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体も心も精神も……。自然と調和し、斉(ととの)えていけばいい。|姿勢研究家・片山賢

朝目覚めると、いつも首の痛みを感じる。ベッドから起き上がって、すぐに首に手が伸びる。何度か揉んで天井を見上げる。ポキポキッ。「あぁ、痛いっ」と思わず、声が出る。

いつからか、姿勢が悪いことに悩まされています。典型的な猫背。頭が前に出てしまっていて、首に過度に負担がかかっている状態。

ストレッチをしたり、整体に行ってみたり、姿勢を正すために色々と取り組んでみましたが、一向に改善できていません。

そんな状態が続く中で、そもそも正しい姿勢とはなんだろうかと疑問に思うようになりました。姿勢の悪さに悩んでいるけれど、どういう状態になれば改善されたと言えるんだろうか。

世の中に絶対的な正しさはないように、姿勢にだって絶対的な正しさはないんじゃないか。人それぞれに合う姿勢というものがあるんじゃないか。

そんな疑問を抱いて手にとったのが『自然な姿勢の斉(ととの)えかた』という本。

読み進めてみると「姿斉(しさい)」「くつろぎ反応」といった、これまでに聞いたことがない言葉が……。

著者の片山賢さんは“姿勢研究家”として子どもから大人、延べ数十万人の姿勢を見てきた方。現在は、ヨガインストラクターや理学療法士、プロスポーツ選手などに対し、姿斉(自分で姿勢をととのえる方法)を伝えていらっしゃいます。

自然に姿勢を斉えるとはどういうことなのか。自分に合う姿勢はどのようにすれば見つけられるのか。片山さんが語ってくださったのは、姿勢を飛び越えた心や精神の話。

自然と調和し、姿勢を斉えるための考え方を片山さんと一緒に探究していきます。

「正しさ」は前提によって変わり続けるもの。

――まず、率直な疑問です。片山さんは「正しい姿勢」とはどのような状態だと思われていますか?

片山賢さん(以下、片山):そのような疑問を抱く人は多いんじゃないかなと思います。しかし、正しい姿勢とは常に変化しているものなんです。だから「こういう状態です」とは言い切れません。

なぜそう言えるのかを説明するために、まず「正しさとは何か」という問いから考えてみましょうか。例えば、この令和時代を生きる私たちと縄文時代を生きる人たちの正しさは一緒だと思いますか?

片山さん

――いや、違うと思います。

片山:違いますよね。時代や所属する社会、人、その他諸々によって正しさは異なるものなんです。「前提」が違えば、正しさも違う。

――前提?

片山:呼吸で考えてみるとわかりやすいかもしれません。息を吸うほうが正しいのか、息を吐くほうが正しいのか。こう問われたらどう考えますか?

――えーっと、どちらも正しいように感じます。

片山:息を吐いた後だったら、息を吸うほうが正しい感じがしますよね。息を吸った後だったら、息を吐くほうが正しい感じがする。このように前提というか、立ち位置というか、そういうものによって「正しさ」は常に変容するわけです。

――正しさは、条件によって変わるものなんですね。

片山:でも私たちは、そういう風になかなか捉えることができません。なぜなら、人間の脳は「これは正しい、これは間違いと分けて処理する」ようにできているからです。

――脳は、正しさと、間違いを明確に分ける。

片山:そもそも人間の脳は、あらゆることを分かりたいんですね。分からないことが続くと情報を処理しきれなくなってしまうからです。

いまの世の中、情報が溢れています。あらゆる情報が常に入ってきますから、脳はひとつの情報処理にだけ時間をかけていられません。一旦答えを出し、次の情報を処理しなければいけないわけです。だから私たち人間はわかりやすい正しさを求めてしまう。

――でも、正しさは変容し続けるんですよね?

片山:はい。だから迷ってしまうんです。前提が変わると、一度正しいと脳で処理したはずの情報が正しくなくなってしまいますから。

テレビで放送されているような健康法なんてまさにそうですよね。「健康にはこれがいい、あれがいい」という一見正しいように思える情報にみんな食いつきますが、しばらくすると違う健康法が出てくるでしょ。

そうすると「あれ、結局何が正しいんだっけ」とわからなくなってしまうんです。「とりあえず答えを出す、迷う、次の答えを求める、また迷う」という風にぐるぐると繰り返しているわけですね、我々は。

人間は自然の一部。

――正しさは変容し続けるということはなんとなく理解できた気がします。ということは、正しい姿勢もない?

片山:そうですね、ないはずです。突然ですが、川に正しい形があると思いますか?

――川の正しい形……ないと思います。

片山:川は正しい形になるために流れているわけではありませんよね。自然と流れ続けていたら、いまの形になっているはずです。それに、川の形は常に変わり続けているでしょ。今もなお刻一刻と。

山や雲もそうですよね。正しい形があるわけではないし、形は常に変わり続けています。

川や雲

――確かに、そうですね。

片山:人間も、川と同じようなものなんですね。人間も自然の一部ですから。私たちは正しい形になるために動いているわけではなく、生きている中で自然と今の姿勢になっているはずです。それに、今も姿勢は変わり続けているでしょ。

だからその人、その時々によって正しい姿勢は違うわけです。例えば、スポーツ選手とデスクワークを行っている人では、日々の体の使い方が違いますよね。スポーツ選手と言っても、競技はさまざまありますから、それによって体の使い方は違います。

このように人や時、場合などの前提によって正しい姿勢も変わるんです。

――正しい姿勢は人それぞれであるし、時と場合によっても変わり続けるものだと。

片山:ただ首が痛いとか、腰が痛いとか、そういう不快な感情が生まれているときには、正しくない姿勢と言ってもいいかもしれません。不快な感情が消えても、正しい姿勢とは言えないですけどね。今その瞬間の自分に合っている姿勢としか言えません。

――不快な感情が生まれてきたことを、どう捉えるといいのでしょうか?

片山:極端なことを言えば、何か不快に感じるときは「多すぎるか、少なすぎるか、停滞しているか」の3つのどれかが原因です。

――多すぎるか、少なすぎるか、停滞しているか。

片山:自然はこの3つを嫌います。これも川をイメージするとわかりやすいかもしれませんね。流れる水の量が多すぎたら洪水してしまうし、少なすぎたら枯れてしまう。それに流れずに停滞し続けていると、水は淀んでいきます。バランスが崩れ、問題が生じてしまうんです。

人間も一緒。多すぎても、少なすぎても、停滞し続けていても問題が生じます。呼吸がそうでしょ。吸い続けていても、吐き続けていても、息を止めていても苦しくなってしまう。

――それが自然界のルール。

片山:そうです。私はそのルールを「自然律」と呼んでいます。そして自然はこの3つのどれかの状態になったら、自ずと解消するように動くんです。多すぎれば減らすように、少なすぎれば補うように、とどまり続けることなく、変化し続けます。

自然は過不足のないように、常にほどよい加減でゆらぎ続けているんです。これと同じように人間の体も何か不快を感じれば、それを改善するように自然と動きます。

自然界のルールに従えばいい。

――減らすか、補うか、動くかということ?

片山:そうです。例えば、デスクワークを長時間していると、お尻が痛くなりますよね。これは座る状態が多すぎるということなんです。もしくは座った状態で停滞し続けているとも言えます。

だから立ちたくなるし、動きたくなる。これを私は「くつろぎ反応」と呼んでいます。姿斉とは「くつろぎ反応を少し意識的に行いましょう」というものです。

――無意識的に行っている動きを、意識的に行うわけですね。

片山:そうです。私たちが生きている世界は、3次元空間と呼ばれていますよね。前後、左右、上下、つまり3組6種の方向性が私を中心としてあらわれます。その中で、体は前に曲がったり、右に捻ったり、上に伸びたりしたりしているわけです。

例えば前、右、上の方向に体を動かしたとします。それで不快に感じるようなら、体は後、左、下の方向に動きたくなるはず。これがいわゆるくつろぎ反応であり、多すぎ、少なすぎ、停滞の状態から逃れようとする動きです。

そしてくつろぎ反応を行うとき、私たちは「気持ちいい」と感じるんですね。

くつろぎ反応

――つまり「気持ちいい」と感じる動きをすればいい。

片山:そうです、そうです。姿斉の共通ルールは「一番心地よい動きを行う」ということ。いま少しやってみてほしいのですが、首を右側に倒すのと、左側に倒すのだったらどっちが心地よく感じますか?

――うーん、左側ですかね。

片山:そうしたら、首を左側に倒す動きを何回かしてあげればいいんです。姿斉は「8秒×4回」の動きを基本としていますが、時間や回数も厳格に守る必要はありません。実際に行ってみて、心地よくない動きが改善されなければ増やしたり、減らしたりしてみればいいんです。

その後、右側に倒してみてどう感じますか?

――(実際に行ってみる)……少し右側に倒しやすくなったかもしれません。

片山:よかったです。

腕を組んだときや手を組んだとき、座ったときなど、各々なにげないしぐさや動きぐせがあります。一般的には、そのようなしぐさや癖は姿勢を歪ませるものとして捉えられているかもしれません。整えたほうがいいものとされている。でも本当は姿勢を斉えるためのくつろぎ反応なんですね。

ただ過剰に姿勢が偏ってしまっていたり、歪んでしまっていたりするとくつろぎ反応だけでは姿勢は斉わなくなってしまう。だから意識的にやりましょうと言っているわけです。

体だけではなく、姿斉で心と精神も斉える。

――片山さんは、姿勢を整えることと、姿勢を斉えることを明確に使い分けてらっしゃいますよね。

片山:そうですね。「斉」は「整」「歪」「正」を内包する字として使っています。一般的には「整える」ことは正しくて、「歪む」ことは間違っていると思われていますが、そうではありません。体は歪むことで、初めて動きますから。

――歪むことで、体が動く……?

「整」にも「歪」にも「正」という文字が入っているでしょ。だからどちらも本来は正しいんですね。「整」とは、発散していたものが集束していく正しさを表します。一方「歪」とは、集束していたものが発散していく正しさのことです。そして双方の字に使われている「正」とは「整」と「歪」の中間に位置し、どちらにも偏らない中立性を示している。

「斉」は、この3つの状態のいずれにも、偏りなく、滞りなく、固まることなくほどよい加減に姿勢をととのえるという意味で使っています。過不足なくそろえて調和した状態、つまり「自然律そのままに姿勢をととのえましょう」ということです。

あと、斉えるには「身・心・申」のバランスをととのえましょうという意味もあります。

――「身・心・申」?

片山:身は、体のこと。心はそのまま心で、申は精神をあらわしています。この3つのバランスですね。

――うーん、なかなかイメージが湧きません。

片山:心や精神に関しても、姿斉の考え方をすると斉えていけるんですね。要するに、心も精神も多すぎるか、少なすぎるか、停滞していると問題が生じるし、それを避けるようにくつろぎ反応が自然と起こります。

例えば、怒りという心の動きがあるでしょ。怒った瞬間は怒りの感情でいっぱいいっぱいかもしれませんが、意識しなくても徐々に落ち着こうとしますよね。それがくつろぎ反応なんです。怒りが多すぎるから、それを減らそうとするわけです。

くつろぎ反応で怒りがおさまらないようなら深呼吸をしたり、気分がよくなることをしたりなど具体的な行動を起こしてみればいいんですね。

――それが心を斉えるということなんですね。

そもそも全てが自然。

――精神という言葉はすごく曖昧なものだと思いますが、片山さんはそもそもどのようなものだとお考えですか?

片山:「精神」という言葉を分解してみると、「青」い「米」に「申」を「示」す、ですよね。青い米とは玄米のこと、つまり大地のことをあらわします。「申」は雷を意味する字。雷は天から降ってくるものなので、天のことをあらわします。

「天地人三才の理(てんちじんさんさいのことわり)」と言って、人間は大地と天の間に生きている存在なんです。もっと言えば大地と天のエネルギーで自分はできているし、動いています。

――大地と天のエネルギー……すごく壮大なお話のように感じます。

片山:そうですね、もう少し噛み砕いて言えば、大地のエネルギーは自分を構成する原材料のようなもの。食事が一番わかりやすいと思います。食べすぎてもよくないし、食べなくてもよくない。偏食みたいに、一つの食べ物に停滞するのもよくありませんよね。

天のエネルギーは自分を動かす原動力のようなもの。空気とか、光とか、気候とかですね。情報や刺激といったほうがわかりやすいかもしれません。例えば居心地の良い場所にいると、やる気が出たりするでしょ。気分を変えるために場所を移す人もいますけど、あれは受け取るエネルギーが変わるから気分が変わるんですね。

――例えば、急に旅に出たくなるというのは、くつろぎ反応?

片山:おっしゃる通りです。刺激が足りないからといって旅に出る人もいますよね。ひとつの場所から得ている情報や刺激が多すぎている、あるいは停滞している状態なので、くつろぎ反応として旅に出たくなるんですよ。

――引っ越しとかもそうですかね。

片山:そうです。「あきる」という言葉があるでしょ。「あきたから違うことをしよう」とかって言うじゃないですか。この言葉は「飽きる」とも書けるし、「空きる」とも書ける。つまり多すぎるか、少なすぎるとも言えるんですね。

――そっか、あきているのか。

片山:自然が多い場所に行きたいという人はただ単に都会にあきているんですよね。田舎で生まれ育った子が上京したいというのも一緒です。

そもそも都会も、本当は自然がたくさんある場所なんですよ。

――えっ、どうしてそう思われるんですか?

片山:都会にはビルがいっぱいありますよね。あれだって自然なんですよ、本来は。木や鉄などの天然自然を加工して建てられていますから。蟻だって落ち葉や枯れ木を集めて、蟻酸を出して、蟻塚を作ることがあるでしょ。ビルと蟻塚は見方によっては同じものだとも言えるわけです。私は人工自然と言ってるんですけどね。

――都会には人工自然がいっぱいあるんですね。

片山:「自然が少ない」「自然が豊かなところに行きたい」と思うのは、人工自然が多すぎて、天然自然が少なすぎる状態です。あるいは人工自然に飽きているし、天然自然に空きている。都会は全然不自然な場所ではなくて、自然な場所なんです。

そもそも不自然はこの世界にはありません。全ては自然なんです。ただ多すぎるか、少なすぎるか、停滞しているか、どれかに当てはまっているものを人間が不自然と言っているだけです。

――すべては自然である。

片山:人間にも不自然な状態なんてありません。体も心も精神も、そもそも自然なんですよ。

わかったような気になって、斉えてみる。

片山さんのお話をお伺いしてみて、わかったようなわからかったような不思議な感じが残ります。

インタビューの終わりに、そう正直にお伝えすると、片山さんはこのように返してくれました。

わかったような気でいてくれたらいいんです。​​すぐに分かり方は変わりますから。もう一瞬のうちにね、答えは変わっていってますから。わかったような気になって、体や心、精神を斉えてもらえたらと思います。

わかったような気になって、か。『自然な姿勢の斉(ととの)えかた』には、姿勢を斉えるための方法がたくさん載っています。その中で「首周りを中心に姿斉する」を実際に行ってみることにしました。

ぼくは上を向くように首を後ろに倒すと、軽い痛みを感じます。だから下を向くように前に首を動かしてみました。ただ心地よい方向に首を動かすだけで、本当に痛みが軽減するのだろうか。最初は疑問をいだいていたのですが、実際にやってみたあとに再度首を後ろに倒してみると、痛みが軽減されていることに気づきました。

正しい姿勢とはなんだろうかという問いから始まった今回のインタビュー。正しさは常に変化し続け、全てが自然なんだと思うと、悪いと思っていた姿勢の捉え方が少し変わった気がします。正しさではなく、自分の感覚を信じてみる。自然の流れに抗うのではなく、身を任せながら、少し自分でも手を加えてみる。

そうすることで姿勢のみならず、心も精神も斉っていくのかもしれません。

片山 賢(かたやま けん)
姿勢研究家
シセイプラネット・姿斉塾代表
http://www.shisei-planet.com/index.htm

一般財団法人姿勢学術協会(※) 代表理事
http://shiseigaku.or.jp/about.html

姿勢均整専門学校(現:東都リハビリテーション学院)本科卒。呉竹鍼灸柔整専門学校(現:東京医療専門学校)本科卒。整形外科医・内科・姿勢教室等において約40年間/のべ20万人を越える姿勢改善指導の実績をもつ。

※一般財団法人姿勢学術協会は「すべては姿勢からはじまる」を合言葉に、人々の保健や健康増進に役立つ適正な静的姿勢/動的姿勢のあり方の研究や普及活動を国内外で行っている。

■著書

・姿斉の実際 http://www.shisei-planet.com/book/flow.html

・自然な姿勢の斉えかた http://www.shisei-planet.com/book/book01.html

・自然なこころのゆらぎ方 http://www.shisei-planet.com/book/kokoro01.html


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ソラミドは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

執筆

佐藤純平
ソラミド編集部

ああでもない、こうでもないと悩みがちなライター。ライフコーチとしても活動中。猫背を直したい。
Twitter: https://twitter.com/junpeissu