“語れなさ”を抱いたことがあるから。私たちはつながり、手を取り合うこともできる
つらい。
悲しい出来事や困難な出来事に出合ったとき、そう感じる。ときにはその痛みが発露し、ベッドから起き上がれなかったり、涙を流したりすることもある。
けれど、つらいということを認められない自分もいる。なぜか否定してしまう。
「こんなことでつらいなんて言ってられない」
戦争や災害、病気など、自分よりも大変な状況にいる人のことを思うと、自分の中にある痛みがものすごくちっぽけに思えてくるのだ。
だから、ぐっと我慢する。抑え込む。つらいという一言でさえも言ってはいけないような気がして、声を押し殺す。痛みが和らいでいくのを、消えてなくなるのを、時の流れに身を任せて、じっと待つ。
もっと自分の声を素直に語ることができたらいいのに。
つらい出来事があったとしても、他者と共有し、手を取り合い、生きていくことができたらどんなにいいだろう。
そんなことを考えていたときに、ふっと頭をよぎったのが“語れなさ”をテーマに活動しているアーティストの瀬尾夏美さんだった。
瀬尾さんは、被災した人や障害のある人びとの言葉を聞き、絵や文章を通じて記録を行っている。また映像作家の小森はるかさんと「小森はるか+瀬尾夏美」というユニットを組んで映像作品や美術作品をつくったり、2015年には土地と協働しながら記録をつくるコレクティブ「NOOK」を立ち上げたりと活動は多岐に渡る。
どうして“語れなさ”というテーマに行き着いたのだろう。語れなさを抱える人々にどのように話を聞き、どのように絵や文章で表現しているのだろう。
語れなさと向き合い、他者とつながるためのヒントをもらえたらと取材をスタートした。
近しい人だからこそ、語れない
瀬尾さんが“語れなさ”というテーマを見出したきっかけは、2011年に遡る。3月11日に起きた東日本大震災。そのとき、彼女は大学生で、東京にいた。
テレビやネット上に流れる情報を見て「被災地から遠く離れた場所に住むイチ美大生の自分に、一体何ができるのだろう」と自問自答していたという。
大量の情報を過剰に摂取していたから、何か手触りのようなものが欲しかったのだと思います。とりあえず現地に行きたい、行かなくては、と友人を誘って災害ボランティアとして東北へ向かいました。
震災から約3週間後、友人と共にレンタカーに物資を詰め込んで、ボランティア旅を始めた。東北沿岸部を中心に回り、数日が経ったころ、元バイト仲間の親戚で、陸前高田市に住むおばあさんのもとへ訪れることになる。
おばあさんは、高台に残った一軒家に住んでいた。家の目の前にある道路からは海が見える。「本当はね、ここから海は見えないんだよ」。おばあさんはせきを切ったように話し出した。
自宅の庭先まで津波が上がったこと、たくさんの友人知人が亡くなってしまったこと、被災した人たちの気持ちを考えると何もできない無力感と申し訳なさが湧いてくること。そういったことを、とても気を遣いながら話してくれました。
なぜ気を遣って話してくれたのだろう。瀬尾さんは「思いやりや優しさからなんだけど……」と言って、とつとつと話し始めた。
彼女は、自分よりも大変な被災をした人、言い換えると、より当事者性の高い人たちに対して気を遣っていたのだと思います。死んでしまった方、家を失った方、そういった方々の思いを想像しながら、自分の体験や心情を語っていた。
おばあさんも被災者の一人。被災地の外にいる自分のような人間にはそう思える。けれど「被災者」と言っても、その内実はさまざま。境遇の差も当然ながら生まれてくる。
彼女は当事者性の中心から外れた位置に自分のことを置いていて、境遇の差ができてしまった近しい人たちには、自分の気持ちを語れずに、苦しんでいるように思いました。
生き残った人たちの中でも、境遇の差によって分断が生まれてしまっていること。自分の気持ちを押し殺していて、うまく語れずにいること。これが現場においては、大きな問題なんだって感じたんです。
語れなさが、人と人をつなぐ
瀬尾さんはそれから、陸前高田市や仙台市に拠点を移し、何度も被災地へ通った。変わりゆく風景を眺め、たくさんの人の語りを聞き、絵や文章などをつくるようになった。そして次第に、活動の幅は広がっていく。
東北に住む人たちの語りを聞く中で、戦争の話を同時にしてくれるおじいさん、おばあさんがいたり、SNSを通じて、「こんな人もいるよ」と紹介してくれる人もいたり。展覧会や上映会を通じて、神戸や広島など別の地域の人が声をかけてくれたりもして、さまざまな災禍の体験者の話を聞く機会がどんどん増えていきました。
東日本大震災、阪神淡路大震災、令和元年東日本台風災害……。さまざまな災禍の体験者から話を聞いて感じたのは、別々の災禍の体験者同士でも、境遇の差による分断が起きていることだった。
「あちらの方が大変だった」とか、「私たちの方が大変だった」とか、どうしても比べてしまうんですよね。「私たちの気持ちなんて、わかりっこない」と言って、相手をはねのけてしまうこともある。誰だって傷ついている時は、そういう強い言葉を口にしたくなってしまいますよね。
陸前高田市に住むおばあさんもそうでしたけど、誰かを思うがゆえに語れないということが起きている。そこには寂しさというか、孤独感というか、そういった感情がつきまとっているなと思ったんです。
語れないことによる寂しさや孤独感。その感情は「私の中にも似たようなものがあるかもしれない」と瀬尾さんは話す。
例えば、家族や友人、恋人など近しい人だからこそ話せないことはいっぱいあるし、それによって寂しいとか、孤独だとか、そう感じることは私を含め多くの人が抱える悩みなんじゃないかなって。
たしかにぼくも身近にいる人だからこそ、語れないことがある。心配をかけたくない、迷惑をかけたくない。だから、口をつむぐ。でも、本当は話したい、聞いてほしい。葛藤するも、結局は語れなくて、寂しさや孤独感に苛まれる。
その“語れなさ”が、多くの人にとってある種の共通感覚なのだとしたら、それはつながるための媒介にもなり得るのかもなと思いました。
たとえ被災者と呼ばれる人ではなくても、初対面の人とであっても、似たような寂しさや孤独感を抱いたことがあるからこそ、つながれる。そういう可能性を秘めているんじゃないかなと。
“語れなさ”が誰かとつながる媒介にもなり得る。そんなことは一度たりとも考えたことがなかった。
多声的で、人々の声を引き出す民話
さまざまな災禍の体験者の話を聞いていれば、ときには深刻な話題も出てくるだろう。つらくなって辞めようと思ったことはなかったのだろうか。
聞きたいことはいっぱいあって、一生続けたいなと思いますね。私は美術大学に通っていたんですが、当時は自分の中に、 表現する動機が見つけられずにいました。何を描いたらいいのか、あまりイメージが湧かなかったんです。
でも、2011年に初めて被災地と呼ばれる土地を訪れて、たくさんの人の話を聞かせてもらったことで、この人たちの中には、表現すべきものや記録すべきものがいっぱいあるなと気づかされて。
もう二度と同じことが起こらないように語らなくてはいけない。ここであったことを忘れてほしくないから伝えなくてはいけない。そう思っている人たちが被災地にはいる。けれど、うまく言葉にできない、語れないと感じている人も多い。
私は絵を描いたり、文章を書いたりすることはできる。じゃあ、被災者と呼ばれる人たちが伝えなくちゃいけない、語らなくちゃいけないと思っていることを、一緒に絵や言葉にして、形に残していけたらいいなと。描く動機が見つけられなかった私にとっては、ある意味で、救いでもあったんです。
瀬尾さんは、自身の活動を「“現代の民話”を作るつもりで行っている」という。
民話は、人々の生活の中から生まれ、語り継がれてきた物語です。誰かが伝えなくちゃいけない、語らなくちゃいけないと思った自身の体験を語ったところから、物語が編まれてきているんです。
誰かの語りを聞いた誰かが、またそれを誰かに語ろうとする。けれど、直接的な表現を避けた方がいいかもしれないと抽象化したり、何かに例えたりして、ときには自分なりの解釈や思いも含めて伝える。さらにまた次の人も同じようにして伝えて……。
そうやってたくさんの人たちによって、脈々と語り継がれてきたことで、多声的な物語になっています。
民話と聞くと「桃太郎」や「浦島太郎」を思い出す。こうした民話も、誰かが自身の体験を語ったところから、脈々と語り継がれ、誰もが知る物語となったのだろう。
さらに民話は多声的であるがゆえに、さまざまな人の声を引き出していく装置にもなるんです。「この物語は、自分のことかもしれない」と思えて、語り継ぐのと同時に、自分なりの体験や思いを伝えていく営みにもなる。
だから私もたくさんの人に話を聞いて、そこに共通性や響きあう部分を探しながら、自分の解釈や思いを含めて絵や文章に昇華しています。
実際、瀬尾さんの絵や文章に触れた方たちからは、民話的な営みが生まれているそうだ。彼女が2023年に出版した『声の地層』には、陸前高田市のある集落で出会ったおばさんたちの語りから生まれた物語が載っている。
おばちゃんたちは、荒地になってしまった集落跡に花をたくさん植え、その土地全体を弔っていたんですね。その“弔いの花畑”はかさ上げ工事によってなくなっちゃうんですけど……。
ただ私が書き残したものを、おばちゃんたちが「こんなふうだったんだよ、と色々な人に見せている」と言ってくれて。
別の地域でも、読んでくれた人たちから感想をもらうこともあるそうだ。
「この話、神戸の地震を思い出すな」とか、「戦時中にじいちゃん、ばあちゃんが感じていたのは、こういう感情だったのかな」とか、ひとつの物語からいろいろな人の語りが始まるんです。そうやって語り継いでくれることがとても嬉しい。
人の語りを聞く、記録する、語り直す。そしてそれが、誰かの語りにつながっていく。さまざまな人の体験や心情が混じり合い、物語が語り継がれていくことに瀬尾さんは喜びを見出している。
人の話を聞くことは、本当に面白い
瀬尾さんは現在、自身が立ち上げた「NOOK」で、他者の語りを聞き、記録し、表現する人を増やすための活動も行っている。
やりたいと声をあげてくれる人がたくさんいるんですよね。たとえば、自分の生活圏でよくすれ違うおばあさんが気になるとか、車椅子で移動されている方を手伝いたいとか、存在として認知しているけれど、関わったり、お話を聞いたりすることはなかなかできないと悩んでいて。
多くのメディアが取り上げるのは、どちらかといえば劇的な経験をされている人。だから、こぼれ落ちる人がたくさんいて、語られない物語もたくさんある。そういった人の声を聞き、記録し、共有していくネットワークを作っていくことが、NOOKのミッションである。
語りを聞く人、記録する人が増えていけば、それを語り継ぐ人たちも増えていく。ひいては、語れなさを抱えている人たちが、語れるようになるきっかけにもなり得るのかなと思います。
語れなさを抱えているなら、まずは人の語りを聞いてみるといいのかもしれない。そうすれば、何か自分とつながる話が聞けるかもしれないし、その話を語り継ぐようにして、自分の体験や心情も話せるようになるかもしれない。
「無理する必要はないけれど、人の話を聞くことは、本当に面白いですよ」。笑って、瀬尾さんはそう話す。
私は人の話を聞くことに、人生の楽しみを見出しているというか。
話を聞いていると、自分の想定していた答えとは、全く違う答えが返ってきて、毎回驚く瞬間が必ずあるんですよね。一度聞いてしまったら、前の自分に戻れないというか、聞くというのは自分を更新して、変えてしまう行為でもあると思うんです。
人の話を聞いていると、そんなふうに考えていいんだ、そんなふうに生きていけるんだと思えて、元気が出る。その場、その時間がとても豊かだなと思うんです。
どんなことであれ、人の話を聞く。その場、その時間は、非常に豊かなものだとぼくも思う。それは瀬尾さんがおっしゃるように、他者と混じり合って、自分が変わっていくからなのだろう。
なにより私は人の話を聞く場では、安心感を抱くんです。相手が私に対して語ってくれるということは、私はここにいてもいいってことだと思うんですよ。その逆もしかりで、私が相手の話を聞いているときは、相手もそこにいてもいい、ということになる。
自分や相手がどんな人であれ、お互いに面と向かって話しているということは、お互いの存在を認め合うということなんです。それはどの語りの場でも感じていることで。
誰かが自分に向かって話をしてくれる、自分の話を聞いてくれる。それは相手の労力を、時間をいただくことでもある。ひいてはお互いの人生を共有し合うということなのかもしれない。
その場が生み出す肯定感や安心感のようなものをみんなもっと体験した方がいいのでは? とは思っています。 みんな自分の話を聞いてもらえてなさすぎないかとか、みんな人の話を聞いてなさすぎないかとか、そういうことは感じているので。
お互いの存在自体を肯定し、手を取り合うような時間をもっと過ごすことが大事だと思います。
ぼくは今回、インタビューという形で、瀬尾さんの語りを聞かせてもらった。その語りはとても多声的で、さまざまな人の体験や心情が混じり合ったものだったと感じた。だからこそ、「自分のことかもしれない」と思えるようなお話も多々あった。
そして、この記事を書いたことは、瀬尾さんの語りを聞き、記録をし、語り継ぐ行為そのものだと思う。瀬尾さんのお話を聞きながら、自分の語れなさに対する体験や心情も少しばかり語ることができた。
この記事の中にもし共感する部分があったら、違う誰かへとあなたの体験や心情も含めて語り継いでもらえたら、ぼくは非常に嬉しい。きっとその語り継ぐ場や時間は、とても豊かなものであるはずだ。
瀬尾 夏美(せお なつみ)
アーティスト、詩人
1988年東京都生まれ。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくっている。東日本大震災のボランティアを契機に、映像作家の小森はるかとのユニットで活動を開始。岩手県陸前高田市での対話の場づくりや作品制作を経て、土地との協働を通した記録活動をするコレクティブ「NOOK」を立ち上げる。現在は江東区を拠点に、災禍の記録をリサーチし、それらを活用した表現を模索するプロジェクト「カロクリサイクル」を進めながら、“語れなさ” をテーマに旅をし、物語を書いている。単著『あわいゆくころ――陸前高田、震災後を生きる』(晶文社)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)、『声の地層――災禍と痛みを語ること』(生きのびるブックス)。共著に『10年目の手記』(生きのびるブックス)、『New Habitations: from North to East 11 years after 3.11』 (YYY PRESS)。
ソラミドmadoについて
ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media
執筆
撮影
東京と岩手を拠点にフリーランスで活動。1996年生まれ、神奈川県出身。旅・暮らし・人物撮影を得意分野とする。2022年よりスカイベイビーズに参加。ソラミドmado編集部では企画編集メンバー。
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