あの人の“自然体”をまっすぐに問う一問一答企画 – vol.1
わたしたちソラミドmadoがいつも探求している「“自然体”ってなんだろう」という問い。“自然体”という概念は、いろんな捉え方ができる、自由なもの。ひとつの正解らしきものがないからこそ、たくさんの人に同じ質問をぶつけてみたらどうだろう。
過去の記事で取材をさせていただいた方、ソラミドmado編集部やその周りの人たちへ、まっすぐで単刀直入な“自然体”に関する3つの質問に答えていただきました。
今回の回答者
ふみぽん
執筆/20代/宮城県気仙沼市
趣味:歌って踊ること
ささぬま
ソラミドmado編集部/30代/千葉
趣味:深夜の晩酌
あなたが「自然体」でいられるのはどんなとき?
植物の手入れなど作業に没頭してる時。
単純作業に集中することで、余計なことを考えず、頭の中がニュートラルな状態になっているからだと思う。
ひとりでちょっとした旅をしている時。
純粋な自分の好奇心や意志が感じられる瞬間がたくさんあるからです。
湧き起こる感情を素直に出力できているとき、です。
理由は、自然な感情に蓋しようとするのは不自然な営みだからです。愛想笑いや嘘泣きは自然ではありません。そうではなく、内なる声に耳を澄ませ、喜怒哀楽に「そうだよね、そう感じるよね」と優しく愛でるのが自然体。自他に甘くあるという意味ではなく、善も邪も、美も醜も、等しく我が子のように受け止め贔屓しないのが力まぬ自然体。どちらかだけを依怙贔屓(えこひいき)するのは肩肘を張った偏愛であり、アンバランス。そんなふうに思います。
安心できる環境に身を置いている時です。
多少なり不安がある場合は状況や相手に気を遣ってしまい建前なども発生してしまうからです。
夜、とくに何をするでもなくぼーっとしながらお酒を飲んでいるとき。
なんだかんだ、日中は母として、社会人として「ちゃんとしなきゃ」と気を張っていることが多い。一日の終わりにぼんやりとお酒を飲んで過ごす時間は、なんにも考えずに力を抜いて過ごせるひととき。
あなたの周りにいる「自然体」な人を教えて下さい。
自然体かどうかは本人しかわからないような気がするけど、強いて言うならクリエイターのよこおかおるちゃん。想いを行動に移して沢山のことを実現しているミリョク的な女の子。
地球や自然に生かされていることを常に感じていて、豊かさにも違和感にも敏感で、それを表現している人
たとえば昨日まで学生だった友人が、就職した途端にタクシーの運転手さんや飲食店の店員さんに横柄な態度を取るとき、僕は「不自然」だなあと感じます。逆も然りで、自分の年齢や肩書が変われど、身につけるブランドやアイテムが異なれど、態度や対応が変わらない人を見たとき(これは難しいことではありますが)、僕は「自然体」だと感じます。詰まるところ、頓着せず、囚われない人に、自然さを感じます。
常に自分のペースを維持し、どんな相手に対しても平等に接することができて、かつ相手に変に合わせることもしない。いつも楽しそうで自分のやりたいことをミッションとして活動されている方です。
1歳の娘。感情表現になんのためらいもしがらみも感じさせない。ちょっとしたことでケラケラと笑い、おいしいものを食べるとニコニコ満足げな顔をし、思い通りにいかないことがあると床にドーンと転がって泣きながら怒りをあらわにする。大人になると、たとえ家族の前でも感情表現にブレーキをかけてしまうことがあるので、ちょっとうらやましい。
あなたにとって「自然体」とは?
心の解放。ありのまま。自分を理解してコントロールできる状態か無心になっている時。頭と心と行動が一致している状態が”ありのまま”だと思うから。
誰の目も気にせず、自分の感覚に素直で、ありたい自分でいること。
「ニュートラル」です。理由は、何かに対するあまりの過剰は異常で不自然だと感じるためです。中立(ニュートラル)とは、どちらかに偏らずどちらも味わうということ。決して不動によるバランスを指すのではなく、独楽(コマ)が回るように、シーソーが揺れ動くように、動的平衡をイメージしています。
ありのままで在る状態。どんな状況、環境でもジャッジすること・されることなく、そのままの自分でいられる状態です。
隠し事をしなくてよい状態。たとえ親しい相手でも、心から自分をさらけ出すってなかなか難しい。自分をさらけ出せていない=小さな隠し事がちょこちょこある状態だと感じている。ありのままの自分を出してのびのびと過ごせる場所や時、それを許してくれる相手との時間が、自然体なんだと思う。
第2回もお楽しみに!