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命は心をつくるためにある。全身で出会い、何かに気づくことで、他者とつながる|霊長類学者・山極 壽一

たまに漠然とした孤独感に苛まれることがある。

友だちはいる。会社にも属している。けれど、家で一人過ごしていると、ふいに寂しさを抱く。SNSを開き、気を紛らわせてみても、孤独感は消えない。

実際は孤独ではないはずなのに、なぜか自分は一人ぼっちだと感じてしまう。誰かとのつながりはあるはずなのに、寂しくてたまらない。これは一体どうしてなのだろう。

きっとぼくと同じような孤独感を抱く人も多いのではないか。

そんな問いを立て、今回は霊長類学者で総合地球環境学研究所の所長を務める山極 壽一(やまぎわ じゅいち)さんにインタビューを行った。

山極 壽一
総合地球環境学研究所 所長

1952 年東京都生まれ。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。ルワンダ共和国カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンター研究員、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授、同教授、同研究科長・理学部長を経て、2020 年まで第 26 代京都大学総長。人類進化論専攻。

屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地で野生ゴリラの社会生態学的研究に従事。 日本霊長類学会会長、国際霊長類学会会長、日本学術会議会長、総合科学技術・イノベーション会議議員を歴任。

現在、総合地球環境学研究所 所長、 2025 年国際博覧会(大阪・関西万博)シニアアドバイザーを務める。南方熊楠賞、アカデミア賞受賞。

著書に『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(2020 年、家の光協会)、『スマホを捨てたい子どもたち-野生に学ぶ「未知の時代」の生き方』(2020 年、ポプラ新書)、『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』(2021 年、朝日新書) 、『猿声人語』(2022 年、青土社) 、 『共感革命-社交する人類の進化と未来』(2023 年、河出新書) 、『森の声、ゴリラの目-人類の本質を未来につなぐ』(2024 年、小学館新書) 、 『争いばかりの人間たちへ ゴリラの国から』(2024 年、毎日新聞出版) 、 『老いの思考法』(2025 年、文藝春秋) など多数。

霊長類の進化の過程から、人間社会を見つめてきた山極さんは、現代の人が抱く孤独感についてどのように考えるだろう。

「いろいろな人とのつながりがあるのに、なぜかたまに孤独感を抱くことがあるんです」。インタビューが始まってすぐに山極さんにそう伝えると、「それは言葉に頼り過ぎているせい」と答えてくれた。

信頼関係は、言葉ではなく共感で築く

ーー言葉に頼り過ぎているとはどういうことでしょうか?

頭で考え過ぎているということです。人類の進化史は約700万年で、言葉が生まれたのは約7〜10万年前です。人類誕生から99%ぐらいは言葉がなかったわけです。

つまり、言葉がないままに人は人とつながっていた。

なぜ言葉が生まれたのかというと、さまざまな説がありますが、ぼくは人間の集団の規模が段々と大きくなったことに起因していると考えています。

イギリスの霊長類学者であるロビン・ダンバーは人間以外の霊長類の脳を比較して、「脳の大きさとそれぞれの霊長類種が暮らしている集団の規模には相関関係がある」ということを見出しました。

そして、人間の脳の大きさに対応する集団の規模は約150人と仮説を立てたんです。

ーー150人だけなんですね。

この150人というのは、社会関係資本(ソーシャルキャピタル)を表しています。つまり、何か悩みを抱えたときに、疑いもせずに助けを求めることができる相手の数です。信頼関係が築ける相手の数です。

人間の脳は、約200万年前に大きくなり始め、約40万年前に現代人とほぼ同じ大きさになりました。そこからは、ほとんど変わっていません。でも、集団の規模は拡大し続けてきたんですね。

だから言葉は、150人の集団の外にいる相手に効率的に情報伝達を行う手段としてつくられたのではないかと考えているわけです。

いまSNSでフォロワーを増やして、仲間をつくろうとしている人もいるのかもしれませんが、150人までしか信頼できる人はできない。それに、信頼できる人をつくるのは言葉ではない。そのことをまず忘れないでほしいですね。

ーーでは、人はどうやって信頼関係を築くのでしょうか?

それは「共感」です。

人間は共感力を高めることで集団を形成してきたと考えています。700〜500万年前、オランウータンやゴリラ、チンパンジーという類人猿の中で、なぜか人間の祖先だけが熱帯雨林を離れ、サバンナへと進出しました。

そのことで人間はある弱みを抱えるようになった。だから新たな強みをつくりださなければならなかった。その強みは、「共感力を高め、集団で協力するようになったこと」だと思うんです。

人間にとって最初の文化である共食

ーー弱みとは、どういうものだったんですか?

それは二足歩行です。四足歩行に比べて、二足歩行は不利な点ばかりなんですね。足の速さは遅くなるし、足の把握力が落ちて木にも登れなくなってしまう。

じゃあ、なんで人間が二足歩行を始めたのかというと、サバンナは食料が分散しており、遠くまで歩いて探す必要があったからです。それに背が高い木がなく、逃げる場所が少ないので、食料を安全な場所まで運ばなければいけなくなった。

二足歩行は、ゆっくりした速度で長い距離を歩くのにはエネルギー効率がいいんですよ。それに手が自由になることで、食料を持ち運ぶことができるようにもなる。

種の保存のためには、女性や子どもを守る必要があります。だから女性や子どもを安全な場所へ残し、屈強な男性が食べ物を探しにいった。持ち帰った食料をみんなで分け合って、食べるようになった。

そうして「共食」という人間にとって初めての文化が生まれたんです。

ーー食料を介して、人と人がつながるようになったということ。

類人猿も食物を分配するという行為は行いますが、非常に稀です。基本的には求められたときにしか、分配は行いません。

そもそも食料は人間以外の動物にとっては、争いのもとなんですよ。しかし人間は、共に食べることで信頼関係を築くようになった。

安全な場所で仲間を待っていた者たちは、「きっと仲間が食料を持って帰ってきてくれるはずだ」と他者のことを想像したはずです。食料を探しに行った者たちは、「自分に期待をして待ってくれている人たちがいる」と他者の気持ちを想像したはずです。

要するに、他者の立場に立って物事を考える「共感力」が身についたわけです。

人間の集団だけが、家族と共同体を共存できる

ーー確かに自分のことだけを考えていたら、食料を分配することもなかったでしょうね。

もうひとつ人間が共感力を高めた背景として考えられるのが、「共同保育」です。共同保育を行うようになったと考えられる要因は2つあります。

1つ目は、700〜200万年前にかけて、多産になったことです。サバンナに出たことで子どもが肉食動物の餌食になり、死亡率が上がってしまったんですね。その分、子どもをたくさん産まなければいけなくなった。

子どもをたくさん産むためには、一度にたくさんの子どもを産むか、一産一子で出産間隔を縮めるかで、人間は出産間隔を縮める方法をとった。

熱帯雨林に住んでいるゴリラ、チンパンジー、オランウータンはいまでも4〜9年おきにしか子どもを産めないんですよ。それはなぜかというと、授乳の期間が長いからです。ホルモンの関係で授乳を続けていると、妊娠はできません。

だから人間は、子どもが生まれてから短い期間で授乳を止める必要があった。そして、人間の子どもは早く離乳するようになったんです。

でも、永久歯が生えてくるのは6歳ごろです。農耕すら始まっていない時代ですから、熟した柔らかいフルーツとか乳歯で食べられるものをわざわざとってきて与えなくてはいけない。つまり、子どもを育てる手間がかかったわけです。

出産間隔は短いのに、手間がかかる。小さい集団では手が回らなくなってしまった。それによって共同保育を行うようになったと考えています。

ーーそれまでの集団の規模では次々と生まれてくる子どもの世話をしきれなかったわけですね。

2つ目は、難産になったことです。約200万年前に集団の規模が大きくなり、人間の脳は大きくなり始めました。

しかし、約500万年間も二足歩行を続けたことで、骨盤の形が変化し、産道が広がりにくくなってしまいました。そのことで、大きな頭の子どもを産めなくなり、生後すぐに脳を成長させなければいけなくなった。

ゴリラやチンパンジーと比べると、人間の子どもが身体を成長させるには2倍以上の期間が必要なんですね。急速に脳を成長させるために、優先的に脳へ栄養を回す必要があるからです。

次々と子どもは生まれてくるけれど、身体の成長が遅い。子どもの面倒を見る大人が大勢必要で、共同保育を行うようになったというわけです。

ーー共同保育を通じて、家族以外の他者とも関わるようになった。そのことが、共感能力を高める要因でもあったということですか?

そうです。その家族と家族以外の集団とも関わるようになったのが人間の集団にしかない特徴なんですよ。家族という集団と複数の家族を含む共同体という集団が共存している。

そもそもこの2つは編成原理が全く異なります。家族は、見返りを求めずに奉仕し合う集団ですが、共同体は「互酬性」といって、ギブアンドテイクが原則の集団です。

だから本来であれば、両立できないはずなんです。

動物は自分の利益のために群れを成しているわけで、自分の利益が落ちそうなら群れを離れます。ゴリラは家族的な集団しか持たず、違う家族同士で集まったりしません。

またチンパンジーは家族的な集団は持たず、共同体的な集団しか持ちません。争いが起こり、自分の利益が落ちてしまうからです。

でも、人間は自分の利益が落ちそうでも、集団のために尽くそうとする。共感力を高めて、「一人ではなく、みんなで同じ目的に向かって一緒に行動する」ということができるようになった。

これは、人間だけにしかない精神性です。

自己実現や自己責任という言葉の負の遺産

ーーその精神性は現代の人間にもあるものですよね。

あるんだけれど薄れてきていて、自分の利益を追求する社会になりつつあると感じています。言葉が生まれ、狩猟採集生活が終わり、農耕牧畜が始まったことで、定住・所有が当たり前になった。

階層的な社会構造が確立し始め、封建制、市場経済が生まれた。産業革命が起こって、資本主義が発達し、競争が当たり前になった。競争に勝ったものだけが、よりよい暮らしを手に入れられる社会になった。

そういう社会で奨励されるのは、集団ではなく、個人なんですよ。日本では、1980年代に「自己実現」「自己責任」という言葉が流行したりもしました。

また昔は、物は人と人をつなぐ役割を担っていたのに、いまは分断の原因になってしまっています。お金がまさにそうですよね。富めるものと貧しいものとで格差が生まれてしまった。

このような背景から人間は他者に頼ることをやめてしまったと思うんです。

ーー自分のことは自分でなんとかするという考え方ですね。

国は「制度やシステムをつくるので、あとは自分でなんとかしましょう」という自助や公助ばかりになってしまって、共助ができなくなってしまった。

人を信用するよりも制度やシステムにぶら下がる生活形態になってしまった。将来のために保険に加入するというのは、まさにそうですよね。

そして、これまで日本の人々をつないでいた社会の縁である「地縁・血縁・社縁」が薄れてしまった。2010年に流行語になった「無縁社会」に近づいていっているわけです。

もっとお互い助けを求めていいんですよ。助けを求めることによって、実は縁ができるんです。人間はもともと、集団のために尽くそうという気持ちが強いわけだから。

身体を共鳴させることで得られる、出会いと気づき

ーーどうしたら助けを求めあえる仲間を築いていけるのでしょうか?

頭で考えるのではなく、身体を共鳴させるということが大事だと思います。

ーー身体を共鳴させる。

身体の共鳴とは、同じ場所で、同じ時間を過ごして、喜怒哀楽を共にするということです。

スポーツを一緒にするとか、食卓を囲むとか、歌ったり踊ったりすることもそう。人間は直接会って、何かを共に行うことで共感し合い、仲間を築いてきたわけです。

身体を共鳴させるために大事なのは、時間を惜しまずに使うということ。

効率的に信頼できる仲間をつくることはできません。スマホを使えば、離れている人とも簡単に話すことはできますが、それだけだと信頼関係を築くのはとても難しい。

そういう意味で、人間の最初の文化でもある食事はものすごくいい機会なんですよ。コンビニとか、レトルト食品とか、自分の時間を確保するために効率的に食べられるものが普及していますが、行き過ぎた結果、孤独になる人が増えてしまった。

食事は毎日数回必ずあるし、社交の場になり得るんですね。だから、誰かと食事をする時間を惜しまないでほしい。

ーー効率的に信頼できる仲間をつくることはできない。耳が痛いお話です。

ぼくはね、ゴリラと人間の一番大きな違いは、人間は3つの自由を持っていることだと考えているんです。それは「動く自由」「集まる自由」「対話する自由」です。

ゴリラは動く範囲も決まっているし、家族的な集団しかありませんから集まる範囲も限られている。しかも言葉を持っていないから、他者と対話をすることもできません。

人間はどこへでも行けるし、集まることもできるし、そこで対話をすることもできる。そしてこの3つで手に入れられるのは、「出会い」と「気づき」です。他者と身体を共鳴させることで得られるのは、「出会い」と「気づき」なんです。

ーー出会いと気づき。

心は目に見えないですよね。実態がわからない。でも、ぼくは心というのは、出会いによって生じるものだと思っているんですね。人と人との間に生じる。

あるいは、他の動物や物、空、海、自分の中にいる自分との間に生じる。とにかく出会いがなければ、心は生まれないわけです。それはオンラインの出会いじゃ、ダメなんですよ。全身で出会わないといけない。

五感をフルに使って、何かに気づかなくちゃいけない。何かと出会い、身体が共鳴したときに得られる気づきこそが、心なんです。

命は心をつくるためにあるんですよ。だから、孤独感を抱く人は、まず何かと出会ってもらえたらなと思います。

山極さんへの取材を終えたあと、「とはいえ、どうすれば何かと全身で出会うことができるのだろう?」という思考が頭に浮かんだ。けれど、すぐに考え直した。「あぁ、これが頭で考えすぎているということか」と。

外へ出て、大きく息を吸ってみる。木々の葉が揺れ、サワサワと音を立てている。新緑の爽やかな香りがする。とても気持ちが良い。これが心が生まれる瞬間なのかもしれないと思った。

「寂しいな」。そう感じたときは、頭で考える前に、身体を動かしてみよう。そうすればきっと、孤独を和らげてくれる何かとの出会いがあるはずだ。

ソラミドmadoについて

ソラミドmado

ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media

取材・執筆

佐藤純平
ソラミドmado編集部

ああでもない、こうでもないと悩みがちなライター。ライフコーチとしても活動中。猫背を直したい。
Twitter: https://twitter.com/junpeissu

撮影

橋野貴洋
フォトグラファー

大阪在住。フリーランスで、コーチングやカメラマンなど関わる裾野を広げています。自分がご機嫌でいられる生き方を模索中。多様な在り方を受け止め、一緒に考えられる人でいたい。

Twitter:https://twitter.com/hashinon12

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