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感性に、うなずき合って生きていく。言の葉で詩を彩りながら | 詩のソムリエ・渡邊めぐみ

学生時代、好きな曲の歌詞をノートに書き写していたことがある。

汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ
構わないから その姿で 生きるべきなんだよ

BUMP OF CHICKEN 『ギルド』

キスしながら唾を吐いて 舐めるつもりが噛みついて
着せたつもりが引き裂いて また愛求める

Mr.Children 『掌

背中にあった翼は 今やもう必要無い 
洗い立ての太陽が 僕らを優しく照らしている
これからは大地を踏みしめて 君を抱いて歩いていこう

スキマスイッチ 『雫』

数多のアーティストが残したことば。それを書き写していると、頭のなかに別のことばが浮かんでくる。それを歌詞の横に書き付けてみる。

楽しかった。世界に近づけた感覚。息を深く吸える感覚。他でもない“自分”として生きている感覚。

本当の意味で“詩”に出会ったのは、国語の授業などではなく、そのノートが最初だったかもしれない。紙面には、純粋すぎる僕の想いが踊っていた。

筆者撮影。文字が踊る。

昔は自由に表現していたのに、臆するようになったのはいつからだろう。

気が付いたら、自身の考えや想い、感情を押し殺すようになっていた。自ら否定するようになっていた。間違っているのは自分なんだと。出してはいけないんだと。

怖かったんだと思う。自分の感性をさらけ出して、笑われることが。それは、自分という存在の否定だから。

僕の想いが踊っていたノートも、いつのまにか押し入れの奥にしまわれていた。紙面にさえ、さらけ出すのが怖かった。

否定されないように、目立たないように。気がつけば、僕は僕のことばを見失ってしまっていた。

筆者撮影。そっと閉じられたノートたち。

数年が経ったいまは、自分の感性と向き合おうと、日々を過ごしている。空を見上げたり、山を眺めたり。僕自身はどう思っているのか、なにを感じているのか。じっくり見つめるなかで、少しずつ、僕のことばが頭に浮かぶようになってきた。

再び感じはじめる、他でもない“自分”として生きている感覚。

だからこそ、思うようになった。この感性を守り続けたいと。

笑われたり、否定されたり、攻撃されたり。感性って、ささいな一言でサッと閉じてしまう繊細なもの。出さない方が傷つかないし、楽なもの。でも、閉ざすと世界の色が失われてしまうもの。

だから、小さな声であっても拾い合う場が必要だと思うんです。「私の感性も死んでいなかったんだな」って確かめ合う、一人ひとりの感性にうなずき合う場が。

そう話してくれたのは、渡邊めぐみさん(以下:めぐさん)。

めぐさんは、戦後詩の研究、会社員生活を経て「詩のソムリエ」という肩書きで活動している。

一人ひとりに合った詩を紹介したり、詩をモチーフにしたレシピを考案したり、詩を題材にしたワークショップを開催したり。どれも、詩を通じて眠っていた感性をゆり起こし、他者とわかちあう活動だ。

そんな営みを生業にしているめぐさんは、なぜ詩のソムリエの活動を始めたのだろう。なぜ詩を題材にしているのだろう。感性について、どのようなことを思っているのだろう。

それらを紐解くことは、これからの僕自身の感性を守り続けることにもつながる気がした。

僕が僕であるために。あなたがあなたであるために。想いを言の葉に込めて、めぐさんとのお話をお届けします。

ひとことが 世界を開き 閉じもする

めぐさん:4歳のときのお遊戯会で、近所に住んでいる年下のほなみちゃんが、トマトの衣装を着て『トマト』という童謡を歌っていたんです。

トマトって
かわいい なまえだね
うえから よんでも
ト・マ・ト
したから よんでも
ト・マ・ト

って。

それを聞いたときに「ええっ! たしかにそうや! 考えたことなかった!」と衝撃が走ったんですよ。それが、詩との出会いかな(笑)。

ーー そんな出会いだったとは……(笑)。でも、たしかに詩ですもんね。

めぐさん:いま思えば、「ことばによる表現で、知らない世界が見開かれることへの驚き」だったのかもしれないですね。当時は、詩だとは認識していなかったでしょうけど。

ーー 詩を認識したのは、いつごろでした?

めぐさん:小学校入学時に、詩の音読集『ひばり』を配られたのが最初だと思います。

覚えているのは「きりんはゆらゆら」(武鹿悦子)っていう詩。「きりんは ゆらゆら/よってくる」ということばを読んでいたら、心のなかにキリンのいる草原がばぁっと広がる感覚があったんです。それは、なんだか安心感に繋がっていて。

ーー 安心感?

めぐさん:親とか友達とかも入り込めない、自分だけの居場所があるような。いつでも帰れる場所が、心のなかにあるような。自分の世界があることに、安心感を覚えていたんだと思います。

ーー 心のなかに、いつでも身を寄せられる場所がある。

めぐさん:うん。その感覚が嬉しくて、好きなことばを見つけてはノートに書き写すような子どもでした。

筆者撮影。からっぽの椅子は、帰る場所のよう。

でも、学年が上がるにつれて、自分の世界が揺らいでしまって。

ーー それはどうして? 

めぐさん: 子どもながらに、「なんだか今日は空が高いなぁ」と思うことってあるじゃないですか。それを、小学5年生のときの担任の前でポロッと口に出したら、馬鹿にされたんです。

担任に「このふたつの詩、どっちが好き?」と訊かれて答えたら、笑われたこともありましたね。

ーー それは傷つく……。

めぐさん:そういう経験をしていくと、「私が感じたことをそのまま口にしたらダメなんだ」と思うようになっちゃって。小学生の頃に、そんなインプットがされてしまったのは、今思い返しても悲しいことだったなぁと思います。

恐れから 息苦しくとも 沈黙す

ーー 人から否定されたり馬鹿にされたりが続くと、自分の気持ちや考えに自信が持てなくなってしまいますよね。

めぐさん:感性って、簡単に潰れちゃいますからね。それを自分で守っていくのは、とても難しい。

働き始めたときも、気持ちや考えを否定される環境だったから、かなりしんどかったです。

ーー それは、どういう環境だったんですか?

めぐさん:出社から退社までの自分の行動を、分単位で先輩に毎朝説明しなくちゃいけなくて。トイレもです。資料作りにかかった時間を報告したら、「なぜ◯分かかったか説明しなさい」と言われ、説明できずにいたら怒られ……。

ーー 分単位だと、なんだかロボットみたいな感覚になりそう。

めぐさん:仕事の質問をしたら、「人の時間を奪うな」と怒られもしましたし。

ーー しんどいコミュニケーションですね……。

めぐさん:そんな日々を繰り返していたら、段々ことばが出なくなってしまった。気がついたら、ご飯も食べられなくなったし、眠れなくもなりましたね。そこで、これは危ないと思って、クリニックで受診し、うつ病の診断を受けて休職することになりました。

ーー お休みすることになったとき、心のなかはどんな状態だったんですか?

めぐさん:なにも浮かばない、みたいな感じです。表情も消えて、ことばも消えて、呼吸もうまくできなくて。自分の感覚や気持ちをすべて否定された気がして、生きる力がなくなってしまった。いま思い出しても、身体がこわばる感覚。

人間って、身体的には健康でも、心が死んでしまうと身体は思うように動かなくなるんですよね。

筆者撮影。このペットボトルも生きる力を失ったのだろうか。

ーー 感性を見失ってしまった状態、ですね……。傷ついたら、感性は閉じてしまう。

めぐさん:感性を開いて生きるって、ものすごく無防備な状態ですよね。鎧を着ずにそのままでいるような。だから、矢が飛んでくる環境だと、閉じざるを得なくなってしまう。人間、傷つきたくないですし。

だから、感性は閉じる方が簡単なんだと思います。開いたまま生きるのは難しい。

ーー 傷つく不安を抱きながら、生身のままでいるのは怖いですもんね。

めぐさん:そういう恐れから、人は論理を身につけるんでしょうね。理論武装って言い方があるように、自分の心が傷つかないために鎧をまとう。

もちろん、それが大切なときもありますけどね。どうしても失敗できないときとか、戦わないといけないときとか。

でも、鎧を着続けるのはしんどいと思うんです。それって、もはや機械じゃないですか。人間じゃない。

自己を問う それはことばの 命綱 

めぐさん:だから、鎧を脱いで息を吸うような時間が必要なんですよね。日々のなかに少しでもいいから、息継ぎのような時間をつくる。

ーー その時間になるのが、詩。

めぐさん:会社員時代に、あらためて詩のすばらしさに気づいて。疲れ切って家に帰ってきたときって、なにもしたくないじゃないですか。体力も時間もないし。でも、詩集をパッと開いて、一篇だけ読むことはできると思うんです。

小説とか映画と違って、詩集はどこから始めてもいいものだから。好きなところを開いて、詩を読む。時間としては短いかもしれないですけど、だからこそ忙しくても感性をお手入れできるんです。

ーー そっか、詩集はどこから読んでもいいのか。その自由さは、しんどいときには良さそう。

めぐさん:しかも、詩には論理性とか効率性とか、べき論がまったくないんですよ。LINEであっても「誤解されないように」と気をつけないといけない。だけど、詩だけは文章のなかで自由さが許されているんです。

ーー だから息継ぎの時間になるんですね。

めぐさん:それは写真や絵も同じかもしれないんですが、私は詩が“ことば”であることにも意味があると思っていて。

ことばって、みんな普段から使っているじゃないですか。だからこそ、いつも心のなかに持っておけるんです。すごく近くにあり続けてくれる感覚。

「詩」の漢字は「言の寺」と書くじゃないですか。寺は「持つ」っていう意味なんですよ。ことばを持つ。

ワークショップの様子。寺山修司の詩の一節なんだそう。(REPORT|なんだか気になる言葉に出会う、”ことばさが詩”ワークショップ

ーー じぶんの人生とともに、ことばを心に持って歩く。子どもの頃のめぐさんじゃないですが、いつでも帰ってこられる場所になりそう。

めぐさん:そうですね。帰ってきて、そのたびに自分と対話ができる場所。

詩って、ものすごく説明が少ないんです。それって、どう読むかが自分に委ねられている、ということですよね。

だから、自分と対話せざるを得なくなるんです。

ーー なるほど。「あなたはどう思う?」と詩から問いかけられる。

めぐさん:正解はないから、どんなものでも受け入れてくれる。詩は、懐が広いんですよ。詩のなかに入り込んで、そこで対話するような感覚がありますね。

その対話を通じて、自分の現在地を掴むものなんだろうなと思います。

ーー 自分の現在地を掴む、か。それも生きていくうえで大切な時間になりそうですね。踏ん張るというか、踏みとどまるというか。

めぐさん:まさにそうで。アリストテレスが「教養は幸運な時には飾りとなるが、不運の中にあっては命綱となる」とことばを残しているんですけど、詩も同じだと思うんです。

東北大震災のとき、日本からことばが消えた感覚があって。テレビの広告が顕著でしたけど、自分たちもなにも言えないし、どう言っていいかわからない。心がざわざわして、攫われそうになった。

そんなときに、谷川俊太郎さんの詩が新聞に大きく載ったんです。これでもか、ってくらい大きく。それを読んだとき、文字通り、暗い海から顔を出して息を吸えた気がして。

ーー 詩があったから、自分を取り戻すことができた。

めぐさん:普段は、詩なんてなくても生活できます。でも、いじめにあったときとか、大切な誰かを亡くしたときとか、心が攫われて、ことばがなくなってしまう時期は、誰しもにありますよね。

そんなときに、命綱みたいに掴むものがないと、そのまま流されていってしまう。だから、詩ということばを持って歩くことは、とても大切だと思うんです。

ーー ことばが、詩が、自分を繋ぎ止めてくれる。だから、めぐさんは詩に惹かれるんですね。

めぐさん:……そうですね。もちろん、それもあります。詩は命綱。

……でも、私にとって、詩はもっと大きな存在だったかもしれません。

空をただ 眺めていては 苦しくて

筆者撮影。ただ、眺める。癒やしにも、絶望にも。

めぐさん:昔、とてもしんどいことがあって。自分ひとりで抱えるしかなかったんです。

いま思えば、ものすごくケアが必要だったはず。なのに、何事もなく回復したと装わないといけなくて。心も傷ついているのに、周りに助けてと言えない。

ーー ……その状態から、どのように過ごしていったんですか?

めぐさん:明るく振る舞っていても、傷は消えなくて。でも同時に、それでも世界はいいものだって、人生は生きることに値するんだって、信じていたい自分もいて。

でも、その感情たちは、ひとりで処理するものとしては大きすぎたんでしょうね。だからこそ、その感情を詩に委ねることができたんです。

ーー どうして詩に?

めぐさん:言い方は良くないかもしれないですけど、詩人には困難を持っている人も多くて。虐げられていたり、病気を患っていたり、家庭環境が複雑だったり。

そんな人たちが、一生懸命詩を紡いで生きている。そうやって生まれた結晶のように美しい詩を読むと、世界はやっぱり生きるに足るんじゃないかと思えて、パワーをもらえるんです。

だから、しんどさを抱えていた自分なら、本当の価値がわかるんじゃないかって。きっと、そう思いたかったんです。じゃないと、あのしんどさに説明がつかなかったから。

ーー しんどさを抱えながら生きる意味を、詩に見出した。

めぐさん:私、大学では寺山修司という詩人を研究していたんですけど、彼は病気で生死をさまよった人で。もちろん私と境遇は違うけど、苦しみを抱えた人。だから、「彼のことが分かる」と思ったんです。もはや、私が一番分かるんじゃないかっていう、傲慢さにも似た感情を抱いていて。

それで、ずっと詩の研究をしていました。地獄のぞき、とも言えるかもしれませんね。

でも、この感情と向き合い続けるのも苦しくて。一度、社会に出てみよう。この苦しみが必要になったら、また戻ってこよう。そう思って、就職することにしたんです。

筆者撮影。青すぎる空は、疲れるかもしれないけれど。

それいいね ちょっと待って これもいい!

ーー 苦しんで、研究に没頭して。研究から離れて、就職して、別の苦しみを経験して。さまざまな経験を経たうえで、「詩のソムリエ」として活動されるようになったんですね。

めぐさん:寝る前とかに詩集を開いて、一篇の詩を読み、一息ついて寝る。そんな時間が、改めて必要なんじゃないかと思ったんです。苦しんでいる自分にも、感性を閉じた方が生きやすい現代社会にも。

そんなことを、お茶のソムリエをやっている友達に話していたら、「一緒になんかやろうよ!」となったのが、いまの活動の出発点ですね。お茶を飲みながら、詩をしみじみ読むワークショップを開いたんです。飲み屋が賑わう、華金の新橋で(笑)。

ーー 華金の新橋の一画で、お茶と詩を味わうっていいですね(笑)。異世界感がある。

めぐさん:友達が「私がお茶のソムリエなら、めぐは詩のソムリエだね」って。そこから詩のソムリエとして、活動を始めたんです。一人ひとりに合った詩を選んだり、みんなで詩を読んだり。

ーー みんなで詩を読むって、研究で詩に触れるのとは全然違う世界ですよね?

めぐさん:そうですね。研究は正しさを追求する世界。

でも、みんなで詩を読む場を開いたら、「あなたの解釈おもしろいね、でも私の解釈もイケてるんだよ!」みたいな感覚を持てるようになって。それは、私にとって大きな変化でしたね。

ーー 詩との触れ合いに、余白が生まれた。

めぐさん:例えば、川についての詩を読んだとき、大きな利根川を想像する人もいれば、近所のせせらぎを思い浮かべる人もいますよね。お父様をなくされた方は、川にお父様の面影を見たようです。

一人ひとりの人生経験は違うから、読み方とか思い浮かべる風景は違うに決まっているんですよ。その違いを認めるからこそ、対話ができる。それに気づけたのは、すごくよかったです。絵を書き出す人、歌い出す人なんかもいますね。

それぞれが持っている感性に、素直に「いいね!」と言えるようになりました。

ワークショップの様子。擬音語も立派なことば。(【イベレポ】詩のコマ撮りアニメをつくろう

ーー 余白がなかったら、正解か不正解かになりますもんね。自分の感性が否定される可能性が生まれてしまう。

めぐさん:だから、小さな声であっても拾い合う場が必要だと思うんです。「私の感性も死んでいなかったんだな」って確かめ合う、一人ひとりの感性にうなずき合う場が。

感性をひとりで守るんじゃなくて、手をかざして、みんなで守っていく。そんなささやかな会をやっていきたいですね。

詩を通じ 火を絶やさずに 生きてゆく

ーー 互いの感性にうなずき合う、か。そんな時間があったら、明日も生きてみようかな、生きてもいいのかもなって思えそうな気がします。

めぐさん:うん。詩人の上田假奈代さんが「誰かのことばを大事にするのは、その人自体を大事にすること」とおっしゃっていて。

どれだけ小さな声でも、存在を無視しない。それだけで、今日や明日を生きていく力になると思うんです。

もちろん、それでもすくい上げられない、とても苦しいことを経験することもあるから、そんなときは医療的ケアが必要ですけど。でも、そうなるちょっと前の段階で、詩に出会って、自分の感性を「いいね」と言ってもらえたら、生きてみようと思えるんじゃないかな。

谷川俊太郎さんも、詩は誰かを生かす、と言っているんです。

詩は彼を世界と共に生かすためにあるのだ。そして詩人は、ひとつの死体の前で、〈私も彼を生かした、丁度彼が私を生かしてくれたと同じように。〉といえるようにならねばならぬ。

谷川俊太郎『世界へ!』

この谷川俊太郎さんのことばは、私の人生を通じて受け止めていかないといけない気がするんですよね。

ーー 詩は誰かを生かす、ということばを。

めぐさん:いまの詩は、「口語自由詩」と言って、現代のことばで自由に書かれるものなんです。でも実は、それが広まったのは、戦争を賛美する詩が多く読まれたからなんですよね。

それって、ことばが人を死なせたとも言える。

谷川俊太郎さんや、私が研究していた寺山修司は、その時代を知っているからこそ、覚悟を持って「詩は誰かを生かすもの」と言っていると思うんです。

人を死なせることばではなく、人を生かすことばをどうつくっていくのか。そんな問いに、彼らは向き合っていたんですよね。

ーー そこを引き受けていきたい、と。

めぐさん:いまの社会って、衣食住はそろっていて、安全も保障されている状態。なのに、なぜか死にたくなってしまうこともある。人を殺しにかかるのは、物理的なものもありますけど、精神的なものもあるから。

そんな酸欠社会とも言えるなかで、感性を取り戻したり、潤したり、他者と分かち合ったりすることは、生きる力になると思うんです。そして、詩はその力をもたらしてくれるから。

偉大な詩人たちからバトンを受け継いだ、と言うと恐れ多いですけど。これからも、詩のソムリエとして、人を生かすことばと向き合っていこうと思っています。

渡邊めぐみ

1989年福岡生まれ。小学校入学時に詩の本「ひばり」が配られたことをきっかけに詩の楽しさを知る。
慶應義塾大・東京大学大学院で戦後詩(おもに寺山修司)で修士号取得。2015年教育出版会社に入社、進路・表現・探究教材の開発職を経てフリーランス。
新宿で会社員をしながらはじめた「詩のソムリエ」を本格的に始動し、こども〜おとな向けの詩を楽しむワークショップ、詩に関する執筆などを幅広く行う。
「自分らしくいる」「ちがいをおもしろがる」ことがテーマ。じゃんけんに弱いのが悩み。

ソラミドについて

ソラミド

ソラミドは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

取材・執筆

安久都智史
ソラミド編集長

考えたり、悩んだり、語り合ったり。ソラミド編集長をしています。妻がだいすきです。
Twitter: https://twitter.com/as_milanista

編集

佐藤純平
ソラミド編集部

ああでもない、こうでもないと悩みがちなライター。ライフコーチとしても活動中。猫背を直したい。
Twitter: https://twitter.com/junpeissu