自由な表現の場があることは“生きる力”になる|自然体な「自己表現」に向き合う vol.2 植田響さん(ジャズピアニスト)
様々な表現活動をする人に取材し、自分らしく生きていくための“自己表現”とは何たるかを探る連載企画「自然体な 『自己表現』に向き合う」。
今回話を聞いたのは、ジャズピアニストであり、表現者たちのコミュニティ「yosemic(ヨセマイク)」の共同代表を務める植田響(うえだ ひびき)さん。自身の音楽活動と音楽制作の仕事を続けると共に、「yosemic」では誰でもステージに立てる“オープンマイク”のイベントを定期開催しています。
幼い頃から自身のピアノの腕を磨き続けてきた響さんですが、なぜ、人の自己表現を応援する活動に力を入れるようになったのでしょうか。「yosemic」のイベントを定期的に開催している下北沢のお店「SOY POY」にお邪魔し、その想いを聞きました。
「もう音楽を辞めよう」ニューヨークで心が折れかけた
── まず、「yosemic」とはどのような活動なのか教えていただけますか?
「yosemic」はニューヨークにいた頃に出会った友人たちと立ち上げた活動で、主にオープンマイクのイベントを開催しています。オープンマイクとは、普段表現活動をしていない人でも誰でも舞台に立って自己表現ができる場です。
弾き語りやバンド演奏はもちろん、詩を読む人もいれば、お笑いを披露する人もいます。古着を売ったりコーヒーを作る人なんかもいて、言ってしまえば“なんでもあり”。
先日のイベントでは、キッチンでたこ焼きを作る人、ステージでボクシングのトレーニングを披露する人、それに合わせてドラムやピアノでセッションをする人がいて、だいぶカオスでしたね(笑)。
――本当になんでもありなんですね(笑)。オープンマイクのイベントを始めようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
僕は5歳からクラシックピアノ、高校からジャズピアノを続けてきました。大学を卒業したあと「ジャズといえばニューヨークでしょ!」と自分の腕を試すつもりで単身渡米し、音楽系の大学院に入学したんです。でも、自分よりも上手いピアニストがわんさかいて心が折れてしまったんですよね。
特に大学院の同期にめちゃくちゃ上手い人がいて、「ジャズ一本でやってきたらこんなに上手くなれるんだなあ。すごいなあ」なんて思っていたら、その人、専門がクラシックのバイオリンだったんです。
――え〜!?
「え〜!?」ってなりますよね(笑)。クラシックが専門で、しかもバイオリニストって……。そんな彼が演奏するジャズが僕より全然上手なわけです。
僕も毎日練習していましたが、彼は他の生徒よりも早い朝6時に来て、みんなが帰ったあとも夜中まで練習していました。これは勝てるわけがないと。
すると、「もう音楽辞めようかな」って気持ちになって。「こんなに上手な人がいるなら、自分が表現する価値はない」という気持ちでいっぱいでした。
――響さんにも、「もう辞めたい」という時期があったんですね。
そんなとき、今「yosemic」の活動を一緒にやっている人たちと会うようになって、「響さんの曲いいじゃん!」ってすごい褒めてくれたんですよね。そういう言葉をもらえるだけで、折れかけていた心が回復していったんです。「誰かと比べて上手かどうか」ではなくて、一人ひとりの表現を純粋に楽しもうとするマインドがすごくいいなあって思って。
自己表現できただけで最高! 「yosemic」の活動をスタート
――今の「yosemic」の方達が持つ「マインド」とは、どのようなものなのでしょうか?
「自己表現できただけで最高じゃん」っていうマインドかな。振り返ると当時の僕は「表現は平等じゃない」と思っていました。上手い人の演奏には価値があって、下手な人の演奏には価値がない。つまり、自分の表現には価値がないと思っていたから、目から鱗の発想でしたね。
上手い下手関係なく自由に表現できる場があれば、僕のように辞めずに済む人がたくさんいるんじゃないかと思って、2018年から月に1回オープンマイクのイベントを開催するようになりました。それが「yosemic」の始まりです。
――競争の世界にいた響さんでも、そういう発想はすぐに受け入れられたのですか?
最初は「素人がステージに立ったところで誰も来ないでしょ」と正直思っていたかもしれません。人は磨き上げた技術を観に来るものだと思っていたから。でも、実際始めてみると結構人が集まったんですよね。「これはいける!」とすぐに思いました。
勝負の世界にいると気づきにくかったのですが、よく考えるとニューヨークは即興的に演奏するジャムセッションも盛んですし、オープンマイクとの相性がよかったんです。
――その後、帰国され日本で活動を開始されました。
2020年にコロナでニューヨークがロックダウンしてしまったことをきっかけに帰国して、その後もこっちでイベントを続けてきました。
1回限りで転々とするよりも、ここにきた人たちが繋がり続けられるようなコミュニティにしていくために「場を持ちたいな」と思い始めたところで、「SOY POY」の方と意気投合し、約2年前からここで開催させてもらっています。
熱意や努力に感動するステージがある
――オープンマイクのステージは日本にはあまり馴染みがないように感じます。日本で受け入れられるか不安はありませんでしたか?
ニューヨークで受け入れられるなら、日本でも大丈夫だろうと自信がありました。実際人は集まったし、ステージが始まったらみんな真剣に聴くんですよ。上手い下手関係なく、表現する人にリスペクトを感じられる空間になっています。
中には人前で歌うのが初めてで、手足を震わせながらステージに立つ人もいます。すごく緊張しながらも、自分が持っているものを捻り出して表現しようとする姿に、僕はいつも感動してしまって。幼い頃から音楽をやってきた僕からすると、その“新鮮さ”はもう持てないものなんですよ。
――自己表現を続けるためにも、表現できる場所があるのは大事ですよね。
本当にそう思います。僕自身も、この場所をきっかけに「一緒に演奏しようよ」と声をかけてもらえることが増えました。いろんな人と演奏する機会を持てることで、自分の技術や表現力が前よりも磨かれている感触があります。
前に「学校を辞めてミュージシャンを目指します!」と、ある男の子が「SOY POY」にやってきました。弾き語りを人前で披露するのは初めてだったから、めちゃくちゃ緊張してて、練習したことが全部吹っ飛んじゃったみたいなんです。最後まで演奏することができず悔しそうな様子で帰っていった後、その1回きりで全然来なくなっちゃって。
そうしたら、半年後にもう1回リベンジしにきてくれたんですよ。「今回は失敗できない」というプレッシャーもあったと思うのですが、1曲ちゃんと披露し終えたうえに、他の人たちからも「一緒にやりませんか?」と声をかけられてもう1曲演奏してくれました。
――すごいですね!
彼がこの半年間めちゃくちゃ練習したことが伝わってきて、本当にかっこいいなと。この場所にいると、1回きりの出会いだけではなくて、1人ひとりのストーリーも見えてきますから思わず感動しちゃいますよね。「yosemic」を続けてきてよかったなって思いました。
やっぱり発表できる場があると、「その日まで頑張って練習しよう」という気持ちになれるじゃないですか。何かしんどいことがあっても、せめてその発表の日までは生きられますよね。表現は生きる力になるって、僕は本気で思うんですよ。
自己表現の始まりは「自分との対話」
――ステージに立つ人に憧れる気持ちがありますが、何か表現をしたり、練習をしたくても「時間がない」と言い訳をして結局何もできてない……ということが多くて。
僕もそういう日はありますよ。表現するときに使う脳みそのキャパシティって限られてるんじゃないかな。僕の場合は「音楽制作の仕事が終わってから自分の作品づくりに取り組もう」と計画していたとしても、そのキャパシティをすべて仕事に使ってしまって、もう創造するエネルギーが残っていないということがよくあります。
それってすごくもったいないなと思うんです。自己表現することが結果として仕事につながってお金をもらえるならハッピーだけど、お金をもらうための仕事にそのエネルギーを消耗したくないんですよね。それだったら、音楽とは全然違う脳みそを使ってお金を稼いだ方がむしろいいんじゃないかなとも思います。
――「好きなことを仕事にしよう」という風潮が一時期ありましたけど、響さんは懐疑的なのでしょうか。
うーん、難しいですね
自己表現がそのまま仕事になったらいいけど、依頼仕事ってどうしてもクライアントの要望が優先されるものだと僕は思うんです。お金を稼ぐためにその指示に従い続けてしまうと、「自分は本来何を表現したかったのか」がわからなくなってしまいます。すると、どんどん自己表現する力が枯渇してしまうんじゃないかなと。
――どういうことでしょうか?
自己表現の始まりって「自分と対話すること」だと僕は思っています。「自分は何が好きなんだろう」とか「どう生きていきたいんだろう」と自問自答することから表現は生まれていく。
しかし、あまりに目の前のことだけに追われてしまうと、「自分はどうしたいのか」なんて考えなくなりますよね。子どもの頃は「あれがやりたい!」という初期衝動で動けていたけど、大人になってそれを続けるには、自問自答しつづけないといけない。
仕事だけを頑張ることは決して悪いことではないけれど、いざ定年を迎えたときに自分が空っぽに感じてしまうんじゃないかな。それって自問自答を疎かにしてきた結果だと思うんです。
自然と都会。どちらも行き来できる「村」を作りたい
――自問自答しなくなり、ゆえに自己表現もできなくなってしまうと。
はい。だから、そういう人たちがせめて土日だけでも立ち寄れたり、定年後に遊びに来られたりできる場所を作っておけたらいいのかなって思うんですよね。
極端な例として「資本主義列車」みたいなものがあったとしましょう。僕がイメージする「資本主義列車」は、就職して昇進して給与が上がるほどスピードが早くなっていきます。僕らは資本主義社会に生きていますから、この列車に乗ることが一概に悪いと言いたいわけではありません。しかし、時に「しんどいな、この列車を降りてちょっと休みたいな」というタイミングは誰しもあるんじゃないかなと思っていて。そんな時に迎え入れられるような場所を作っておけたらいいんじゃないかなと。
だから、僕は今、村を作りたいんですよね。
――突然の「村」ですか!?
村です。音楽のスキルを磨くよりも、村を作るために家を建てられるようになりたいと本気で思っています(笑)。
この間、結構な人数でキャンプに行ったんですよ。大きな火を囲んでいるうちに、みんなが踊り出して何人かは鍋を叩いて音楽を奏で始めました。本当に誰の指示もなく、気づいたらみんな勝手に歌って踊り始めたって感じで。
その景色を見て音楽は元来、みんなで火を囲んで自然や神とつながるためにあったものなんじゃないかなって思ったんです。
――気づいたら歌って踊り出してしまうというのは、まさに「自然体な自己表現」かもしれませんね。
原始的ですよね。僕は都会で生まれたジャズやシティポップも好きですよ。でも、自然の中で奏でる音楽はまるで違うんですよ。自然の中でしか生まれない表現があるんだなって痛感しました。
自然と都会。ある意味、人間の原始的な姿と資本主義を象徴する場所ですよね。どちらにも「人間らしさ」はあると思うのですが、今はあまりに自然に触れる時間が少ないと思っています。都会も自然もどちらも気軽に行き来できる世界が理想なんじゃないかなって。
だから、僕の最終目標は村ですね。現状「yosemic」は下北沢という都会で開催していますが、もっと自然に近いところでみんなが楽しく表現できるような場所を作っていきたいと思います。
「バーンアウト」「空の巣症候群」「定年うつ」など、精一杯努力してきた人たちが、ふとした瞬間に空っぽになってしまう症状の名をよく耳にするようになりました。
「それって自問自答を疎かにしてきた結果だと思うんです」──。
響さんのこの言葉で、それらが起こる理由が少しわかったような気がします。
目の前のことに一生懸命になることは決して悪いことではないけれど、仕事や育児など「人のため」だけにずっと力を注いでしまうと、それらがなくなったとき、ふと自分が何者なのかわからなくなってしまう。そんなときに救いになるのが「自分のため」の表現であり、それを心から応援してくれる仲間との出会いなのかもしれません。
植田 響さん
ジャズピアニスト・映像音楽作家・yosemic Tokyo共同代表。
5歳からクラシックピアノを、高校からジャズピアノをはじめる。洗足学園音楽大学ジャズ科へ進学し、大学卒業後、単身渡米。ニューヨーク市立Queens College Aaron Copoland School of Muisc修士課程に入学、ジャズ作曲を専攻し、ルイ・アームストロング“サッチモ”アワードにも参加。卒業後にニューヨーク市内のクラブや教会で演奏活動を展開。また、表現者・アーティストの団体“yosemic”を主催。2020年に帰国し、映像音楽作家としても活動。
公式サイト
https://www.hibikiueda.com
「yosemic」
https://yosemic.com/
ソラミドmadoについて
ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media
取材・執筆
ライター/編集者
1995年生まれ。webマガジンの編集を経験した後フリーランスへ。「小さな主語」を大切に、主にインタビュー記事を執筆。関心テーマはメンタルヘルス、女性の働き方・生き方、家族やパートナーシップ。
企画・撮影
東京と岩手を拠点にフリーランスで活動。1996年生まれ、神奈川県出身。旅・暮らし・人物撮影を得意分野とする。2022年よりスカイベイビーズに参加。ソラミドmado編集部では企画編集メンバー。
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