他者を通じて、ありのままの自分と出会う。多様な人が集まり、混じり合う場|バザールカフェ
ありのまま。
「自然体とは何だと思いますか?」と尋ねると、多くの人から返ってくるのがこの言葉だ。
でも、ありのままとは何だろう。自分らしくいることだろうか、自分の気持ちに素直に従うことだろうか、包み隠さず全てをオープンにして生きることだろうか。
どれも正しい気もするし、間違っている気もする。答えはない。だからこそ、考え続けたいと思っている。
一緒にありのままを考えてくれる人はいないだろうか。そう思い、取材先を検討しているときに見つけたのが『バザールカフェ ばらばらだけど共に生きる場をつくる』という本だった。
本書の冒頭にはこんな一文がある。
バザールカフェは多様な人たちがありのままでいられる場であり、個人として尊重され、互いの属性を超えて人と人がつながる場という意味を込めている。
『バザールカフェ ばらばらだけど共に生きる場をつくる』ーはじめに
バザールカフェは、飲食物を提供するカフェでありながら、さまざまな活動を実践している場所。
何らかの事情で働く場を見つけるのが難しい人たちに就労機会を提供していたり、学生やNPO・NGO団体の活動場所として利用されていたり。社会問題について学べるイベントを実施していたりもする。
バザールカフェに関わる人たちも、関わり方も実に多様だ。
滞日外国人(一時的に日本にとどまっている外国人)、HIVポジティブ(陽性者)、依存症患者、セクシャルマイノリティ、カウンセラー、ソーシャルワーカー、教員、学生……。
異なる現実を生きる人々が有償、無償のボランティアとして共に働いていたり、お客さんとしてこの場を訪れたり。中にはスタッフなのか、お客さんなのか、よくわからない正体不明な人もいたりする。
ありのままでいられる場。
実際に足を運んで、どんな場所なのかをもっと知りたい。ここに関わる人たちに話を聞いてみたい。
そう思い、取材を依頼することにした。
多様な人たちが集まれる場
京都市上京区、今出川駅から徒歩5分、住宅街の中にひっそりと佇むバザールカフェ。門を抜け、小径を15mほど進むと開けた場所に出た。
木造2階建の洋館、藤棚の下に設けられたテラス席、150坪超はある庭。取材日は晴天で、柔らかな秋の日差しが降り注いでいた。
気持ちの良い空間だな。そう思っていると、「こんにちは!」と元気な声でボランティアスタッフの松浦さん、狭間さんのお二人が出迎えてくれた。
松浦 千恵(まつうら ちえ)
ソーシャルワーカー(社会福祉士・精神保健福祉士)
2004年頃よりバザールカフェに関わるようになり、現在は事務局スタッフ。依存症専門の精神科クリニックとバザールカフェで主に依存症の方々に関わっている。地域と医療機関の両方で依存症支援のあり方について考え中。
狭間 明日美(はざま あすみ)
9年間バザールカフェ事務局に従事したのち2024年からボランティアとして関わる。傍らで、食べることや地域の暮らしにまつわる仕事や遊びをしている。同志社大学在学中の実習を機にバザールカフェに関わるようになった。
店内に入ると、スパイスのいい匂いが漂ってくるのに気づいた。取材をした日は、タイ人のシェフがグリーンカレーを作っていた。
松浦: バザールカフェはその名の通り、飲食物を提供するカフェなんですけど、それだけではなくて。例えば、立ち上げ時から滞日外国人を雇用し続けています。バザールカフェの名物である多国籍料理は外国人シェフが母国の料理を作ってくれているんです。
それに立ち上げた当時からHIVポジティブやNPO・NGO関係者、教員、社会問題に関心のあるアーティストともつながりがあって。そういった多様な人たちが集まれる場を開きたいとの思いから作られたのがバザールカフェです。
多様な人たちが集まり、協働しながら、さまざまなプログラムも生まれていったという。
松浦:自由に表現活動を楽しむ「オープンアトリエ」や、司法や福祉に関わる人たちに講師になってもらう勉強会「シャバカフェ」、自分のことを語り合う「バイブルシェアリング」。
あとは薬物依存者の支援活動をするNPO法人京都ダルクのメンバーがサロンという形で庭にある畑を手入れしていたり、近くにある同志社大学の学生が学習支援サークルの活動をしていたり。
狭間:大学の授業の実習としてフィールドワークでこの場に来る学生もいますし、行政と連携して引きこもりの方々の職業体験の場としてバザールカフェが利用されていたりもします。
ずっと続けているプログラムもあれば、新しいプログラムが生まれることもあって、ここに関わる人たちによって変化していっています。
ブレンディングコミュニティ
バザールカフェには「サンガイ飯券」という仕組みもある。誰かが誰かのために買っていった食券のことで、お金がないときでもこの食券を使えば、無料でご飯が食べられる。
そのため、お金を払って何かを注文しなければいけないというお客さんとしての振る舞いを押しつけられることもない。
松浦:前提として、「誰もがここにいていい」と思っているんですね。でも、多くの人は何か理由がないとただいるということができない。
ここにいていいと言われても「何の役にも立てない自分はここにいるべきじゃない」みたいな、いたたまれれなさを感じてしまうんです。
「サンガイ飯券」はお金がなくてもここに来られるような仕組み。誰が買ったもので、誰が使ったものかも曖昧だから、施しを受けるような感じもなく、気軽に利用できるものかなと思います。
狭間:「関わりしろ」と言っているんですけど、私はここに必要とされていると思えるような仕組みがバザールカフェにはたくさんあるんです。サンガイ飯券もそうですし、ボランティアもそう。
いろいろなプログラムを行っているのも、関わりしろを増やし、ここにいていいんだと思ってもらうための工夫のひとつです。
松浦:さまざまな関わりしろがあるけれど、誰かに何かを強要されることはありません。自分の思ったように話したり、やってみたりする。自由に過ごしてもらえる、誰にでも開かれた場です。
「話し切れないぐらいさまざまな人がいて、さまざまな活動をしているんですよね」とお二人は話す。一概には言えないバザールカフェのことを、ここで活動する人たちはブレンディングコミュニティと呼んでいる。
狭間:ブレンディングコミュニティの明確な定義はありません。ただ私は、セクシャリティや人種、宗教、障害、病気、生き方など「多様な人たちがごちゃまぜに共にいる」ということに加え、「それぞれの存在が尊重される場所である」ということだと捉えています。
まず人と出会うこと
では、それぞれの存在が尊重されるとはどういうことなのだろう。率直に尋ねてみると、じっくりと考えながら狭間さんが口を開いた。
狭間:まず存在を認めることが大事なのかなって思います。当たり前ですけど、社会にはいろいろな人がいますよね。でも、多くの人は自分と似たような人としか関わろうとしないじゃないですか。
その方が楽だし、安心安全だし、心地良い。だからいろいろな事情を抱えている人の存在を忘れてしまったりする。意識的にではないにしろ、自分の頭から排除してしまっていることもあると思うんです。
さまざまな事情を抱えている人が社会にはいる。頭ではわかっているけれど、普段関わりがないと意識の外においてしまっているような感覚は確かにある。
狭間:自分の近くにいなくても「社会には当たり前にいる」という前提に立つことは忘れないように気をつけてます。だから一緒に働くスタッフや常連のお客さんに対しても、その人の抱えるものについてこちらから聞くことは基本的にはしません。
徐々に信頼関係を築き、本人から打ち明けてくれることもあれば、何も知らないまま仲を深めていくこともあります。例えそのことを知ったとしても、特別対応を変えたりはしません。
松浦:「まず人と出会うこと」が重要だと思うんですよ。滞日外国人とか、HIVポジティブとか、カテゴリ化することで便利な側面もありますが、一人ひとりが抱えている複雑な現実を矮小化してしまうと思っていて。
「〇〇の依存症だから」みたいに先入観や偏見を持ってしまう可能性もあります。その属性はその人の一部分にしか過ぎないので、とらわれないようにすることが大事なのかなと。
個人的にはありのままというと、包み隠さずオープンにするという印象を持つ。けれど、必ずしもそうではないのかもしれないと思い直した。自然に語れる、語りたいと思うタイミングを待つこと、語れずに何かを隠したままでもそれはそれでいい。
もちろん誰に対しても無理に聞き出す必要はないのだ。それにどんな事情を抱えているにしろ、社会にはそういう人が当たり前にいるという前提を持っておくことが重要なのかもしれない。
どんな在り方も大切にする
狭間:正体不明な人がいるというのもバザールカフェの特徴かもしれません。お客さんなのか、スタッフなのかよくわからない人もいる。誰がどんな事情を抱えているのかも、本人が言わなければわからない。
松浦:一般的な社会では、正体不明な存在って避けられるじゃないですか。素性が知れないと怪しいし、危険な人かもしれないし、近寄りがたい存在として見られてしまう。
だからみんなわかりやすい肩書きを自分につけると思うんです。でも、そういう肩書きが自分を縛りつける要因になることもある。肩書きに合うような振る舞いを求められてしまう。
肩書きというのも、カテゴリ化のひとつだ。自分を表す言葉のように使っている。けれど、肩書きが表すのはあくまでその人の一面。人間は多面体である。そのことを忘れないようにすることが大切だ。
松浦:それぞれの存在を尊重するというのは、その人の属性とか肩書きとかわかりやすいものだけを尊重するのではなく、個人的な言動や態度、考え、たたずまいなど、その人のあらゆる面を承認することかもしれません。
自分とは異なる人と関わり、その人のあらゆる面を承認する。それはとても難しいように思う。価値観の違いから衝突することもあるのではないだろうか。
松浦:もちろんときには衝突することもありますよ。嫌だなと思うこともあるし、傷つく、傷つけるようなこともある。ただどちらが正しくて、どちらが間違っているとか、勝ち負けとか、そういう白黒はつけない。
「あなたはそう思っているのね。でも私はこう思う」というお互いのアイメッセージ(自分を主語に発する言葉)を伝え合うだけ。無理にわかり合おうとしなくていいし、相手に合わせて自分を変える必要もない。
わかり合えないかもしれないけれど、一緒にいるというスタンスだけはとり続ける。
狭間:「どんな在り方も大切にする」ということは、この場で共有されているような気がします。それも言葉で共有されているというか、自然と共有されている。
松浦:バザールカフェには、人が人を呼ぶ感じで、誰かからこの場のことを聞いて来るという人が多いんですよ。
「自分の居場所」「ここでは自由でいていい」など、ここでさまざまな人と出会い、同じ時間を過ごして感じたことを誰かに伝えてくれて、「めっちゃいいね」と聞いた人も興味を持って来てくれる。
そういう共感の連鎖のようなもので人が集まっているから、「どんな在り方も大切にする」というものが自然と共有されているのかなと思います。
他者との関わりがもたらすもの
自分とは異なる人とあえて関わることで、お二人は何を得て、どう感じているのだろう。松浦さんは「私と狭間は真逆のタイプなんですよ」と教えてくれた。
松浦:例えば、狭間は誰かから何かを頼まれたときに、一旦よく考えるんですよ。それが自分にとって心地よいものかどうかとか、心地よくなくても無理してやった方がいいことかどうかとか。
私は基本的に何か頼まれたら全部引き受けてしまって、後々しんどくなるみたいなことが多いから、すごいなと思っている。
真逆な二人が関わり合うからこそ、互いに救われる部分もあるのだという。
狭間:逆に私は、松浦のまず引き受けてから考えるというスタンスがすごいと思っていて。私は自分を大切にすることを優先して断ることもあるけど、松浦は相手優先というか、自分のことは省みずに頼まれたら引き受けている。
それって頼んだ側からしたらめちゃくちゃありがたいじゃないですか。私もそうですけど、松浦に救われている人は多いと思います。
松浦:私は狭間みたいな人が近くにいてくれて、すごく楽になることもあるんですよ。仕事や家事、育児などでもう毎日本当にいっぱいいっぱい。
そんな様子を見て狭間が「余白を作ることも大事やで」と声をかけてくれて、ちょっとお喋りする時間が作れたりする。
そうすると、せかせかしていて自分を大切にできていないなということに気づくこともありますし、自分を大切にできていないから他者に対して怒りを顕にしてしまっているのかもしれないなと反省することもあります。
他者を通じて、自分の抱いていた価値観に気づく、揺らぐ、変わる。違いがある人と関わるからこそ、そういったことが起こりやすいのかもしれない。
狭間:私と松浦のように、バザールカフェでは自分とは全く違う考えや生き方に触れられる機会が多くて、自分の価値観だったり、思い込みだったりに気づかされることがよくあります。
そして時間をかけて内省し、ときには誰かの手を借りながら凝り固まった思考をほぐしていく。とらわれていたものから解放され、少し楽に生きれるような感覚を持てることがあるんです。
松浦:例えば毎日料理を作ってくれているさまざまな国のシェフたちの中にも、バザールカフェに来るまでは支援される側に立たされることが多かった人もいるんです。
でも、料理を作ってお客さんから「美味しい」「ありがとう」という言葉をもらうことで、自分も誰かの役に立てるんだということを思い出していく。自分も支援する側に立つことができるんだと、尊厳を取り戻していくんですよ。
現在進行形で考え続ける
「言葉で言うのは簡単なんですよ」と松浦さんは続ける。
松浦:「それぞれの存在を尊重する」「どんな在り方も大切にする」って言いましたけど、言葉だけを聞けば、かっこいいじゃないですか。でも、それを実現しようと努力することは、すごく泥臭い。
いろんな人と関わって、ときには誰かとぶつかって、どういう関わり方をするのがいいんだろう、自分も相手も大切にするにはどうしたらいいんだろうって考える。
それを繰り返していくことで、「それぞれの存在を尊重する」ことがちょっとだけわかるときもあれば、わからなくなるときもある。死ぬまでわかんないのかなと思ったりもしますね。
狭間:死ぬときに「これで良かったのかも」と思えるように生きていくしかないのかなと思ったりもします。誰しも生まれた時はありのままだったと思うし、存在自体を尊重されていたし、どんなあり方でも良かった。
そうであった自分のことを思い出していくことが大事なのかもしれない。
ありのままについて考える。それは言葉の意味を考えることではないのだと思った。
さまざまな他者と関わり、自分のこと、相手のことを見つめ直す機会を何度も経て、「これで良いのかも」と体感することなのかもしれない。
松浦:確かなことは、他者を通じてしか自分を知り得ないということ。
さまざまな人と関わり合って、ポジティブにもネガティブにも感情が動く経験をしてはじめて、自分のありのままってなんだろう、それぞれの存在を尊重するってどういうことだろうって問いが生まれる、考えを深めていけるのだと思うので。
ブレンディングコミュニティという言葉の通り「ing」なんですよ。現在進行形。考え続けるしかないというか、どういうことかははっきりとはわからないけど諦めずに大切にしようとし続けることが大事なのかなと。
だからこそ私たちは多様な人と出会えるこの場を守り続けていく努力はしたいなと思っています。
ありのままとはなんだろうという問いから始まったバザールカフェさんへの取材。やっぱり答えは出なかった。だから、どういうことなのかは曖昧なままだ。それでもやっぱり、大切にしたいという気持ちは変わらないし、取材を経てむしろ強まったように思う。
それはお二人と話していて、自分の心が満たされていくような実感があったからだ。
初めて会ったぼくの話を真剣に聞き、一生懸命に考えてくれ、言葉では言い表すことが難しいことも必死に言葉にしようと努めてくれた。まさしくそれがぼくという存在を尊重してくれたことにほかならないのではないかと思う。
ソラミドmadoもバザールカフェのような場にしていけたらと個人的には思っている。
多様な人が訪れ、関わり合い、共に自然体に生きられたら……。そのためにも関わりしろになるような記事をもっと作っていきたいし、自然体とはなんだろうと模索し続けていきたい。
ソラミドmadoについて
ソラミドmadoは、自然体な生き方を考えるメディア。「自然体で、生きよう。」をコンセプトに、さまざまな人の暮らし・考え方を発信しています。Twitterでも最新情報をお届け。みなさんと一緒に、自然体を考えられたら嬉しいです。https://twitter.com/soramido_media
執筆
撮影
大阪在住。フリーランスで、コーチングやカメラマンなど関わる裾野を広げています。自分がご機嫌でいられる生き方を模索中。多様な在り方を受け止め、一緒に考えられる人でいたい。
Twitter:https://twitter.com/hashinon12