・草々店主 高根恭子

雲ひとつない、晴れ渡ったとある日。空の青さとは裏腹に、僕の心は灰色だった。

なにかがあったわけじゃない。なにかがあったなら、むしろよかった。憂鬱になる出来事がないのに、なんだか窮屈な気がする。なんだか居心地が悪い。

それは働き方なのか、暮らし方なのか、はたまた全てをひっくるめた人生なのか……。うっすらとした違和感はたしかにあるのに、この手をすり抜けていく。

週に1回くらい、こんな日がある。そのたびに思う。“居心地のよさ”ってなんなのだろう、と。

その問いを抱えて、数ヶ月。ぼーっと眺めていたnoteで、こんな文章を見つけた。

行き着いたのは、『居心地のいい場所をつくりたい』ということだった。

引用:奈良で、うつわ屋さんをはじめます。

たまたまオススメに出てきた、“居心地のよさ”を目指した場所。前々から素敵だなと思っていた、高根恭子さんが営む「草々(そうそう)」といううつわ屋さんだった。

恭子さんは、東京で会社員として働いていたけれど、奈良に移住して、その後うつわ屋さんを開いた方。現在は、ライターとして文章を書きながら、「草々」を営んでいる。

そんな恭子さんの文章を読んでいると、不思議と居心地がいい。そして、「居心地のいい場所をつくりたい」という。

偶然ではない巡り合わせを感じた僕は、草々に伺うべく、奈良県は生駒市に向かった。

いまを「居心地がいい」と、自信を持っては言えない。

「よかったらどうぞ」と出してくれたお茶と栗饅頭をいただきながら、今回伺った背景をお伝えしていたときだった。

“居心地のよさ”っていうテーマをいただいてから、ずっと考えていたんです。本当に居心地のいい場所に辿り着くのは、不可能なんじゃないかなぁって。

居心地のよさは、手に入らないもの……? でも、この草々の空間はとても居心地がいい。初めて訪れた僕でさえ、そう感じる。だったら、草々をひらき、日々過ごしている恭子さんにとって、ここは“本当に居心地のいい場所”なのでは……。

もちろん、近づいているかなぁとは思います。住む場所も変えたし、働き方も変えた。人間関係も新しくなって、自分が素直でいられる人や場所が、たくさん増えました。それは、紛れもない“居心地のよさ”だと思います。

あたたかい笑顔で、恭子さんは話してくれた。

自分に素直になるって難しいですよね。そもそも“自分”がわからないし。だから、会社や社会に合わせないと、自尊心を保っていられない。そうやって、ますますわからなくなってくるじゃないですか。私もそうでした。

でも、困難にぶつかって初めて「あれ、この自分は違うのかも……」って気付けるんですよね。何度も何度もぶつかって、だんだんと輪郭が浮かび上がってくるんだと思います。

わかるなぁ……。どうしても越えられない困難が立ちはだかったことで、自分と向き合わざるを得なくなる感覚。自分に素直になるためには、避けられない過程なのかも。

ずっと人と比べてばかりだったし、ただただ華やかな仕事を求めていたこともありました。その状態から自分を探し続けて、いまがあるんだと思います。だから、10年前には想像もしていなかった場所にいますね。

そうやって、何度も困難にぶつかりながら、“居心地のよさ”に辿り着いた……といった物語が頭に浮かぶ。でも、恭子さんの「本当に居心地のいい場所に辿り着くのは、不可能なんじゃないかなぁ」という言葉を思い出す。

いまを居心地がいいと、自信を持っては言えないんです。満たされているはずではあるのに。なんでなんでしょうね。

“居心地のよさ”を恭子さんと巡る、2時間ほどの旅が始まった。

自分の弱さを突き付けられた

困難にぶつかってきたと語ってくれた恭子さん。小さい頃から、悩んだり迷ったりする性格だったのだろうか?

全然そんなことなかったんです。いつも家族や友達が周りに居てくれていたから、悩んでも迷っても、すぐに助けられていた。いま思えば、判断を人に委ねていたということだったのかもしれません。

もちろん、人並みにしんどい経験はありましたけど、自分の弱さを自分で解決する力も機会もなかったように思います。

家族や友達。自分を助けてくれる、あたたかい人達に囲まれてきたからこそ、弱みや至らなさ、自身のドロドロとした部分と向き合う機会はなかった。

自立っていう面からすると、良くなかったのかもしれないです。人に囲まれて輪の中心にいることで、心の埋め合わせをしていたというか。学生時代も、わーっと飲んで「あぁ、楽しかった!スッキリ!」みたいな時間ばかりで、ひとりで過ごす経験はほとんどなかったですね。

そうやって、30歳になるまで自分と対峙することなく、生きてきたんだと思います。

満たされなさは、なかった。けれど、いつまでも自分自身がわからないままだった。その事実を突き付けられたのは、30代前半のこと。

それまでがむしゃらに仕事をしてきたんですが、振り返ると ”ひとり”だと感じたんです。同世代の友だちはみんな家族を持ちはじめたり、仕事でもプライベートでも生きがいのようなことを見つけている。ちょうど一人暮らしをはじめたタイミングでもあったので、急に寂しい気持ちにおそわれて。

そこから、「あれ、私ってこれからひとりで生きていくのかも」って感じるようになってしまったんです。

友達もみんな、家庭や生きがいを持っている。ひとりきりでいるのは自分だけ。そう感じると、世界の見え方も変わってくる。

元々は、道行く人を気にしたりはしていなかった。しかし、次第に「みんな、幸せそうでいいな……」と羨むようになった。

そこで初めて気付いたんです。いままで、私は他人と比べて優位に立つことで、自分を保っていたんだなって。それって、実はすごく寂しいことなんじゃないかって。

ひとりの時間は、次の道へ繋がっている。

”自分”を突き付けられたのは、初めてのことだった。

自分と向き合うのは、しんどかったですね。でも、いままでと同じように家族や友達に頼っていては変われないなと思ったんです。これは、ちゃんと”ひとり”になって、これからのことを考えないといけないタイミングなのかなぁって。

部屋にこもって考え込んだり、本を読んだり。働きながらではあったけれど、慣れ親しんだ仲間とも意識的に距離を置き、ひたすらに自分という沼に潜り込んでいく。

潜水は、1年間にも及んだ。

そこで見つけたのは、「自分で動かないとはじまらない!」という気付きだった。

その間、色々な本を読んだのですが、一番よく読んだのは『生きがい』について書かれている哲学的な本でした。ある本には、『生きがいとは、自分の使命を全うすること』って書いてあって。読んだ瞬間は「なるほどぉ」って思うんですけど、ふと考えると、「使命ってなに……?」ってよくわからなくなるんですよ。

いま思えば、すべて書かれているようで、大事なことはぼやかしてある本ばかり。いくら読んでも、そこに答えは載っていない。やっぱり、自分の頭で考えて行動しないと、道は開かれないんだなとだんだん気づいてきたんです。

悩み迷うことで、答えが見つかるわけじゃない。でも、悩み迷った期間があるからこそ、自分だけの答えを見つけに歩き出すことができるんだろうな。

自分を突き付けられる。そんな経験は避けたくなるかもしれないけど、その先で見つかる自分自身があるのだと思う。

真剣に、生活するということ。

自分を見つけるために歩き出した、外の世界への道。そこで出会ったのが、うつわだった。

元々料理が好きで、作家物のうつわを使うことに憧れていたんですけど、高価なイメージもあったからか、なかなかハードルが高くて。近所に気になるうつわ屋さんがあったのに、ずっと伺えず……。

でも、気になるなら行ってみようと、思い切って扉を開けてみたのが、東京の千歳船橋にあった「器MOTO」というお店でした。70歳の店主がひとりで切り盛りするお店で、心地よい空気が流れるとてもいいお店だったんです。とにかく一つひとつのうつわが気持ちよさそうに並んでいて。

そこで店主とお喋りしながらお気に入りのうつわを選んだり、純粋にものづくりに励む陶芸家さんと出会ったりする中で、私の世界が少しずつ広がっていきました。

こんな世界があるんだな。こんな価値観があるんだな。そんな驚きは、次第に「私もこういう生き方をしたいな」に変わっていく。

当時驚いたというエピソードを、恭子さんが話してくれた。

それは東京で、とある陶芸家さんの展示のお手伝いをしたときのこと。

その陶芸家さんは三重県伊賀市から来た人だったんですけど、伊賀からお花をジップロックに入れて持ってきて。その花を、オープン前に自分がつくった花器に生けていたんです。

何度も何度も近くで見たり遠くから見たりと、あらゆる角度を気にしていて。「どう思う?」って聞かれたんですけど、私には違いがわからないんです。

今まであんなに真剣に花を生けたことはなかったし、自分が触れたことのない価値観がこの人にはあるなって。

お客さんも、みんな真剣でした。一見同じうつわをズラッと並べて、どれにしようか悩んでいるんです。よくよく見ると、手作りだから細かな違いがあるんですよ。

そのとき思ったのは、陶芸家さんもお客さんもきっと、それぞれに自分の価値観を持っているんだろうなぁと。

そういう人たちと出会う中で、私も自分が本当にいいなと感じるものを選んだり、向き合ったりして生きていきたいなって、思うようになったんです。

真剣さ。きっと、生活、ひいては人生に正面から向き合っているからこそ、滲み出るものなんだろうな。惰性で選ぶのではなく、とことん考え抜いて、納得したものを選びとる。

陶芸家さんと話していると、心地いいリズムの中で陶芸に向き合っている人が多いなぁと感じるんです。生活と仕事が地続きで、お互いを行き来しながら暮らしている。だからこそ、生活に直結するものを作れるのかなぁとも思うんです。使っていると分かるんですが、本当にその人の”生き方”がうつわに滲み出ているんですよね。

うつわを通して、陶芸家さんや、うつわに魅せられた人の価値観を知っていく。その出会いが、恭子さんを想像もしなかった場所に連れて行くことになる。

想いを起点に、選ぶ人生へ。

陶芸家さんのお人柄を知り、ものづくりへの想いやこだわりを聞けば聞くほどに、うつわへの思い入れが増していきました。ただ、多くの陶芸家さんが、職人気質ということもあり自分の想いを伝えることが苦手な方が多くて。

せっかくこんなに素敵なうつわをつくっているのに……。そういうお話を聞いていたら、私が陶芸家さんの代わりに想いを伝えていきたい、って思ったんです。書くことを始めたのは、そこからですね。

いざ書き始めると、その行為によって、自分自身とより深く向き合うことになった。

書くって、鏡みたいなもので。常に自問自答しながら書くんですよ。たとえば「丸皿が好き!」っていう文章を書くにしても、「なにが好きなんだろう? 本当に好きなのかな?」って。

インタビューのときも同じで、陶芸家さんが話した内容のなかで、自分はどこに心が動いて、どこを切り取って文章にしていくのかと向き合う。

それを続けていたら、いつのまにか人の言葉を借りなくなって、自分の気持ちに素直になれるようになったんです。

うつわの世界に足を踏み入れ、「私、こうやって生きていきたいのかも……?」を見つけ始めた恭子さん。書くことによって、想いの輪郭を掴んでいく。

”選ぶ” 行為も変わりました。前までは、流行っているから、安いから、誰かが使っているから、という理由で選ぶことが多かったんですが、だんだんと好きなものや価値観がハッキリしてきて。

うつわから始まって、食べるものも身につけるものも家具も、「本当にこれが欲しい?」と自分と対話しながら一つひとつを真剣に選ぶようになったんです。そうして自分の意思で選んだものに囲まれていったら、ざわざわしていた心も落ち着くようになりました。

「そういえば、こないだお会いした陶芸家さんが、こんなお話をしていたんですよ」と、恭子さんが思い出したように付け加えてくれた。

この前、ある陶芸家さんが、「何かを選ぶって一瞬の行為だけど、ものすごく大切なことをしている気がするんですよ」ってお話ししていて、大きく頷いてしまいました。

コーヒーを飲むマグカップを毎朝選ぶことも、小さなことですけど、とても主体的なことじゃないですか。その積み重ねが、日々の楽しみをつくる土壌をつくっていくんじゃないかなぁって。よく言う”豊かさ”って、そういうところから生まれていくのかもしれませんね。

直感から見つけた在りたい姿

自分の価値観を掴み始めた恭子さん。大きな変化は、直感によってもたらされた。

当時よく通っていた器MOTOさんで、ある日、いつものように店主とお茶を飲んでゆっくりしているときに、ふと「違う場所で暮らしたい」と思ったんです。

この時の状況は、いまだに上手く説明できないんですけど、心地よい風が吹いて、おだやかな空気感のなかに身を置いて暮らしている自分が見えたような気がして。それですぐに次の仕事を探して、転職することを決めたんですよ。これはもう、直感ですね。

論理じゃなくて、感覚。でも、その感覚は、いままで自分の価値観と向き合ってきたからこそ、生まれたものなのだろう。

転職を決めてからは、早かった。奈良県の洋服屋さんと出会い、雰囲気に惹かれ、選考を受けてみることに。最初の面接をオンラインでしたとき、画面から感じる雰囲気が、器MOTOさんで見た情景と近いような気がした。

奈良への移住を決めるのに、時間はかからなかった。

奈良に来てみたら、生活と向き合っている人が多いなと感じました。生活することを軸に、仕事をしながら、趣味の時間も大事にしている。それまでの私は、生活と仕事を切り離して考えていたので、すごく新鮮でした。

やっぱり、仕事は生活のなかにあるものなんですよね。生活がないと、仕事はできない。自分がいい状態じゃないと、いい文章も書けないですし。

もっと生活と向き合いたい。その想いは、働き方も変えることになった。移住してから約2年後に洋服屋さんを卒業し、フリーのライターとして独立。

奈良の地で、自分の在りたい姿に近づいていく。そして、思った。自分でお店をやりたいと。

大事にされるから、嘘がなくなる。

お店をやりたいなんて、思ったこともなかった。急に、ぽっと浮かんだ想い。

奈良に来てからずっと、器MOTOさんのような場所が欲しかったんです。私はあのお店が大好きで、ほぼ毎週通っていたんですが、店主はいつも、「来てくださって、本当にありがとうございます」と深々と頭をさげてお茶を出してくれるんです。

うつわをゆっくり選んでお茶を飲みながらお喋りをする。帰るときには心が軽くなったような気がして、ほくほくとご褒美を持ち帰るような、そんな体験が器MOTOさんにはありました。

そんな場所を、奈良に来てからもずっと求めていた。だから自然と、お店をやりたいと思ったのかもしれません。

そうして生まれた、草々。かっこつけたお店ではなく、生活のなかにあるようなお店にしたかった。

草々では、私が器MOTOさんでしてもらったようにお客さんにお茶を出して、ゆっくりお話をしているんです。なかには、到着した直後はおそらく緊張して顔がこわばっていたけれど、帰るときにはホッとした表情に変わる方もいらっしゃって。

そういう場所があるって、いいなぁと思うんです。過去の私が、器MOTOさんでほぐしてもらったように、いい時間を過ごせるような場所を作っていきたいなと思います。

ひとりの人間として、自分自身として扱ってくれる。そんな場所は意外と少ない。顔なじみのマスターがいる喫茶店は、そんなに多くはない。だからこそ、草々はたくさんの人に愛されているのかもしれない。

そこにあるのは、恭子さんの純粋な想い。

もう人と比べないで、自分が大切にしたいことを守り通せるお店でありたいんです。純粋に陶芸に向き合う人や、うつわが好きな人たちの想いを繋いでいければいいなぁと。そういう人たちが行き交うことで、居心地のいい場所に近づいていくんじゃないかなと思います。

純粋、という言葉。草々で感じる“居心地のよさ”は、その純粋さ、つまりは恭子さんの想いが込められているからこそ、生まれているものなのかも。

お店をはじめてよかったなと思うのは、この場所では背伸びしなくてもいいということなんです。自然体に近い自分として話ができるんですよ。

「あ、冒頭に話した居心地がいいって自信を持って言えない理由、わかった気がします」と恭子さん。

いまの自分のままで話ができるって言いましたけど、その自分も変わるじゃないですか。だから、“居心地のよさ”も変わり続けるものだと思うんです。

だったら、いまが居心地いいからといって、足を止めてしまうと、いつの日か崩れてしまう。

しかも、居心地いいなぁって感覚は、自分だけでは作れなくて、ここに来てくれる人と私との関係性で生まれるものだと思うんです。それって、脆くて崩れやすいものでもありますよね。だからこそ、なるべく守り続けたいと思っているんです。

普段の生活をしっかりすることを軸に、良い心の状態でお店に立つことで、居心地よく”ありたい”。

“居心地のよさ”って、足を止めずに生活するからこそ、感じられるものなのかもしれないです。

生活を大切にするなかで、つながりが重なり、編まれていく“居心地のよさ”。そうか、まずは一本一本の糸を大切にすればいいんだ。遠くを見すぎず、いまを生活していけばいいんだ。

旅の果てで辿り着いたのは、そんな気付き。“居心地のよさ”を巡る草々での旅路は、とても居心地がいい時間だった。

高根恭子

うつわ屋 店主・ライター
神奈川県出身、2019年に奈良市へ移住。生駒市高山町で「暮らしとうつわのお店 草々」をやっています。noteで陶芸家さんへのインタビューや暦生活というメディアで文章を書いています。あんこ好き。特に豆大福ラブ。畑で野菜を育てています。


ソラミドについて

ソラミド

ソラミドは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

取材・執筆

安久都智史
ソラミド編集長

考えたり、悩んだり、語り合ったり。ソラミド編集長をしています。妻がだいすきです。
Twitter: https://twitter.com/as_milanista

撮影

橋野貴洋
フォトグラファー

大阪在住。フリーランスで、コーチングやカメラマンなど関わる裾野を広げています。自分がご機嫌でいられる生き方を模索中。多様な在り方を受け止め、一緒に考えられる人でいたい。

Twitter:https://twitter.com/hashinon12