「自然体ってなんだろう?」を3つの視点で考えてみた
私たちソラミドは「自然体で、生きよう。」をコンセプトに掲げています。自然体で生きられる人が増えるよう、さまざまな角度から記事を届ける。そして考える。そんな繰り返しを、積み重ねはじめました。
11月のメディア公開から、多くの人の考え方に触れた1ヶ月。多くの学びを得るなかで、こんな意見が編集部内であがるようになりました。
いまの私たちが考える自然体を定義した方がいいんじゃないか……?
もちろん、そこにただ一つの答えがあるとは思っていません。それでも、私たちの思う自然体について、考えを巡らせることは大切なのではないか。考えを巡らせることで、また違う角度で自然体を捉えられるのではないか。そう思うんです。
そこで、現在の私たちがどのように自然体を捉えているかを、まとめてみることにしました。
このまとめはゴールではありません。変わる可能性もある途中経過として、みなさんと考えるきっかけにできたらと思っています。
対自分。自然体とは、心の声に従っている状態?
整理しはじめて、まず考えたのは、「対自分」から捉える自然体でした。
対自分。要は、自分自身がどのように在るか、ということ。
ありのままで生きられている状態であったり、無理のない状態であったり……。いくつか考えたなかで、思い浮かんだのは「心の声に従っている状態」です。
これがやりたい、あれはいやだ、など、誰しも心のなか(頭のなかかも?)には声が渦巻いていると思います。そして、その声に従うことはなかなか難しい。社会常識や他人の目を気にして、声とは違う行動をとってしまうことも。
そんな、従うのが難しい心の声。この声に素直になれている状態は、自然体で生きることのひとつなのかもしれません。
対社会。自然体とは、自分の価値を発揮できている状態?
対自分で深めた自然体。ある程度のまとめができてきたかなと思っていたときに、とある問いが出てきました。
「なにもしたくない」っていう心の声にずっと従っている人を、自然体として捉えてもいいの?
正直、唸りました。自然体で生きることは、良いことだと思っていたのですが、この問いにでてくる人を“良い”と言ってしまってはダメな気がする。
けれど、「なにかをしていること」だけを良いことだと捉えるのも、少し違う気がする。病気や諸事情で活動できない人もいますからね。
じゃあ、どのような観点が必要なのだろう。そう悩んで出てきたのが、「自分の価値を発揮できている」という状態でした。
その人にはその人なりの価値がある。それを発揮できている状態は、きっと心地が好い。
自然体で生きる、には社会に対する視点も必要なのかもしれません。
対他者。自然体とは、互いに認め合っている状態?
対自分と対社会。ふたつの視点で自然体を考えていくと、さらに必要な視点が見つかりました。
そのきっかけになったのは、こちらの問い。
「人を傷つけたい」っていう心の声に従う人は、自然体なの?
たしかに、それを自然体と呼ぶのは違う気がします。そこで、大切かもしれないと考えたのが「対他者」の視点です。
要は、「互いを認め合う」ことも必要だよね、ということ。言葉にすると当たり前のことですが、心地好い生き方を考えると、ついつい自分のことばかりになってしまいがち。
けれど、自分だけでは自然体にはなれないはず。対他者の視点も必要なのだと思います。
「自然体とは?」と向き合い続けよう
対自分・対社会・対他者の視点。これらが合わさって、自然体が成り立っているのかもしれません。
と主張してみたものの、まだまだ考えないといけないことはたくさんあります。
自分軸っていうけど、人に流されることはダメなの?
自分の自然体と人の自然体が異なるときは、どうしたらいいの?
これらの問いに向き合うたびに、自然体の捉え方は変わってくる。そして、その先で自分だけの自然体が見つかるのだと思います。
私たちも、考えている途中。ぜひ、みなさんの問いも教えてくださいね。
ソラミドについて
ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media