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あの人の“自然体”をまっすぐに問う一問一答企画 – vol.4

わたしたちソラミドmadoがいつも探求している「“自然体”ってなんだろう」という問い。“自然体”という概念は、いろんな捉え方ができる、自由なもの。ひとつの正解らしきものがないからこそ、たくさんの人に同じ質問をぶつけてみたらどうだろう。

過去の記事で取材をさせていただいた方、ソラミドmado編集部やその周りの人たちへ、まっすぐで単刀直入な“自然体”に関する3つの質問に答えていただきました。

第1回の記事はこちらよりご覧ください。
第2回の記事はこちらよりご覧ください。
第3回の記事はこちらよりご覧ください。

今回の回答者

渡邊 めぐみ

詩のソムリエ/30代/福岡・東京

趣味:詩を読むこと・料理

中山桜

写真家/30代/オランダ

趣味:酒

三吉まゆみ

整理収納アドバイザー/30代/東京都

趣味:読書

小松崎拓郎

エドゥカーレ代表/30代/島根県

趣味:温泉・サウナ・散歩・読書

安久都智史/とろ火

フリーランス/20代/長野県佐久市

趣味:家族・散歩・読書・語りあい

あなたが「自然体」でいられるのはどんなとき?

渡邊めぐみ

いつ・どこでも自然体だと思います。「ずっと前からそこにいる」みたいな空気でいつもいるらしく、海外でも現地の人と間違われたりします。

理由を考えてみると、大学生のときに、コミュニティスペース「芝の家」でスタッフをしていたことが大きいかなと思います。そこは、誰でもありのままに過ごしていい場所。そのためには、スタッフがしたいことをして過ごしてほしい、と言われました。はじめは驚きましたが、たしかにスタッフが「さあ!どうぞ好きに過ごしてください!!」と気合を入れていたら、その張り詰めた空気は場に伝わるんですよね。来場者にリラックスしてほしいから自分も自然にふるまうようにしたら、子どもからお年寄りまで幅広い年代の友達もできたし、「ありのままの自分で受け入れてもらえるんだ」という経験ができました。

中山桜

何も予定がなく、一人で部屋にいる時。

誰にも干渉されず、規約に縛られず、たっぷり時間があるから。

三吉まゆみ

夫と一緒にいるとき。

よく見せようと思わず、楽にいられます。

小松崎拓郎

いつも自然体でいると思っています。

日々自分が感じていることや考えていることを書き出しながら、自分と対話する時間を毎日朝と夜のルーティーンとして設けているためです。

安久都智史

風に吹かれているとき。

空気の流れや植物の揺れなどを感じると、「自分は固定化されていない存在だった」という当たり前なことに気づくことができるから。散歩だったり、農作業だったりはとってもいいですよね。

あなたの周りにいる「自然体」な人を教えて下さい。

渡邊めぐみ

自然体、と言われて真っ先に思い浮かんだのは、アメリカのホストマザーのアリソンです。

ある朝、アリソンと息子のグラントとぶらぶら散歩していたら、アリソンがブルーベリーを見つけて。そのとき彼女は白いTシャツを着ていたのですが、汚れるのもかまわずどんどんブルーベリーを摘んでTシャツの裾に放り込むんです。で、「食べなさい、子どもたち!」と差し出してくれて。周りの目を気にせず、分け隔てなく愛を与えてくれて、すごくかっこいい人だなぁと思ったことを覚えています。

中山桜

祖母。

今年90歳になったのですが、誰にどのように見られたいとかもなく、媚を売ることも、人のペースに合わせることもない。年を重ねてこうなったのか、元からそういう性格なのか。きっと元からであろう。

三吉まゆみ

仕事仲間で自然体な人がいます。

「どんな自分もOK」と、自分にも周りの人に対しても許可を出しています。
何に対しても良い面に目を向け、楽しみを見つけている印象です。
(決して無理したり、自分の意思をねじ曲げるのではなく、自然に)

小松崎拓郎

妻。

社会には自然体で良いエネルギーが出ているな!と感じる方々はたくさんいらっしゃいますが、私の身近にいる妻も自然体です。 喜怒哀楽に富み、それを隠すこともなく表現してくれるから自然体だと感じるのでしょうか。夫婦の間柄なので素の姿でいるのは当然かもしれませんね。

安久都智史

僕の25コくらい上の、お世話になっている大先輩が浮かびます。

その方は、自身の迷いや悩みを解消するのではなく、抱えたままなんとか生きてきた方。「こうとしか生きられない」とあきらめ、その道を歩いてきたような方です。いまもしんどい時期はたくさんあるみたいなんですが、“その人”の存在感が色濃く出ているたたずまいには「自然体」を読み取ってしまいます。

あなたにとって「自然体」とは?

渡邊めぐみ

自然体とは、すこしずつ自信を身に着けていくことなのかもしれません。

中・高・大学で運動部でしたが、どのスポーツでも強い人ほど力を抜くのが上手。そしていざというときにパッと力をいれることができます。積み重ねた経験と自信があるからこそ、自然体でいられるのではないでしょうか。
「自然体」というときの自信は、「飾らない自分でもオッケーだ」という肯定感です。
受け入れられたということと共に、異質な他者と心を通わせることができたという経験が、その自信を作ってくれるのではないかと思います。私自身の経験を振り返ると、いろんな世代の人や、外国の方、あとは動物とのふれあいは、心をすっぴんにしてくれる気がします。
動物についてもう少し話すと、私の場合は「馬」。岩手の遠野に、クイーンズメドウ・カントリーハウスという変わった場所があります。馬を放牧している農地なのですが、ムチや手綱といった、馬をコントロールする道具を一切使わずに馬とコミュニケーションをとるんです。馬はハフリンガーというかなり大きな種で、目の前にするとけっこう怖い。それでもじっくりと対峙していると、「あ、今心をひらいてくれたかも!」と思う瞬間があって、その感動は大きかったです。
そういうふうに心でつながりあえた経験のひとつひとつが、今のわたしの「自然体」を作っているのかなと思います。自然体で過ごすさきで、アリソンみたいに、周りを気にせずまっすぐに愛を与えられる大人になれるといいなぁ。
とはいえ、自然体でいられないときもあるので、そんなときは詩を読んだり、海を見に行ったりして、すっぴんに戻るように心をリセットしています。

中山桜

本当に何も気にしないこと。

気の知れた人といる時が自然体だと思ったが、いくら気がしれた家族でも、恋人でも、友達でも、真の自然体は、人間である限り無理だと思う。なので、一人でいる時が、私にとって自然体でいれる時間。

三吉まゆみ

誰かにどう思われるか関係なく、ありのままの自分でいること。

無理のない姿勢。

小松崎拓郎

自然とは本来、自ずから然りという意味だと記憶してます。

あるがまま、ただそこにいるという状態が自然体ではないでしょうか。

安久都智史

壁にぶつかり、喜び、悩み、誰かと出会い…を繰り返すなかで浮かびあがってきた「こうとしか生きられない」を、つかんで離さないようにする生き様のようなもの。

前述の方もそうでしたが、ゴールとしては存在せず、常に過程としてしか現れないのではないか、と思っています。幸せの青い鳥のように、つかまえようとするものではないのかも。

ラストの第5回もお楽しみに!

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