変わらず、ライターであり続けたい│私の天職、見つけました。Vol.1菅原さくらさん(ライター)
自分の仕事に対して、自信をもって”天職”だと言い切れる人はなかなかいません。
でも誰もがきっと、天職だと誇れる仕事ができたらと憧れの気持ちを抱いているのではないでしょうか。
『私の天職、見つけました。』は、「天職に就いている」と胸を張って自分らしく活躍する人にインタビューを行い、「天職とは何たるか」を探る連載企画です。
今回登場いただくのは、ライターの菅原さくらさん。フリーランスとして活動中で、インタビュー記事を中心に、タイアップ記事、企業PR支援、キャッチコピーなど、さまざまな文章を執筆されています。ライター歴は今年(2024年)で14年目に突入し、これまでバリバリと仕事をされてきたプロフェッショナルです。二人の男の子のママでもあります。
そのお仕事ぶりや、SNSで発信される言葉などににじみ出るのは、とにかく書くことが好きで、ライターの仕事に心から誇りを持つ気持ち。
そんなさくらさんに、ライターという職業にたどり着くまでの道のりや、やりがい、仕事への向き合い方、そして彼女が考える天職について聞きました。
広告業界を経て、念願の“書く仕事”に
──まずは、ライターとして普段どんなお仕事をされているか教えてください。
大きく分けると2つあります。ひとつは制作会社さんと一緒にブランディングや採用、広告のコンテンツをつくるクライアントワーク。もうひとつは、ウェブメディアや雑誌の方々と一緒にコンテンツをつくる仕事です。執筆する記事の形はさまざまありますが、7割ほどをインタビューが占めています。
あとはたまにですが、ライティング講座の講師や、企業さん向けの執筆・編集業務のコンサルタントっぽいことをさせてもらうときもあります。
──さくらさんがライターのお仕事に就くまでの経緯を聞かせてください。もともと、書くことに興味があったんでしょうか?
物心つく前から、母親が絵本をめっちゃ読み聞かせてくれていたらしいです。そのおかげかどうかはわからないけど、小さいころから書くのも読むのも好きで。たしか4歳ごろから、自分でお話を書いたりもしていました。小学生時代、クリスマスプレゼントに原稿用紙の束をもらったこともあります。
──原稿用紙がクリスマスプレゼント! すごい!
「いっぱいお話が書ける!」って、すごく嬉しかったのを覚えています。
小中高と国語の成績がよかったから、大学は国文学科に進学しました。相変わらず書くことが好きで、当時流行っていたmixi上で日記を書いたりしていましたね。
その後就職活動をするタイミングになって、漠然と「書く仕事がしたい」とは思っていたけれど……私が大学生だった16、17年前って、”ライター”という仕事自体、まだほとんど耳にすることがなくて。当時は選択肢にものぼらなかったんです。
──確かに、ライターという仕事が広く世の中に認識されるようになったのは、ここ数年のことのように感じます。
書く仕事といえば、作家やエッセイスト、コラムニストなどのクリエイティブなイメージが強かったですね。でも私の場合は、そういう文章を書く才能はないと思っていたから。残された選択肢は、ほかにも幅広い文章の選択肢がありそうな、出版業界か広告業界に入ることでした。それで、広告事業のあるベンチャー企業に新卒入社しました。
──さくらさんのキャリアのスタートは広告業界だったんですね。
だけど、入社後配属されたのは空間事業部の営業職。主にLEDビジョンや店内販促物を売る仕事を担当することになりました。結果的に、書く仕事とは程遠かったんですけど……(笑)。それはそれで結構向いていると感じられたし、楽しく働いていました。
でもその後、会社から広告事業が売却されることになってしまって。このままここにいても広告の仕事すらできなくなるということで、転職を決意。転職活動をするなかで編集プロダクションの存在を知り、社会人2年目、24歳のときに転職しました。
──念願の“書く仕事”のスタートですね。
ずっとやりたいと思っていたことができて、すごく嬉しかったです。好きだから上達も早くて、「やっぱり向いているな」って思えました。
その編集プロダクションは、教育に力を入れてくれるところで。最初は「てにをは」から叩き込まれたし、原稿もすみずみまで添削してもらいました。もう、赤入れ(※)だらけでしたね。あのころに基礎からみっちり叩き込んでもらったおかげで、「お金をいただいて文章を書く」ことへの意識が高まりました。
※赤入れ…文章を添削する際、修正指示を赤字で書き込むこと。
独立後、自分の軸が見つかった
──現在さくらさんは、フリーランスとして活動されていますよね。独立の経緯もぜひ聞かせてください。
編集プロダクションに入って2、3年目くらいから、社外の商品開発やイベント運営などを個人的に手伝うようになり、その文章まわりをちょこちょこ書かせてもらっていました。いろいろな仕事を経験するうちに、「文章で役立てることって想像以上にたくさんあるんだなぁ」と気づかされたんです。そのあたりから、もっといろいろな”書く仕事”に挑戦してみたいと思うようになり、26歳から27歳ごろにかけて徐々に独立しました。
──独立後、お仕事は順調でしたか?
ありがたいことにお仕事に困るということはありませんでした。でも、どこか焦る気持ちを常に抱えていたような気がします。
というのも、先輩や仕事仲間からは、「専門分野を持たないライターは10年後生き残れない」と言われ続けていたんです。私は特定の分野に特化した知識やスキルがあるわけではなかったし、「自分はライターとして何者でもない」という不安がありました。「このまま何者にもなれなかったら、書き続けることができなくなるんじゃないか」って。
──その焦りや不安は、どこかのタイミングで乗り越えることができたのでしょうか?
それが、まだ答えは見つかっていないんです。今も専門分野と言えるものはないし、「何者かになるべきか?」という迷いも持ったまま。
でも、ちょっと希望を持てたというか、自分の強みを認識できるようになったきっかけがありました。それは、独立したばかりのころ、『走るひと』という雑誌の副編集長兼チーフライターを任せてもらったこと。『走るひと』は、魅力的な走るひとたちの姿を通じて新しいランニングカルチャーを伝える雑誌で、高校・大学の先輩が編集長を務めていました。
それまでは、アウトプットの形がクライアントからある程度指定されるような仕事が多かったのですが、『走るひと』では、取材も、書き方も、すべて一緒に考えていこうと言ってもらって。それで、取材相手の人となりをとにかく掘り下げるロングインタビューに初めて挑戦し、世間から一定の評価をいただくという経験をしました。その後、インタビューの仕事がぐんと増えたんです。
“何者でもない”私も、インタビューという、ライターのひとつのスキルだけで食べていける道もあるのかも……って、視界が開けた感覚がありました。
──インタビューという軸が確立されたんですね。では、ライターの仕事のどんなところにやりがいを感じますか?
インタビューにしてもそれ以外のテキスト制作にしても、まずは伝えたいメッセージをしっかりと汲み取って過不足なく伝えること、そしてコンテンツとして、さまざまなステークホルダーの要望を満たすものをつくることができたとき、やりがいを感じます。あとはインタビュー中、話の内容をうまく咀嚼して違う表現で返したときに「ああ、それが言いたかったんです!」と言われたときは、気持ちいい。
私の場合、自分発信で「こういうことを書きたい」「この考えを広めたい」といった思いで文章を書くことはほぼないんです。私にとってライターとして書くことはあくまでも仕事であって、自己表現じゃない。だからアーティストではなく、職人のような気持ちで書いています。
──反対に、難しさを感じることは?
年々増えていますね。とくにインタビューの場合、人の言葉をきれいに整えざるを得ないときがあったりして。他者のパブリックイメージをつくることに私の仕事が寄与してしまって、本人が苦しさを抱えることになっていないだろうか……とか。人の人生を変える一因になってしまうこともあり得るのではと、文章で伝える仕事の重さと責任を日々感じています。
──今年(2024年)でライター歴14年目に突入されたそうですね。これまでお仕事が途切れることなく活躍されてきた秘訣や、ご自身の誇れるポイントはどんなことでしょうか?
今まで、一度も締め切りをやぶったことがありません。
所属していた編集プロダクションの社長が、「締め切りに遅れるくらいなら僕は線路に飛び込む」と言っていたのが印象に残っていて(笑)。ちょっと言葉は過激だけど、周囲から信頼され、ずっと途切れずに何本も連載を持っているような人でした。だから私も、まずはそこからやってみようと思って。
「締め切りにルーズだけど、ものすごく良い文章を書く」みたいな尖った才能を持つ人もいてうらやましいなとは思うけど、自分にはそういった才能はない。だから、とにかく締め切りを守ることが私なりの誠意なんです。原稿の提出日はもちろん、「いつまでに確認して連絡します」とか、細かい約束も守ります。
変わらなくていいこともある
──ずばり、さくらさんはライターの仕事を天職だと思っていますか?
今回の取材にそなえて、まずは天職という言葉の意味を調べました(笑)。
ひとつは、“聖なる仕事”。もうひとつは、“持ち前の才能を生かした仕事”。今回の場合は、後者の意味ですよね。
それを踏まえて、私なりに天職を定義するなら……「やりたいこと、できること、やれること」のすべてを満たして、人に貢献できる仕事のことなのかな、と。
もしそうだとしたら、私にとってライターの仕事は天職だという自信があります。……ちょっと大きく出ちゃったかなぁ(笑)。
──すばらしいです!
天職に出会えると、仕事のストレスが最小限で済むのもいいんですよね。ライターになってから、書くのが嫌だと思ったことが一度もありません。赤入れされまくっても、「次に活かせる」って前向きに捉えられます。基本的に、この仕事が向いているって自信があるから、仕事をしていてつらくなることがないんです。
──ライターの仕事を天職と思えるようになったのは、いつごろでしたか?
いま思えば、27、28歳くらいのころだったかもしれません。ライターになって3、4年目。『走るひと』のインタビューを任せてもらって、自分に自信が持てるようになったころですね。
ちょうど、長男を出産した時期とも重なります。子どもを産んでも仕事への気持ちが変わらなかったことで、よりそう思えたのかも。
──出産前後で仕事への向き合い方が変化する人も多いですが、さくらさんの場合は変わらなかったのですね。
私は好きでこの仕事をしているから、仕事を続ける前提で子どもを産みました。でも、いざ産んだら仕事への意欲がなくなるんじゃないかっていう不安はあって。先輩方から、「産んだら子どもがかわいくて仕事とかどうでもよくなるよ」みたいなことをめちゃくちゃ言われるんですよ。それにフリーランスだから、現場を一度離れたら居場所がなくなるんじゃないか……っていう怖さもありました。
でも結局、産後も仕事への意欲はまったく変わりませんでしたし、クライアントときちんと信頼関係を築けていたからか、居場所もなくならずに済んだ。変化の有無については人それぞれ善し悪しあるだろうけど、私の場合は変わらなかったことが何よりも嬉しいことでした。これからもずっと書いていきたいって、ブレない気持ちを再認識できたんです。
──では、今後もずっと書き続けていくために、どんなビジョンを思い描いていますか?
私としては、現状維持で仕事を続けるのがいちばん理想的。大好きなパートナーと子どもたちがいて、仕事があって健康で。瞬間的につらいことや悲しいことはもちろんあるけど、この10年間くらいは基本ずっと幸せで満足しているから、このまま今の生き方を守りたいです。
でも、それってきっと現状維持していては実現できないんですよね。現状に甘んじていては、どうしても先細りになっていってしまうから。
ライターの上位互換は編集者、エッセイスト、作家……みたいな論調もあるけど、私はやっぱりライターでいたい。でも、これまで「ライター一筋でやっています!」ってベテランの人に出会ったことがほぼないし、どうしていくのがいいんだろう? ……って、ここ数年はあれこれ考えているところです。やっぱり、キャリア的には専門が必要なのかなぁなんてことを思ったり。これまでフリーランスでやってきたけど、一度はどこかに所属して、がっつり内部から事業に関わる経験もしたほうがいいのかなぁとも思ったり。無理やりにでも、何か新しい経験をしていったほうがいいんじゃないかって。14年目になっても、まだまだ悩みや不安が尽きません(笑)。
──変わりたくない芯の部分を守りたいからこそ、変化や進化をいとわないのですね。素敵です。
仕事への向き合い方や、働き方は変えたくない。でも、そのためにはある程度成長し続けることが必要なんでしょうね。もともとそんなに「成長したい」ってタイプではなく、ただただ書くことが楽しくて目の前の仕事に取り組んできたつもりだけど、やっぱりライターとしてのスキルは磨いていきたいと思っています。私、ストレングスファインダーをやると「最上志向」がいちばん上にくるから、なんだかんだそういうところがあるのかも。これまで、「子どもを産んだら変わるよ」「年齢を重ねたら変わるよ」って言葉が呪いのように心にまとわりついてきたけれど、実際はここまで変わらずにこられています。「変わりたくないなら、変わらないこともできる」と信じて、これからも書き続ける道を模索していきたいです。
・ ・ ・
自信を持って、ライターの仕事を天職だと言い切るさくらさん。
お話を通して、「得意なことを仕事にして生きていきたい」という強い意志が、ひしひしと伝わってきました。
仕事に対する責任感の強さと、その積み重ねによって得た周囲からの信頼も、「天職」にたどりつくための重要な要素だったのでしょう。当たり前のように思えても、さくらさんほど徹底して仕事に責任を持てる人は、なかなかいません。
また、「今がとても幸せで満足している」といったお話もありました。
理想の仕事ができているからこそ、変わらず、現状維持していたい。だけど、現状に甘んじていては先細りになってしまう……といった言葉に、ハッとさせられます。
これからもずっとライターでいるために、今後さくらさんは、どのような道のりを歩んでいくのでしょうか。
変わらないために、どんな変化をしていくのでしょうか。
その姿が、ライターのみならず、「道を極める」ことを志す人たちの道標になってくれることでしょう。
『私の天職、見つけました。』シリーズでは、今後も自分の仕事に誇りを持って働く人たちの姿を紹介し、天職とは何かを探っていきたいと思います。次回もお楽しみに。
菅原さくらさん
ライター/編集者/雑誌『走るひと』チーフライター。
パーソナルなインタビューや対談を得意とし、タイアップ記事、企業PR支援、キャッチコピーなど、さまざまなものを書く。1987年1月16日生まれ。北海道出身の滋賀県育ち。早稲田大学教育学部国語国文学科卒。趣味はバカンス。高校生のときからずっと聴いているのはBUMP OF CHICKEN。
https://sakura-sugawara.themedia.jp
ソラミドmadoについて
ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media
取材
クリエイティブや編集の力でさまざまな課題解決と組織のコミュニケーションを支援。「自然体で生きられる世の中をつくる」をミッションに、生き方や住まい、働き方の多様性を探求している。2016年より山梨との二拠点生活をスタート。
note: https://note.com/masatoyasui/
執筆
大学在学中より雑誌制作やメディア運営、ブランドPRなどを手がける企業で勤務したのち、2017年からフリーランスとして活動。ウェブや雑誌、書籍、企業オウンドメディアなどでジャンルを問わず執筆。2020年からは株式会社スカイベイビーズにも所属。
https://www.sasanuma-kyoka.com/
撮影
東京と岩手を拠点にフリーランスで活動。1996年生まれ、神奈川県出身。旅・暮らし・人物撮影を得意分野とする。2022年よりスカイベイビーズに参加。ソラミドmado編集部では企画編集メンバー。
https://asamiiizuka.com/